おわりに——不在の神、境界の神

 恵比寿という神を追ってきて、見えてきたのは「不在」と「境界」というキーワードである。

 恵比寿は、記紀神話に名前がない。七福神の中で唯一「日本産」とされながら、正典には登場しない。不在の神である。

 恵比寿は、海から来る。陸と海の境界、此岸と彼岸の境界を越えてやってくる。境界の神である。

 恵比寿は、蛭子として捨てられた。中心から周縁へ、排除された存在である。しかし、その周縁から福をもたらす。

 恵比寿は、神無月に出雲へ行かない。神々の会議から外れ、留守を守る。ここでも、中心ではなく周縁にいる。

 この「不在」と「境界」こそが、恵比寿の本質ではないだろうか。

 「えびす」という言葉が「異邦人」を意味したように、恵比寿は最初から「外」の存在だった。中心ではなく周縁に、内ではなく外に位置する神。しかし、その「外」から福がやってくる。

 これは、折口信夫が論じた「まれびと」の構造そのものである。

 まれびとは、外からやってくる。異界からやってくる。彼らは恐ろしくもあり、ありがたくもある。排除の対象であり、歓待の対象でもある。

 恵比寿は、七福神の中で最も「まれびと」的な神なのだ。


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 七福神シリーズを締めくくるにあたり、改めて七福神全体を振り返ってみよう。

 恵比寿、大黒天、弁財天、毘沙門天、布袋、福禄寿、寿老人——。

 インド、中国、日本。ヒンドゥー教、仏教、道教、神道。これほど出自の異なる神々が、一つの船に乗っている。

 七福神とは、「福」という一点で結ばれた、多国籍・多宗教の神々の連合体である。

 この寄せ集めこそが、日本の宗教文化の本質を示している。

 異なるものを排除するのではなく、習合させる。矛盾を解消するのではなく、共存させる。出自を問わず、「福をもたらす」という機能で統合する。

 七福神という民間信仰は、このような日本的な宗教性の結晶なのだ。

 そして、その七福神の中で唯一「日本産」とされる恵比寿が、実は最も正体不明であるという逆説。

 最も身近な神が、最も謎めいている。最も日本的な神が、最も「外」から来た神である。

 恵比寿のこの逆説こそが、七福神という信仰の——そして日本の宗教文化の——核心を照らし出しているのかもしれない。


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 シリーズ完結


 「神話の源流を探る・七福神篇」全三話、これにて完結。


 第一話「七福神はいかにして生まれたか——室町サブカルチャーの福神パッケージ」

 第二話「弁財天はなぜ蛇を頭に載せたのか——習合の見本市としての女神」

 第三話「恵比寿はどこから来たのか——海から来る神、記紀にいない神」


 宝船に乗った七福神は、今も正月の夢に現れ、福を運んでくる。六百年の時を経て、なお生き続ける民衆の信仰。その源流を探る旅は、ひとまずここで終わりとする。

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【神の源流】七福神③ 恵比寿 くるくるパスタ @qrqr_pasta

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