その街には、別の国にルーツを持つ人々がいる。
事件を起こすこともある。
そこへ偏見も向けられる。
街には不良と呼ばれる若者たちもいる。
夜な夜な騒ぎを起こす。
普通から外れた、当たり前とは違う者たちだ。
違いは、偏見という言葉だけで片づけられることばかりではない。
違いは確かにある。
人は、誰もみんな違う。
そして、人は誰も間違う。
様々な人々がその街で生きている。
矜持を持つ者、流される者、なにも感じない者。
街の中では誰もが同じ夜をやり過ごす。
夜の街角を歩く時間のように。
違うことは、悪ではない。
ただ、違うから理解できないこともある。
それでも、理解できなくても、
肩を並べることはできるだろう。
作中では、幾つかの外国語で〝ありがとう〟という意味の言葉が並べられていた。
発する音は違っても、そこに宿る気持ちはみんな同じだった。
本文を読み進めるごとに、ここで描かれる街は〝不良たちの物語〟を綴ってきた作者の心の居場所。記憶の現場なのだと思えた。
このエッセイを読んだ後は、心の片隅があたたかくなった。
きっとそれは、誰もが持つ良し悪しを超えた思い。
その場所で生きることへの思いだったのだろう。
著者の紡ぐ言葉には、剥き出しの日常をそのままに受け止める、強靭な「静寂」が宿っています。
多種多様なルーツが混ざり合い、生と死、祈りと喧騒が背中合わせに存在するこのまちを、著者はけっして遠くから眺めてはいません。
殺人事件が起きたアパートの静けさや、夜道を震わせる爆音、そして異国の言葉で交わされる「ありがとう」の響き。
それらを等しく、逃れられない人生の断片として見つめる眼差しは、鋭くもどこまでも誠実です。
光と影のコントラストをありのままに描き出す筆力にも圧倒されます。
凄惨な事件や社会の隙間に生きる人々の体温を、美化することも卑下することもなく、ただ「厳然たる事実」として定着させるその文体には、ハードボイルドな気品が漂っています。
この世界を、きれいごとではない「美しさ」で塗り直してくれる、稀有なエッセイです。
日本という国は、色々世界基準から逸脱しています。
まるで軍隊レベルと称される程度に真面目で規律正しく統制の取れた行動ができ、また物事に要求するクオリティ基準も非常に高く、色々ルールに細かいです。
そんな日本からすれば、諸外国の人々は逆に異質に見えます。
ひどくルーズに見えたり、仕事が雑だったり、ゴミ捨てのルールが守れなかったり。
だから、日本という国に外国人が住もうと思うと、あまりに厳し過ぎる社会システムに、なかなかなじめなかったりするわけです。
そうはいっても、日本で暮らす以上はそのルールに従ってもらわねばならないわけですが。
「知らなかった」「母国では普通のこと」でルール違反、特に犯罪をやっていいわけじゃありませんからね。
日本を基準とするのか、世界を基準にするのか。
様々な文化が入り混じる混沌とした街でしか見えないものが、確かにそこにある。
そんな独特な空気感が感じられる、作者様のルーツを感じるエッセイでした。
レビュワーが初めて、終電を逃した後呆然と、新大久保と呼ばれる街に足を踏み入れたときは唖然としたことを覚えています。
当時は二十歳そこそこで、何も知らなかった私は日本の、それも東京の、それも新宿にこんなに近い場所にこんな世界があった、なんてことを知らなかったのです。
こちらのエッセイを書かれた作家先生の住んでいた町は、より多国籍だったようでして。
日常的に海外からやってきた方と接する事が多かったのだとか。
作家先生は、このまちで生活し、空手を習いながら暮らしているのだそうです。
市から配られるゴミ袋には、
英語、日本語、スペイン語、ポルトガル語、タガログ語、ベトナム語、中国語が書かれていたそうです。
悲しい事件も起きます。発砲事件などの、物騒な事件も起きますが、
出身国は違えども彼らも人間。
笑もすれば、お礼を言ったりも当然します。
このエッセイは、そんな私たちがまるで知らない非日常を覗ける小窓となってくれそうです。
ご一読を。
昔々、自分が子供の頃は、日本はまだまだ単一民族国家だった。
近所に外国人はほとんどおらず、外国人のような風貌の日本の子供は学級でいじめにあった。そんな時代を経験したが、数十年で世の中は様変わりした。
ネットの普及、スマホの普及、海外渡航が珍しいことではなくなり、自分と世界の距離がぐっと縮まった。そんな時代の流れを経てのいま。
外国人との共生が当たり前になり、日本人間での価値観の共有もなくなった、個の時代である。
筆者のリアルに基づいたこの話は、我々の日常の一部と必ず繋がっている。
ここで京都の町屋文化のような、お節介愛を外国人の方々が実践していることに新鮮さを感じた。
これは日本人が忘れかけているものに違いないから。
スクリーンを離れて、隣人と話そう。外国人だからではない。日本人ですら外国のように離れてしまった心を、もう一度繋ぐ行為に違いないから。
素敵なエッセイでした。