第5話:不協和音



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### **第五話:不協和音**


地獄、という言葉が、これほど似合う場所もないだろう。


TwinSparkとしての、最初のレッスン。

だだっ広いスタジオに、振付師の苛立った声と、安っぽいダンスミュージックだけが響いていた。


江藤小百合は、完璧だった。

一度見ただけの振り付けを、寸分の狂いもなく再現する。その動きは、しなやかで、美しく、まるで、音楽そのものが形になったかのようだった。


鈴木絵里奈は、正確だった。

感情の乗らない、どこか冷めた動き。しかし、その基礎は確かで、大きなミスはしない。プロとして、最低限の仕事を、淡々とこなしている。


そして、相田詩織は、絶望的だった。

右と左を間違え、リズムから遅れ、ステップはもつれる。

彼女一人のせいで、レッスンは、何度も、何度も、中断された。


「――はい、ストップ!」

振付師が、うんざりしたように手を叩いた。

「相田! また違う! さっき、言っただろ!」

「す、すみません……!」

詩織は、俯き、消え入りそうな声で謝るのが精一杯だった。


スタジオの隅で、その様子を腕組みしながら見ていた小百合が、ついに、静かに口を開いた。

その声は、冷たく、刃物のように鋭かった。


「ねえ。いつまで、同じところで間違えるつもり?」


空気が、凍りつく。


「こっちの身にもなってよ。時間の、無駄なんだけど」

突き放すような、その一言。

詩織の瞳に、涙が滲んだ。


これまで、冷ややかに傍観していた絵里奈が、その言葉に、反応した。

それは、かつて同じように必死だった自分を、そして、純粋すぎるこの少女を守りたいという、無意識の庇護欲からだったのかもしれない。


「言い過ぎよ、小百合ちゃん。詩織だって、必死に頑張ってるんだから」


その、絵里奈の「甘さ」を、小百合は見逃さなかった。

彼女は、絵里奈が抱える、最も触れられたくない傷の核心を、的確に、そして、残酷にえぐった。


「……甘いのよ、絵里奈さんは」

小百合は、ゆっくりと絵里奈に向き直る。

「そういうところ、昔から、変わりませんね」

「……何が言いたいの?」


「だから、ソロでうまくいかなかったんじゃないですか?」


その一言は、毒矢のように、まっすぐ絵里奈の胸に突き刺さった。

彼女の顔から、血の気が引いていく。

唇を、噛みしめ、何も、言い返せない。


「馴れ合いは、結構。私は、売れるために、ここに来たの」

小百合は、そう言い放つと、再び鏡に向き直った。

「足を引っ張る子は、いらない」


詩織は、自分のせいで、二人の間に、修復不可能な亀裂が入ってしまったのを感じていた。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

声にならない謝罪を、心の中で繰り返しながら、彼女は、たまらずスタジオを飛び出した。


重い扉が閉まる、乾いた音だけが、後に残った。

絵里奈は、俯いたまま、動かない。

小百合は、鏡の中の自分を、ただ、冷たく見据えている。


三人の少女の心は、まだ、一度も重なり合うことなく、バラバラに砕け散っていた。

マネージャーの山田里奈は、その光景を、ただ、無力に見つめていることしか、できなかった。

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「10年分の嘘に、最後の歌を。」 志乃原七海 @09093495732p

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