E-2


 銃声が轟くその瞬間、仲間たちに緊張が走る。

 狩りという自分たちが生きるための行動が、外敵を呼び寄せることにもなるのだ。

 罠にかかってくれる獲物は小さくて、それだけでは腹を満たせない。感染への恐怖がなくなったところでこの世界が優しくなるわけではない。

 

 何かと銃の扱いに慣れている僕は、独り立ち前にしては異例なほどよく狩りの見張り役を頼まれる。人に誇れる特技ではないけれど、役に立てるのは純粋に嬉しかった。

 曇り空の下、散弾銃を手にして周囲の警戒を続ける視線の先でクレイのオレンジ色が動くのが見える。彼はまた狩りについてきた。マフラーのおかげで余計に花弁の色が目につくので、遠くへ行かないよう気を配りやすい。プレゼントしたのは正解だったと思う。

 そんなことを考えているうちに、オレンジ色がこっそり視界の隅に移動していく。僕は目だけでそれを追い、小さくため息をついた。


 クレイは手にした双眼鏡を覗きながら、都度地図に何かを書き込んでいく。彼は仲間たちに、「ちょうどいい狩場を探している」と話していたが……探しているのはハンターの拠点だろう。

 何気なく近くに歩み寄り、驚かせないくらいの距離で彼の名を呼んだ。


「何してるの」


 白々しく訊ねてみる。彼は双眼鏡をリュックにしまい、肩をすくめた。


「エディは、クリーチャーを殺したことあるか?」


 僕の質問には答えず、代わりに訊ねられる。彼の視線の先を追いながら、「あるよ」とだけ答えた。

 自我を失い襲い掛かってくる感染者……いわゆるクリーチャーを殺すことは、この世界では珍しくない。もちろん、ないほうがいいけれど。


「そうか。きみが無事でよかったよ」


 こちらを見ずにそう言う彼に、僕は小さく笑った。

 足元に縋り付く男の姿が脳内で再生される。記憶の中で鳴り響いた銃声に目を伏せた。


「『人間は?』って、訊かないんだね」


 ようやくクレイの視線がこちらを向いた。軽蔑でも嫌悪でもないその瞳はまっすぐで、眉だけが彼の困惑を表すように歪んでいる。


「そう訊きたそうに見えたか?」

「少し」

 

 殺伐とした環境に長く身を置いていると、その純粋な復讐心は眩しいくらいだ。僕が銃を撃ち慣れていることについて、彼が興味を抱いているのはなんとなく分かる。


「……気を悪くさせたのなら謝るよ」


 僕ではなく彼が謝る。次はこちらが困惑する番だった。

 何度か目を瞬き、気まずさを感じて左腕をさする。今日はやけに冷たい風が吹くなと、そんなことを思った。


「いや、僕も嫌な言い方だった。ごめん」

「いいんだ」

 

 クレイはマフラーに口元をうずめながら目を細める。


「あいつら……抵抗もしない子どもの頭を撃ち抜いたんだぜ」


 彼の口から仲間を殺された時のことを聞くのは初めてだった。改めて、気の毒な話だとは思う。


「また誰かを失わないように準備するのは悪いことか?」


 すぐには答えず、地面で咲き誇る色鮮やかな花を見つめる。感染者の醜くなった姿が土へと還り、この現実離れした美しい花だけを残すのは――クレイが本心を隠しながら、訊き心地の良い言葉を並べるのに似ていた。


「いいや」


 ただ、それは彼だけでなく僕も同じだ。踏み込まないのは優しさなのか薄情なのか、分からない。


「きみが良ければ……手伝ってくれないか」


 乾いた風が彼の香りを運んでくる。人間を殺したがっている花の香りにしては随分心地いい。

 僕は短く息を吐いて、また遠くを眺めた。


「……聞かなかったことにする」

「エディ。頼むよ、きみだけなんだ」


 その途方に暮れた弱々しい声が苦手だ。他人に本心を見せるわけないと思うのに、彼のこれが嘘かどうかも見抜けない。

 きみだけだって? そんなわけないだろう。

 僕は笑いそうになる。


「ヒースがいるよ」

「あいつは……巻き込めない」


 苦々しい声に、ようやく腑に落ちた。冷えた森の空気を肺いっぱいに吸い込み、ゆっくり吐き出す。体の中で温められたその息が白い霧になって消えた。

 

「僕はヒースより人殺しが上手そうだからね?」

「そうじゃない。きみは頼りになるから。……分かるだろ?」


 とうとう口から笑い声が弾けた。心は動揺し切っているのに、理解が及ばないことが続くと脳が発作を起こすらしい。

 口の端が微かに震える。面白くないのに笑うといつもこうなる。


「全然分からない」


 クレイの顔に滲んだ歪みがどんな感情を示しているかも僕には分からない。思わず片手で顔を覆った。彼の視線から逃れたいというよりも、欠陥みたいな表情をさらし続けるのが耐えられなかった。


「ハンターは見つけられないって、ちゃんと諦めてくれるなら手伝うよ」


 しばらく顔を覆ったまま、沈黙に身をゆだねる。クレイは何と言うのだろう。ただ、彼を諦めさせる手伝いをするのは、我ながら理にかなっていると思えた。

 ここにいない白い花弁の彼が頭によぎる。ヒースにとっても……きっとこれが一番いい選択だろう。


 息を吐きながら手を下ろす。視線を上げると、相変わらず鮮やかな花びらが視線を奪った。遅れてその真剣なまなざしに気が付く。

 

「分かった。もしハンターを見つけても、きみを危険な目に遭わせるつもりはない」

「……そう」


 もう動揺することはなかった。考えるよりも行動する方がずっといい。

 遠くで仲間たちが呼ぶ声がする。今日はこれで切り上げるらしい。僕らはお互いに顔を見ないまま、黙って歩き出した。


「思ったんだけど、僕がヒースに嫌われるのはきみのせいでもあるよね」

「嫌ってるんじゃなくて、不安なんだよ」


 そこまで言い切るのに、不安にさせるようなことをなぜやめられないのだろう。たまにクレイがうらやましくなる。


「もしヒースがハンターを探すために外へ出ようとしたら止める?」

「ずいぶん意地悪なこと言うんだな」


 乾いた笑い声が上がる。気を悪くしたようではなかった。

 クレイがヒースの話をするとき、彼は少し煩わしそうに声を低くする。かといって拒絶ではないのが興味深い。


「あいつは外へ出ないよ。だからぼくも頼まない」

「ふぅん」


 全くもって、彼らが友情を保っているのが理解できない。その上で手助けする自分も相当だ。

 

「コミュニティへ戻る前に寄りたいところがある」


 いつもの調子を戻していたクレイはそう呟き、仲間たちのほうへ駆け出して何か話をしていた。時折こちらに向く彼らの視線から逃げるように、周囲を警戒するふりをする。しばらくすると、足音が戻ってきた。


「一時間だけならいいって。行こう」

「今から? 勘弁してよ……」


 わざと大きなため息をつく僕などお構いなしにクレイは足早に歩いていく。こんな個人行動が許されるのは、僕が付き添うからという理由が大きいのだろう。大人たちからの信頼は自由を勝ち取るには便利だけれど、同時に重苦しい責任が伴う。


「なんて言ってきたの」

「きみが気にしている狩場があるから少し見て帰りたいと頼んできた」

「……僕は狩場なんて気にしてない」

「みんな二つ返事だったぜ。もっと早くきみを連れ出すべきだったよ」


 手伝うと言ったのは軽率だった。まさかこれほど遠慮なく巻き込んでくるとは思っていなかったのだ。彼が「きみだけ」なんて言う理由はこれだったのだろう。確かに、外を自由に動くためのカードとして僕は万能だ。

 痛める心などないというのに、クレイの背中を眺めながらその真意を想像する。そこに友情でも見出したいのだろうか。


 前を歩くクレイは急に行き先を変えたかのように大きく左に曲がっていく。そちらは安全区域の外だ。振り返ってみると大人たちの姿はもう見えない。

 目的のためなら悪びれもなく嘘をつくその冷淡さは、ヘイブンで見せている無邪気な青少年とはまるで別人だ。ただ不思議と、それこそが彼の本質のように感じる。


「あそこだ」


 立ち止まった彼が進行方向を指さす。森を抜けたその先に、古びた小屋のようなものが見えた。遠く離れていても長く使われていない場所だと分かる。遮るものがないためあそこに行くのは不安があるが、外敵が近づくのもすぐに分かるからなんとかなるだろう。


「あれは?」

「ここが安全区域から外れる前に見つけたただの平屋。屋根の上からだと周囲が観察しやすいんだ」

「よく来てたの?」

「まぁね」


 急に歯切れが悪くなった。それを指摘することなく彼の後に続いて平屋に向かう。

 森を抜けたせいか一層風を感じた。むき出しの平野で、妙な動きをする物体がないかいつも以上に目を配らせる。散弾銃を持つ手の力が無意識に強くなった。

 ふと鼻をかすめた匂いに心臓が跳ね――僕は立ち止まる。


「この匂い……。感染者の死体かクリーチャーが絶対いる」

「ああ。見れば分かるよ」

「クレイ」


 制止の代わりである声も虚しく、彼は立ち止まることなく建物のほうへと向かっていく。少し苛立ちを覚えながら銃を構え、足早に彼を追い越して前に出る。

 聞こえるのは風の音だけだ。平屋は扉が開いていて、そこから甘ったるい強烈な匂いが溢れている。

 よく見れば木造の平屋は雨風にさらされほとんど朽ちていた。窓ガラスは割れ、それ以外にも壁が崩れている場所がある。何かがうごめく気配もなければ物音もしない。僕はそっと扉の中を覗き込んだ。


 むせかえるほどの甘い香りに鼻と口を覆い、眉を顰める。想像よりもひどい……いや、鮮やかだった。

 ダイニングと思わしき場所に、極彩色の花が咲き乱れている。蘆のようなものが床を覆いつくし、衣服のような布切れと、人間の骨らしき棒切れが覗いていた。


 一瞬――それが蠢く。


 僕は息を呑み、引き金に指をかける。葦の中から飛び出したのは――丸々太った小動物だった。

 鼠のようにも兎のようにも見え、花弁を蠢かせながら逃げていく……気分が悪い光景だ。僕は長く息を吐き出し、銃を下ろす。


 おそらく感染者がここにたどり着き、誰もいない空き家の中で成す術なく死んでいったのだろう。花の多さから、複数の感染者が死んでいると分かる。


「大方、どこかのコミュニティから追い出された感染者だろう」


 僕の後ろからずいぶん落ち着いた声がする。クレイはこの有様を見るのが初めてではないのだ。

 彼は中に入ることはせず、建物の裏手に回る。ついて行くと、屋根の上に続く梯子があった。


「ここから上に行けるんだ。様子を見てくるから待っててくれ」

「できるだけ早くね」

「分かってるよ」


 梯子の感触を確かめ、こちらはまだ頑丈だと確認して屋根に上っていく。その慣れた様子に、かなりの頻度で訪れていたのだろうと分かった。


 強烈な香りが苦手で、少し離れて周囲の警戒にあたる。時折屋根の上のクレイに視線を向ければ、彼は黙々と双眼鏡を覗き込んで地図に何かを書き記していた。その視線の先にハンターがいないことを祈るしかない。



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花人間のカルテ――解釈について 古屋いっぽ @1po

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