「鉄路断章」第6話「線路の外に立つという判断」(最終話)

秋定弦司

安全より私情が選ばれた、その日

 ――失礼いたします。


 少々、長くなりますが……どうか最後までお付き合いくださいませ。


 私が勤めておりました会社は、列車見張を生業としながら、電話帳には「土建業」と記載されておりました。


 ええ、形式上は「土建業者」としての看板も掲げておりましたので、「虚偽である」と断じることは控えさせていただきます。もっとも――実態が伴っていたかにつきましては、別のお話でございますが。


 私が「警備員指導教育責任者」の資格を取得し、正式に「選任警備員指導教育責任者」に任命された折、会社は看板の表記を「土建業」から「警備業」へと塗り替えました。


 現在ほど厳格ではなかった時代とはいえ、当時ですら、その判断は随分と後手であったと申し上げて差し支えないでしょう。


 さて、その頃――「ある人物」が入社してまいりました。

 我々のお施主様である鉄道会社の「保線区OB」。


 ええ、書類の上では、まことに立派な経歴でございました。

 ……書類の上では。


 問題が顕在化したのは、彼による「新人教育」なるものでございます。


 もっとも、それは教育と呼ぶにはあまりに粗野で――率直に申し上げれば、罵倒でございました。


 対象となったのは、齢60を超えた方。

 御立腹は、至極当然のことでございましょう。

 私は社長の名代として頭を下げ、辛うじて事態を収めました。


 なお――念のため申し添えますが。

 彼には法的に「新人教育」を行う資格は、一切ございません。


 その点も含め、私は社長に対し。やや厳しい口調で進言いたしました。

「我々は警備業法に基づく警備業者でございます。無資格者に教育行為をさせることは、断じて認められません」と。


 ……結果でございますか?

 ええ。無駄でございました。


 彼の存在によって、どれほどの新人が現場を去ったか――数える気にもなりません。

 不肖ながら、私自身もその一人でございます。


 契約内容を理解しないまま、あるいは理解していながら、己の虚栄心のためか、「契約外」の行為を平然と行う。

 さらに、「選任警備員指導教育責任者」である私が実施すべき「新任教育」「現任教育」の場に割り込み、講師である私を押しのけて、講師然と振る舞う。


 そこまでなさるのであれば、ご自身で「教育記録簿」も記入なさればよろしいものを――

 なぜか、その業務だけは私の役目とされておりました。


 ……ええ、実に都合のよろしいお話でございますね。

 思わず感心いたしました。


 では、現場での出来事を少々。


 私と彼が同一現場に入った際、彼は「ある極めて重要な物」を持参しておりませんでした。

 その際、彼は私に向かい問いかけてまいりました。


 ――「昨日、お前に預けたはずだろう?」


 無論、私に覚えはございません。私は正直に申し上げました。


 ――「お預かりしておりません」


 すると「嘘をつくな!」と、作業員全員に聞こえる声量で怒鳴り返されました。


 午前中の小休憩時、私は社長に対し、次の二択を提示いたしました。


 ・この場で私の「現場放棄」を正式に認めるか。

 ・さもなくば――彼に、作業員全員の前で土下座をさせるか。


 返答は「我慢してくれ」。……なるほど。そういう判断でございましたか。


 なお、私は後日、偶然の機会から彼の「素性」を知ることとなりました。

 内容につきましては――ええ、ご想像にお任せいたします。


 そして、私が退職を決意するに至った事案でございます。


 ある現場において、我が社と懇意にしている他社警備会社との共同作業が行われました。

 私は当然、まず自社の警備員に挨拶をし、続いて先方の警備員にも礼を尽くしました。


 その光景が、どうやらお気に召さなかったようでございます。

 彼は突然私の前に立ち、「お前はどっちの会社の警備員だ!」と怒鳴りつけてまいりました。


 私は一旦その場を離れ、社長に確認いたしました。

 警備会社同士の契約関係は「対等」であるか否か。

 返答は「対等」。


 ならば話は簡単でございます。

 私は社長を現場に呼びつけ、「今すぐ先方の列車見張員に詫びを入れて来い」と、声を荒らげました。


 社長の到着を待つ間、同僚および他社の列車見張員から聞かされた言葉……背筋が、冷えました。


「アイツは、ずっと飲酒して現場に来ている」


 社長が到着後、まず先方の警備員に謝罪させ、その後、社長の車中で――業務に支障を来さぬ範囲で、私自身の頭を冷やしました。


 翌日、私は会社に出向き、問いただしました。


「警察と鉄道会社、どちらを取るおつもりですか?」


 正義感の問題ではございません。

「法律」を取るのか、「私情」を取るのか。


 返答は――「鉄道会社」。


 その瞬間、すべてが終わりました。

 この会社に留まる理由は、もはや一切ございません。


 仮に「警備会社としての認定」を取り消されようと――私の知ったことではございません。


 こうして私は、「線路の外」へと立ち去りました。


 ――ああ。後日談がひとつ、ございます。


 彼は「飲酒状態での線路内立ち入り」が内部告発によって発覚し、出入り禁止となりました。

 その後の消息については……ええ、私の関知するところではございません。


 長々と失礼いたしました。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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「鉄路断章」第6話「線路の外に立つという判断」(最終話) 秋定弦司 @RASCHACKROUGHNEX

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