本当は記念日

敷知遠江守

年休申請していたのに

「ちょっと良いかな? 君、ここ年休申請しているけど、何か用事があるの?」


 昼休憩の後、突然係長に呼ばれ、何の話だと思えばそんな質問が飛んできた。休みたいと申請しているのだから、「用事があるの?」というのもおかしな話だ。


「あるといえばあるのですけど、何かあるんですか?」


「この日、別の人も年休申請しててさ、もしそこまでの用事じゃなければ、日付を変えてくれないかな?」


 ちらりと勤務表を見ると、その日どういうわけか年休の申請をしている人が他に二人もいる。二人とも既婚者で子供がいる女性。恐らくは子供の用事なのだろう。


「……じゃあ、申請消しておいてください」


「いや、大切な用事があるんなら、別に休んでくれてかまわないんだよ。大切な用事があるならね。この二人のどちらかに話をするだけだから」


 完全に社交辞令。もしくは後で問題になった時のための言い訳作り。それが透けて見えるだけに腹が立つ。そんな事になったら「俺のせいで子供の何々に行けなかった」と後から俺が責められる事になるじゃないか。


「いえ。大丈夫です……」


「そうか、すまないな。今度、休みが被った時には、お前の休みを優先するから、今回は勘弁してくれ」


 係長は気付いているのだろうか。その発言、これまで一度も守ってくれた事が無いという事に。


 ◇


 時は過ぎ、年休申請を消した日を迎えた。

 いつもと同じ朝、いつものように準備をして、いつものように電車に乗り、いつものように出社する。


 俺にとっては年休を消された日であるが、同僚からしたら極々普通の日でしかない。当然、何で年休を申請したのかなんて聞いて来る人などいない。恐らくはそれを知っている人すらいないだろう。


 淡々と時間だけが過ぎていく。


 もしあの時年休が消されなかったら、俺は今頃何をしていただろうか。朝からどこかに出かけていたかもしれない。街に繰り出して、繁華街をぶらぶらして、どこかのお店で食事をとって。買い物をして、そこでショートケーキなんて買って。


 いや、案外朝からぐうたらして、気が付いたら昼になっていて、昼食を買いに出かけて、そこで酒でも買って、午後もただぐうたらしただけで終えてしまったのかもしれない。それなら、こうして仕事をしている方が幾分マシな過ごし方だろう。


 淡々と時間だけが過ぎていく。


 昼休憩になり、同僚と食堂に向かう。いつものように昼食は蕎麦。そこにかき揚げを一つ乗せる。そうだ、今日は卵を落として月見にしよう。何せ記念日なのだから。


 誰にも何も触れられる事無く、月見そばを食べて昼休憩も終了。早いもので、もう記念日は半日が終わってしまった。


「ねえ、申し訳ないけど今日残業良いかな? 午後から来る派遣の人が来れないらしいんだよ。その人のシフトを埋めて貰えないかな?」


 昼休憩もそろそろ終わるという頃に係長に呼ばれ、いきなりそんな話を繰り出された。元々ここは年休を申請していたのに。もうすっかり忘れてしまっているらしい。


「あ、何か用事ある? それなら別の人にアサインするんだけど」


「……いえ。九時までシフトに入れば良いんですよね。わかりました」


 「悪いね」課長からそう声をかけられた。悪いと思っているのなら、せめてPCからこっちに視線くらい移してくれても良さそうなものなのに。


 淡々と時間だけが過ぎていく。


 定時になり同僚が次々と帰宅していく。係長も退社して行った。別の係長と「今日はあそこの居酒屋にしましょうか」なんて言い合って。

 なんで俺はこんな記念日に残業なんかしているんだろう。


 仕事がひと段落つき、背もたれにもたれかかると、同僚の女性がこちらを見て微笑んだ。


「今日二人休んでるじゃないですか。小学校の授業参観らしいんですよね。でも、あの二人が年休申請する時、別の人がすでに年休申請してたらしいんです。だから、もしかしたら授業参観に行けないかもって言ってたんですよ」


「へえ、そうだったんだ」


「授業参観か。そんな有給取ってまで行かなきゃいけないんですかねえ。だって、そのために年休取り消された人がいるんですよ。私だったら絶対に譲らないな」


 きっとそうなったら、その既婚の二人も絶対に譲らないと言って揉める事になるのだろう。そして年齢の関係で彼女が譲らないといけなくなるんだ。今回の俺みたいに。


 ◇


 気が付けば、もう今日という日は三時間しか残っていない。夕飯を食べる時間も無いまま、九時まで仕事をこなし、電車に揺られて最寄り駅へ。

 もうこんな時間ではスーパーもやっていない。


 せめてスーパーに寄って、ショートケーキを買いたかった。

 帰りに寄ったコンビニで軽い夕食を買い、ついでにプリンを購入。そのプリンには生クリームが上に乗っている。やはり祝い事には生クリームが無いと形にならない。


 家に帰ってプリンの蓋を開けた。

 想定とは全然違うけど、形だけだけど、このプリンはお祝いだ。


 携帯電話にメールが入っている事に今さらながらに気が付いた。送信相手は実家の母。メールの文言に思わず心がほっこりする。


「お誕生日おめだとう!」


 誤字がまた良い味を出しているなあ。

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本当は記念日 敷知遠江守 @Fuchi_Ensyu

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