第10話「視線」
オーディション会場の廊下。
会議室Cと書かれたドアの前で、足が止まった。
心臓がうるさい。ドクン、ドクン、ドクン。
自分の鼓動が、静かな廊下に響いている気がする。実際には聞こえてないはずだ。でも、聞こえてる気がする。
——深呼吸。
ノックする。
コンコン。
「どうぞ」
低い声が、ドア越しに聞こえた。
ドアノブを握る。冷たい金属の感触。
手のひらが汗ばんでいる。このドアノブを回したら、もう後戻りは出来ない。タイムもリスタートも無い。
——大丈夫だ。
見た目じゃなく、声で勝負するんだから。
開ける。
キィィという開閉音が、いつも以上に耳に響く。
そこは、さっきまでいた控室よりも狭い部屋だった。窓はない。蛍光灯の白い光だけが、無機質に空間を照らしている。
長テーブルがひとつ。パイプ椅子がいくつか。
そして——その人は、その中央にいた。
黒いシャツ。無造作な黒髪。目の下には、うっすらとクマがある。
深山潔だ。本物だ。
ボクが憧れ続けた映像監督が、目の前にいる。
「ラクーンボイス所属、イオリユウです……よろしくお願いします」
声が震えた。
深山監督が、じっとこちらを見ている。
その目が——異様だった。
鋭くて、冷たくて、何かを探るような目。ボクの内側を透視しようとしているような。
見られている。
呼吸の仕方、視線の動き、手の位置。全部、観察されている気がする。
第一声、何を言われるだろう。
受けた動機? 役への意気込み? 好きな作品は?
深山監督が聞きそうなことを、頭の中で必死に探す。
答えを用意しておかなきゃ。ちゃんと受け答えできるように。でもこの人の思考は変わってる。常人とは違う。だから何を聞かれるかわからない。わからないから準備できない。準備できないから怖い——
「もしかして、俺が怖い?」
——え。
想定していた質問と、まったく違った。
「い、いえ! 違うんです、あの——」
しどろもどろになる。
何が違うんだ。何を否定しようとしてるんだ。怖いのは事実じゃないか。嘘をついてどうする。
「いいよ、むしろその方がね」
深山監督が、椅子の背もたれに体を預けた。
「緊張しない役者は信用できない」
——え?
「平常心なんて言う役者は、好きになれない」
その言葉が、胸に刺さった。
情けないくらい緊張ばかりしてるボクのままでいい。
必死に隠す必要はない。
——そう言われてる気がした。
「君は今、俺の目を見れてないよね」
心臓が跳ねる。
「でも逸らしすぎると失礼だから、この首元あたりを見てる。違う?」
——なんで、わかるんだ。
背筋が冷たくなった。
全部見透かされている。呼吸のリズムも、視線の角度も、震えを隠そうとしている手の動きも。
この人の前では、何も隠せない。
「とりあえず座って」
深山監督が、向かいの椅子を顎で示した。
「は、はい」
椅子を引く。ギシッと小さく軋んだ。その音が恥ずかしい。
座る。背筋を伸ばそうとして、余計に緊張していることを気づかれる気がして、少しだけ力を抜く。でも抜きすぎると態度が悪く見えるから——
「……面白いな、君」
「え?」
「今、姿勢を何回修正した? 三回か四回か」
——全部見られてる。
「自分の弱さを隠そうとして、逆にボロが出てる。新人っぽくていいけどね」
褒められているのか、けなされているのか、わからない。
深山監督が、手元の資料をめくった。たぶん、ボクのプロフィールだ。
「イオリユウ、二十三歳。『ソラノオト』で主役デビュー。少年役」
「は、はい」
「イベントの映像、見たよ……みんな女性と間違えてた。俺も最初は見間違えた」
——やっぱり、そこの話題になるのか。
このパターンはもう、慣れっこだ。
でも——
「……よく、間違われます」
「だろうな」
深山監督の目が、またボクを捉えた。
「でも俺は、君の見た目は正直どうでもいいんだ」
「……」
「あの時、君が何を思ってたかが……気になる」
その言葉が——胸の奥に、静かに落ちた。
深山監督が、テーブルの上の台本を指差した。
「読んできたよな?」
「は、はい」
「エリカをどう思う?」
来た。キャラクター解釈の質問。
これは想定していた。『エリカは空を飛ぶことに憧れる少女です』『明るく見えて、繊細な部分もあるキャラクターだと思います』——そういう答えを用意していた。
でも、深山監督は続けた。
「彼女は、何を怖がってる?」
——怖がってる?
想定と、少し違った。
普通は「どんなキャラクターだと思う?」とか「演じる上で意識したいことは?」とか。
深山監督は、もっと深いところを聞いてきた。
沈黙が落ちる。
答えなきゃ。何か言わなきゃ。
でも、直感的に用意していた答えじゃ足りない気がした。この人が、そんなテンプレートな質問と回答に時間を費やすとは思えないからだ。
「……エリカは、空を飛ぶことに憧れています」
言葉を選びながら、話し始める。
「でも、高いところが怖い。飛びたいのに、飛べない。矛盾を抱えてる子だと思います」
深山監督は黙って聞いている。表情が読めない。
続けていいのか、わからない。でも、止まったら負けな気がした。
「でも……『高いところが怖い』っていうのは、表面的な設定だと思いました」
「ほう……表面的」
——いいのか?ここから先はボクの勝手な解釈だ。
もし、間違ってたら。
でも不思議と口が、動き続けた。
「はい。本当に怖いのは——飛べない自分を、認知してしまうことじゃないかって」
深山監督の目が、わずかに動いた。
「認知」
その言葉を、深山監督が繰り返した。
「はい。自分が何者か、曖昧なままの方が……逃げ道があるから」
声が小さくなる。でも、止められなかった。
「事実を知りたくないんだと思います。『私は飛べない人間だ』って、確定してしまうのが、いちばん怖いんじゃないかって」
——言いすぎた。
沈黙が落ちる。
深山監督が、じっとこちらを見ている。
——間違えた。
——喋りすぎた。
——「台本に書いてあることだけ答えろ」って思われたかもしれない。
——新人のくせに偉そうなこと言った。
——「帰っていいよ」って言われたらどうしよう。
——てかさっきから深山監督、何も言わないし。
——やっぱ変なこと言ったんだ。
——終わった。
頭の中を、最悪のシナリオが駆け巡る。
五秒。十秒。
永遠みたいな沈黙。
そして——
「すごいな……君」
——え?
顔を上げる。
深山監督が、少し身を乗り出していた。
「台本のト書きには、『空を飛ぶことに憧れる少女』としか書いてない」
「……」
「『飛べない自分を認知するのが怖い』『曖昧なままの方が逃げ道がある』——それは、俺がこの映画で描きたかったテーマに近い」
深山監督の目が、さっきとは違う光を帯びていた。
鋭さは変わらない。でも、そこに——興味のようなものが混じっている。
「偽物と本物の境界線は何だと思う?」
——境界線。
頭の中で、いくつかの言葉が浮かんでは消える。
でも、どれも嘘になる気がした。
「……難しくて、ボクには分かりません」
結局答えられなかった。
だって、それは——
エリカの話じゃない。
ボク自身の話だ。
男なのに女に見える。
それを認知したくなくて、ずっと曖昧なままでいようとしてきた。
「いつか男らしくなれる」「いつか声変わりする」——そんな可能性に逃げ続けてきた。
事実を確定させたくなかった。
「ボクは一生こうなんだ」って、認めたくなかった。
エリカの気持ちがわかったんじゃない。
ボクを、エリカに投影させただけだ。
「……でも、エリカも。それが知りたくて足掻いてるんじゃないかって思います」
——嘘だ。それはボクの事だ。
深山監督に、見抜かれたら。
「そうか」
深山監督は、それ以上追及しなかった。
代わりに、台本を閉じた。
「じゃあオーディションを始めよう。今日はひとつのセリフだけでいい。それで全て分かる」
——来た、ファーストテイクだ。
——落ち着け。
「今、君はエリカになろうとしている」
深山監督が、静かに言った。
「つまり君は——もうひとりのエリカだ」
——え?もうひとりの、エリカ。
「台本の中のエリカに向かって、こう言ってみて」
深山監督が、一拍置いた。
「『あなたはもう飛ばなくていい。私がかわりに飛ぶから』」
——え?
台本にない台詞だ。
エリカが、エリカに語りかける?
どういう意味だ。どう解釈すればいい。
優しさ? 傲慢? 諦め? 決意?
頭の中がぐるぐる回る。
心臓よ、少し静かにしてくれ。
落ち着け。
落ち着け!
落ち着いて考えろ。
——無理だ。
落ち着けるわけない。
いつもそうだった。
ボクにそんな胆力はない。
チャンスな時ほど、緊張だけが増していく性格。
平常心を保つには、どうすれば良いんだっけ?
思い出せない。ああ、弱い。弱すぎる。
膝が震えている。手も震えている。声も、たぶん震える。
——情けない。
二十三年間、ずっとこんな性格だったじゃないか。
緊張して、怯えて、逃げ出したくなって——
(緊張しない役者は信用できない)
——え。
深山監督の言葉が、頭の中でよぎった。
(平常心なんて言う役者は、好きになれない)
——そうだ。深山監督はそう言ってた。
落ち着く必要なんて、ない。
震えていていい。
怖くていい。
このボクのままで——出来ることに集中しろ。
その瞬間だった。
音が、遠くなった。
心臓の音が聞こえなくなった。
深山監督の視線も、蛍光灯の白い光も、パイプ椅子の軋みも——全部が、薄い膜の向こうに行ってしまったような。
——なんだ、これ。
視界がクリアになる。
でも、見えているものが違う。
ボクは——自分と深山監督を、上から見ていた。
狭い会議室。長テーブル。向かい合う二人。
まるで映画のワンシーンみたいに、俯瞰で見えている。
怖いはずなのに、怖くない。
いや——怖いままだ。
でも、怖さが邪魔じゃなくなっている。
——この感じを掴め、意識を集中しろ。
視点が戻る。
目の前に、深山監督がいる。
そしてボクと監督の間に——
膝を抱えて座っている少女が、見えた。
——エリカ。
空を見上げている。
でも、飛べない。
飛べない自分を認めたくなくて、膝を抱えて、ずっとそこにいる。
——彼女はボクと、同じだ。
だから、わかる。
この子に何を言えばいいか。
息を吸う。
声が、喉の奥から立ち上がってくる。
「——」
(つづく)
次の更新予定
2026年1月10日 20:00 毎日 20:00
太陽王子の中の人は美少女に見える陰キャ男子でした 月亭脱兎 @moonsdatto
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