後編:俺たちはどこまでも『時代遅れ』な存在なのか
かつて、とても悲しいことがあった。
三百年前の、日本が江戸時代だった時のことだ。
「どこかなあ、どこかなあ」
正月の夜に、俺は街道で声を上げていた。
「何か、お困りごとでも?」
若い女性が立ち止り、何事かと問う。
「どうも、『顔』をなくしてしまったみたいなんだ」
いつも通りに、俺は自分の姿を見せてやった。
次の瞬間、悲鳴が轟いた。
「え?」としばらく固まっていた。
なぜ、俺を怖がるのか。
目も鼻も口もない、『のっぺらぼう』の顔。でも、『俺』のそんな顔自体が『喜ばれるもの』のはずなのに。
これが、時代が変わるということなのか。
その頃から、俺はどんどん忘れられていった。
一方で、新しい名前を付けられた。
妖怪『のっぺらぼう』と。
今日は一月一日。本当だったら、めでたい日のはずなのに。
「お父さん、なんだよね? 間違いじゃないでしょ?」
綾子が俺の腕を引く。
どう、答えるべきなのか。まだ、この母子の思惑がわからない。
「そうだ。いい方法がある」
俺が黙りこくっていると、寛三が高い声を出す。
「快治の奴、昔から『木登り』が得意だった。それで確かめられるんじゃないか?」
綾子も母も、怪訝そうな顔をする。
「この彼が快治なら、その辺の木だってすいすい登れるはずだ」
寛三は勝手に話を進め、近くの街路樹を手で示した。
「いや、今はスーツだから」
俺の自慢の一張羅。木登りなんかしたら滅茶苦茶になる。
寛三からは距離を置き、マンションの方へと歩いていく。ちょうど住人が帰ってきた時間のようで、白いコートを着た女性が入口に向かっていくところだった。
若い女性、とつい心が動いてしまう。
かえすがえすも、ターゲットを間違えた。もっと別の場所で『仕事』をしていたら、きっと綾子に遭遇することもなく、素敵な悲鳴を聞けていたのに。
やれやれ、と綾子の方を振り向く。彼女はきょとんと目を見開き、俺を見つめていた。
その瞬間に、ぐらりと心の中で何かが動いた。
「あれ?」と咄嗟に、綾子へ一歩距離を詰める。不思議そうに彼女は首をかしげた。
なんだろう、と芽生えた感覚に向き合おうとする。
この感じ、覚えがある。もうかなり昔に、同じ想いを経験している。
そう、これは『あの時』と同じ。
直後に、頭の中に熱が籠る。
「もしかして」と呟きを漏らす。
俺はずっと、『大前提』を見誤っていたらしい。
「これって、要は『そういうこと』なのか?」
『あの時』に綾子はおかしな反応を見せた。
これまでのことを考えたら、絶対にありえないこと。
(のっぺらぼう?)
そう言って、首をかしげてみせた。
この一ヶ月、俺は何件も『仕事』をしてきた。
この『のっぺらぼう』と知られる俺の姿を、人々の前に何度も晒した。
(なんか、噂になってたから。『変な怪談』みたいに面白がる人もいたけど)
綾子も確かに、噂を耳にしていた。
それなら当然、知っているはず。『のっぺらぼうが現れた』と、人々が話していたに違いないのだから。
それなのに、彼女は『単語』を聞いて不思議そうにした。
これは、何を意味するか。
『時の流れ』というもの。
刑事はちゃんと知っていたが、若い世代は勝手が違うのかもしれない。
つまり、綾子の世代には『その話』が伝わっていない。
『のっぺらぼう』という妖怪話。
綾子たちは、『その話を知らない』のだと。
ジェネレーションギャップ、と呼べばいいか。
「綾子、答えてみてくれ。もしも俺が『妖怪』だとしたら、『なんていう名前』で呼ばれているか」
「え?」と綾子は顔を曇らせる。
この段階で、既に間違いない。
やはり綾子は『のっぺらぼう』という言葉を知らない。
都市伝説なんてものは今の世の中でも存在している。でも、そんな情報の渦の中で『のっぺらぼう』の名は消えている。
だから、綾子たちは『もっと別の何か』を連想していたのではないか。
もう、予想はついている。
「俺の姿を目撃した奴らは、俺のことを『なんていう名前』で呼んでいた? この、卵みたいなつるりとした顔で、目も鼻も口もない奴の名前を」
皮肉な話だと、改めて思う。
やっぱり、俺は古い存在なのだ。もう、数百年も昔の。
今の時代の人間たちは『のっぺらぼう』とは何かを知らない。
(あれも、こういう卵みたいな顔の化け物だとか)
その代わり、お誂え向きに『それっぽい姿』の化け物の話が伝わっている。
綾子は俯く。俺の問いに対し、答えることを拒否している。
「じゃあ、代わりに言ってやるよ」
刑事も名を口にしていた。答えと言ったらこれしかない。
「お前らは、『スレンダーマン』と呼んでいたんじゃないのか?」
スレンダーマン。
アメリカの方で出現したとされる都市伝説。
頭部は卵のようにつるりとしていて、目も鼻も口もない。
それでいて、手足がほっそりとして長い。
『スレンダーマンと遭遇すると、以後はしつこく付きまとわれる』
話としては、そのような特徴が伝えられているらしい。
スレンダーマンとは、『ストーキング』をしてくる怪異だと。
刑事もたしかに言っていた。
(はっきり言って、手も足も短い。スタイルもいいとは言えない。英語に直すと、『スタウト』とかになるのかもしれないな)
俺の手足が短いと、なぜか失礼なことを言ってきた。
そして『スタウト』という単語。これは『太った』とかを意味し、『スレンダー』の対義語となっている。
「つまり俺はずっと、『スレンダーマン』だと思われていた」
確認として、事実を読み上げる。
これが、綾子たちの気にしていたこと。
(そういう化け物の正体が元々は人間だった、なんて話もありましたね)
家にいた時、刑事もおかしな話を口にしていた。
「こういう話があるんだろう。死んだ人間が、スレンダーマンみたいな化け物に生まれ変わるかも、という話が。そしてそれが、『俺』なんだと思った」
問題となるのは、ここから先。
「俺がこの地域で活動し、『スレンダーマン』が現れたと思われた。そしてその近辺は、綾子の父親が死んだ場所とも近かった」
この事実が、きっと綾子を苦しめた。
「死んだ父親が『スレンダーマン』に生まれ変わり、活動をしてるんじゃないかと思った」
声に出すと、綾子は辛そうに顔を歪めた。
「そしてスレンダーマンとは、『ストーキングをする妖怪』と知られている」
この事実は、掘り下げるべきじゃないのかもしれない。
須藤快治には、きっと『意中の人物』がいたのだろう。
このマンションに住む誰か。落下の傷がないことから、おそらくは二階の住人。
木登りが特異な彼は、『特技』を生かそうとした。
もっと近くで、『その人』を見たい。マンションの外壁に付けられた雨どいを登り、部屋の中を覗こうとした。
その途中、『植木鉢』が落ちてきた。
ベランダの手すりにでも掴まっていたか。当然、よけきれない。
そうやって、『顔のない死体』が出来上がった。
「つまり、父親の名誉を守りたかったんだな?」
綾子は無言で頷き返す。
「父親が死んだ場所の近辺で、スレンダーマンが現れたという噂が流れた。もしも、死んだ父親がそれに生まれ変わったと見られれば、『ストーキングをしていたこと』が連想として出てくると気づいた」
これが、綾子たちの心の中にあったこと。
「だから、『顔を失った幽霊』として俺を家に連れ帰った」
ごまかすための行動。
そうやって、父親を『被害者』として終わらせようとした。
でもきっと、あの時の涙も嘘じゃない。ストーキング中に死んだことで、父親が『スレンダーマン』になったのだと悲しんでいた。
なんとも、哀れな話だ。
「そういうわけで、俺は君たちの父親なんかじゃない。この土地に来たのは偶然だ」
これで、問題は解決だ。
もう、この町も去るべきだろう。
綾子たちともこれでお別れ。二度とも会うこともあるまい。
そうやって、背を向けようとした時だった。
「あの、それじゃあ」
ポツリと、母親が口を開いた。
歩みを止め、俺はそっと振り返る。
「じゃあ、あなたは一体。『誰』なんですか?」
今更か、と笑いたくなる。
もう、俺が誰かなんてどうでもいいだろう。それでも、知りたいと思うのか。
本来なら『のっぺらぼう』と答えればいい。でも、それすら今は廃れている。
だったらいっそ、『本当の名』を告げてやるか。
「俺は、『福の神』だよ」
いつだって、俺の仕事は『ハッピー』と関わる。
これまで、日本人は正月になると『俺』の顔を必ず見ていた。
のっぺらぼうの顔。そこに、目や鼻や口という、いくつものパーツを並べていく。そうして出来上がった顔を見て、みんなで大笑いする。
『ふくわらい』という遊び。
そこに出てくる顔こそが、今の『のっぺらぼう』の顔だ。
人間たちがそんな遊びをすることで、俺たちの顔が作られる。そこで『福の神』として完成し、人々にハッピーをもたらす存在になれる。
だが、今は落ちぶれてしまった。
「顔をなくしてしまってねえ」
振り向きざまに『のっぺらぼう』の顔を見せ、人々に悲鳴を上げさせる。
現在の俺にできることは、ただ人を驚かせるだけ。
でも、これはこれで意味がある。
腐っても俺は福の神。
秋田のなまはげの風習のように『怖がって泣かせる』ことで厄払いをする。代わりに大きな幸福を訪れさせる。
(向かいの家のトシコさんは結婚が決まったって話してたし、ウチの学校のヤマゾエ先生なんて宝くじに当たった話までしてたのに)
俺と出会った人々は、もれなくみんなハッピーになる。
少しだけ、心残りではある。
綾子たち家族にも、ちゃんとハッピーを与えたかった。
「仕方ない」と俺は振り返るのをやめにする。
もう、父親の醜聞が広まることもない。今はそれだけを幸せと考えてもらおう。
それよりも、俺には確かめねばならないことがある。
『スレンダーマン』
俺と同じ、のっぺらぼうの顔を持つ者。遠きアメリカの地で活動しているという。
話を聞いてから、どうにも引っかかってならなかった。
変装して飛行機に乗り、俺は異国の地を訪ね回った。
なんとなく、予想はついている。
俺たちは福の神。でも、『俺たち』は平等じゃない。
俺たち『七人』の中には、悲しいほどの格差があるから。
この五人の名前だけは、多くの日本人が一度は耳にしたことがあるはず。
だが、残りの二人が問題だ。
この二名の名を言える奴は、基本『物知り』と認定されていい。
「悲しいな」と俺は呟く。
現在の俺は『のっぺらぼう』。でも、日本人がもっと『ふくわらい』で遊んでくれて、ちゃんと俺の顔を思い出してくれれば、目鼻を持った福の神になれるのに。
だからきっと、『あいつ』も同じに違いない。
渡米してから一ヶ月。州から州へと廻っていき、俺は噂を追い続けた。
そしてようやく、『発見』できた。
悲鳴が聞こえる。若い女性が必死になって逃げていくのとすれ違った。
「フハハハハ」と高笑いが聞こえる。女性を煽るように、背後からゆっくり迫っていた。
「あ」と俺は声を上げる。
「え?」と相手もすぐに足を止める。
スレンダーマン。目も鼻も口もなく、卵のような頭を持つ。黒い上下のスーツに、ほっそりとした長い手足。
ほんのりと、胸の奥が熱くなった。
今の俺に目があったら、きっと涙が出たに違いない。
「よお」と俺は右手を掲げる。
ポカンと、相手はしばらく立ち止まっていた。
やがて、力が抜けたように身を震わせる。
「まさかお前、
あっさりと、相手は名前を言い当てる。
スレンダーマン。多くの人間を恐怖させる、米国の怪物。
遠い異国の地で、俺は『友』と再会できた。
「
(了)
妖怪のっぺらぼうと顔のない殺人 黒澤 主計 @kurocannele
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