第一話【リゼットの新・魔法生物図鑑】(例)

​① 【狭間の日常】 ―― 物語を持ち込む者たち

図書館の窓の外では、今日も「星の川」が音もなく流れている。


アルカは司書が淹れてくれたコーヒーを啜りながら、手元にある古い羊皮紙を眺めていた。まだ馴染めないこの平穏な時間が、彼には夢のように思えた。


​「お待たせしました! 皆さん、見てください。今日一番の掘り出し物です!」


 ホールに響いたのは、バイヤーの少女、ニナの弾んだ声だった。彼女の手には、淡い黄金色に拍動する、小さな多面体の結晶「物語の結晶」が握られている。


​「ほう、随分と温かい色をしているな。」


 カウンターの端でパイプを燻らせていたハンターのグズマンが、目を細めた。


(小さな声で)「ゲッ!グズマンさん、また来てたんですか?本当に暇人ですね。」


「聞こえてるぞ、ニナ!」


「ひっ、ごめんなさぁーい!!……それより、これですよこれ!リゼットという名の少女が、世界を救うためではなく、ただ『知りたい』という純粋な願いで綴った記憶の欠片なんですよー!」


ニナは司書へと結晶を受け渡しながら説明する。司書テーブル中央の観測台へとその結晶を静かに置いた。


​結晶が台座に触れた瞬間、ホールの空中に光の幕が広がり、鮮明な情景が映し出された。


図書館の静寂は、ざわめく森の葉擦れの音と、むせ返るような花の香りに塗り替えられていく。


​「……っ、風が……吹いている!」


アルカは思わず顔を覆った。ホールの中心には、リゼットの住む辺境の風景が、本物と見紛うばかりの立体的な情景として顕現したのだ。


​② 【観測の儀】 ―― 物語の記憶

​映像の中心にいたのは、一人の少女だった。

魔法生物学者のリゼット。彼女は、大きな耳を持つ相棒のフゥと共に、草むらに這いつくばって何かを凝視している。

その視線の先に、一匹の「ウィンド・アゲハ」が舞い降りた。


羽ばたきは驚くほどゆっくりで、優雅だ。黄金の鱗翅が陽光を弾き、まるで空気そのものを味方につけて滑空しているかのような、不自然なほど安定した飛翔。


​「見て、フゥ。……今、鱗粉が光ったわ。」


リゼットの瞳が、その羽ばたきの一挙手一投足を、宝物を見つけた子供のような純粋さで追いかける。彼女が自作の装置で捉えたのは、単なる現象ではない。


​夜の帳の中で、誰にも知られず環境の魔力を自らの翅に「チャージ」し、朝日と共にそれを解き放つ。


それは、過酷な自然の中で、生命が生き延びるために編み出した、合理的で逞しく、そしてあまりに美しい「生存の知恵」だった。


​「やった……! やったわ、フゥ! やっぱり私の仮説は正しかった!」


​謎が解けた瞬間の、震えるような歓喜。


顕微鏡の奥に広がるミクロの宇宙――輝く鱗粉の先端に残る魔力の痕跡――を見つめるリゼットの瞳には、この世界の「当たり前の不思議」に触れられたことへの、深い敬意と喜びだけが溢れていた。


​リゼットが相棒のフゥを抱き上げ、頬をすり寄せる。

 

――

その瞬間、彼女たちの周りに溢れる「未知を解き明かした喜び」の熱量が、観測しているアルカたちの肌をチリリと焼くほどのリアリティを伴って伝わってきた。それは、灰色の世界で生きてきたアルカが、一度も触れたことのない「生命の熱」だった。



​③ 【対話】 ―― 観測者たちが触れた熱量

​「……信じられない。これが『研究』だというのか。」


アルカが呆然と呟く。


「僕の世界では、魔法はただ振るわれる力だった。でも、リゼットさんは一つひとつの現象を論理で紐解いている……。便利な魔法で片付けないこの『泥臭さ』が、発見の瞬間にこれほど凄まじい快感を生むなんて!」


​「だろう? アルカ。この『魔法を自然の一部として定義する』感覚がたまらないな。」


グズマンがパイプを揺らし、身を乗り出した。


「ただの空想じゃない、筋の通ったリアリティがある。俺たちハンターから見ても、この観察眼と危機管理能力は一級品だ。次はどの生物をどう仕留める……いや、観察するのか、ワクワクが止まらねぇな!」


​「もう、グズマンさんはすぐ野蛮なこと言うんだから!」


ニナが頬を膨らませて割り込む。


「リゼットさんの凄さは、その観察から新しい『道具』を自作しちゃうところですよ! 既存の魔導具に頼らない、あの柔軟な発明……。もう、バイヤーとしてあの設計図を買い取りたいくらいです!」


​ 活発に意見を交わし合う彼らの横で、コギトが膝の上の植物を優しく撫でた。リゼットの歓喜に共鳴し、オレンジ色の花が静かに、けれど力強く開く。


​「……うん。みんなの言う通りだね。」


 コギトが落ち着いた、静かな声で言葉を添える。


「……アルカさん、見て。この記録の最後、僕たちが自分の場所で試せる『実験』の知恵まで添えてあるんだ。物語を持ち帰って、自分の手で世界に触れ直せるなんて……なんて贅沢な贈り物だろう。」


​④ 【製本と収納】 ―― 宝石として、棚に収める言葉

​「ベルベット、お願いします」


​司書の言葉を受け、ベルベットが静かに立ち上がった。彼女は結晶を手に取ると、作業台の上でじっとその輝きを検分する。


​「……いいわ。一文字たりとも無駄がない、極めて研ぎ澄まされた文体。この密度の高い知性を綴じるなら、生半可な装丁じゃ物語が負けてしまうわね。」

 

​ベルベットは銀の針を構え、空中に漂う光の糸を器用に絡め取っていく。


​「既存の魔法に頼らず、フゥの耳をヒントに装置を組み上げるような柔軟な発想……。その『粋』な構成を活かすために、表紙は手馴染みのいい上質な革を使いましょう。ページをめくるたびに発見があるこの物語には、機能美と慈しみを両立させたこのデザインが相応しいわ。」


​彼女の指先が動くたび、空光が実体を持ち、白紙のページに文字が刻まれていく。やがて、温かな熱を帯びた、重厚で美しい一冊の本が完成した。


​司書はその本を受け取り、ゆっくりと巨大な書棚の前に立つ。


「この物語は……磨き抜かれた『クリソベリル・キャッツアイ』の輝き。鋭い観察眼という光の筋が、不思議に満ちた黄金の世界を貫いている。」


​司書が本を棚に収めると、一筋の流星が図書館の天井を抜け、どこかへと流れていった。

​⑤ 【余韻】 ―― 夜空へと消える流星

​観測会が終わった後、アルカはニナに尋ねた。


「彼女の図鑑は、まだ続きがあるのかい?」


「ええ、もちろん! 次は水辺の生き物を調べるみたいですよ!」


ニナは自慢げに笑い、再び次の物語を探しに影の中へと消えていった。


​アルカは手帳を広げ、今日見た「黄金色の羽ばたき」を忘れないよう、一文字ずつ丁寧に記した。


世界を救う方法は、力による制圧ではなく、リゼットのような「理解」の先にあるのかもしれない。そんな予感に、彼の心は少しだけ軽くなっていた。



​⑥ 【物語の在処】 ―― 紹介作品の詳細

*****

​紹介作品:ましろとおすみ様『リゼットの新・魔法生物図鑑』

https://kakuyomu.jp/works/822139839580118392


知的好奇心を刺激する、緻密で美しい世界をぜひ体験してみてください!

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