「余白の声」第11話「中立」という言葉が免罪符になるとき

秋定弦司

――中立とは、判断を放棄しないという姿勢

 「中立」というお言葉は、たいへん整った概念でございます。


 どちらにも属さない。

 どちらにも関与しない。

 その姿勢自体は、否定されるものではございません。


 ただし、何もなさらないことと、管理していることは、まったく別の行為でございます。


 前者は放置であり、後者は判断でございます。


 わたくしは、誰の側にも立っておりません。

 それは事実でございます。


 しかし同時に、自分の名で呼ばれる場所、自分が関与している領域を、無管理のままにするつもりもございません。


 境界は、引くだけでは意味を成しません。

 維持されて、初めて境界となります。


 善意は、しばしば管理を不要とする理由に使われます。


 「悪意ではない」

 「好意から出たものだ」


 そのような言葉は、行為の結果を消してはくれません。


 善意であっても、越えてよい線と、越えてはならない線がございます。


 沈黙は、慎重さと混同されることがございます。


 ですが、状況を認識した上での沈黙と、判断を放棄した沈黙は、同じではございません。


 後者は、結果として、現状を固定する力として働きます。


 わたくしは、どこにも属しておりません。

 ただし、境界の所在だけは、明確に把握しております。


 一線を越えられた場合、理由の説明はいたしません。

 感情の表明も行いません。


 それは対立ではなく、管理上の処理でございます。


 これは主張ではございません。

 警告でもございません。


 ただ、この範囲は管理下にあります、という事実の提示でございます。


 中立であるためには、判断を放棄しないこと。


 それだけのことでございます。

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