花人間のカルテ――解釈について

古屋いっぽ

Eddy:

E-1


 

 気になるもの。硝煙の匂い。

 嗅ぎなれているはずなのに、今もなお心をざわつかせる。

 ここに来る前の――発症者を二人殺したあの日を思い出す。植物と同化した僕をあれほど迫害してきたやつらは、自らが開花したとたん助けてくれと縋り付いてきた。自分もそれと似たようなものなのに、ひどく恐ろしく、引き金を引くことに迷いはなかった。


 気になるもの。白い花。

 甘い香りが鼻先をかすめ、少し苦みを残して去っていく。ここにはないその香りを記憶から手繰り寄せれば、自ずと心は静寂を取り戻した。

 木々に囲まれたこの場所から、周囲を注意深く見渡す。先ほど轟いた銃声に誘われた怪物はいないようだ。もとより安全区域でしか狩りはしないけれど、この世界ではその安全が保たれることは稀である。警戒を怠るわけにはいかない。

 

 

「エディ」


 名前を呼ばれて振り返る。途端、明るいオレンジ色の花びらが視界を独占した。

 今生活しているコミュニティの中で誰よりも鮮やかな花弁の髪を持つ彼は、どこにいても注目の的である。柑橘類のような甘く爽やかな香りに、少しだけため息をついた。


「また外に出てきたの? 目立つからやめろって言われてるだろ」

「『ヘイブン』の中でぼく以上に射撃がうまいやつはいないのに留守番なんかするかよ。この間手伝いに出た奴ら全員、弾を無駄撃ちしただけで何も獲ってこなかったじゃないか」

「自分は違うとでも言いたげだね」

「そりゃあ、もちろん」


 彼は白い歯を見せて笑うと振り返った。その視線の先には、鹿が一頭横たわっている。先ほどの銃声は彼のものだったのだ。

 状態を見るに、一発で仕留めたらしい。相変わらず見事なお手前だと感心している僕の様子に満足したのか、無邪気な笑顔をこちらに向ける。


「さすがクレイ。運ぶの手伝おうか?」

「ひとりで運べないってよく分かったな。頼むよ」


 皮肉っぽく言って、彼――クレイは仕留めた鹿のほうへと向かう。彼の花びらを風が揺らし、その冷たい風に体を縮めた。


「今年の冬はなんだか堪えるなぁ。エディがいたところはここよりも寒い?」

「さぁ……どうだったかな」

「はは、どうせ何も話してくれないもんな」

「憂鬱な話しかないからね」

 

 この世界には憂鬱以外のことの方が少ない。どこの暮らしも似たようなものであることはクレイも理解しているから、根掘り葉掘り聞かれることはなかった。

 僕は思い立って、自分の首元に巻いていたマフラーを外して彼に差し出した。以前いたコミュニティで支給されたもので質は良い。


「これ、きみにあげるよ」


 クレイは少しだけ目をみはり、すぐに困ったように眉を寄せる。受け取るべきか迷っているのだろう。


「この間の射撃テストでトップだったお祝いがまだだったよね」

「お祝い? これが?」


 目じりを下げる人懐っこい笑みを浮かべながら、クレイはマフラーを受け取って首に巻いた。首元を黒いそれで覆われると、余計に彼の花びらの色が映える。


「じゃあ、ありがたく受け取ることにする。返してほしいと思っても遅いからな」


 顔を見合わせて笑い、ふたりでコミュニティへ向かった。


 人の気配のない道の途中、異様に鮮やかな草花が地面に広がっている場所が嫌でも目に入る。

 あの下には、もとは人間だったものが土に埋もれているのだろう。雪が降ってもおかしくないこの寒さの中で、決して枯れることなく咲き続けるそれは気味が悪い。

 とはいえ、化け物になって徘徊するよりはずっとましだ。


 ――僕が生まれる前は、人間が花を咲かせることはなかったらしい。


 身体中を花まみれにして襲いかかってくる怪物が感染者の成れの果てと聞いたときは戦慄したけれど、それもすぐに見慣れてしまった。

 そしてクレイのように花弁の髪をもつ植物と同化した花人間も珍しくない。彼らはウイルスに抗体を持つ――適合者と呼ばれていて、人として普通に生活している。


「見ろ、みんな驚いてる」


 弾んだクレイの声に思考は途切れ、我に返る。コミュニティの出入り口のところにいた仲間たちが、僕たちが持ち帰ってくる鹿を見て感嘆の声を上げていた。

 

 周囲を高い鉄の壁で囲まれた小さなこの町が僕の住処。

 半年前に訪れてから暮らすようになったこのコミュニティは、今までいた場所よりもずっと生きやすい。

 ここは適合者だけが暮らす社会だからそれも当然かと思ったが、人間と適合者が共存する町など信じられないと驚かれたから、どちらが少数派なのかは分からなかった。

 

 門を抜け、僕たちは同じ家へと向かう。町の子どもは『ヘイブン』と呼ばれるその場所で共同生活をしているのだ。

 十八歳までをそこで暮らし、独り立ちして町を維持するため働くか、より専門的な知識をつけるための教育を受けるか……この町の進路はシンプルでありがたい。

 僕は頭で考えるよりも体を動かすほうが性に合っているので、こうしてよく狩りや周辺のパトロールに出かけている。

 ただ、クレイは目立つ見た目と香りのせいもあってか、外に出ることは避けるように言われていた。

 

「クレイは……十八になったらパトロール隊を希望するんだっけ」

「ああ。一年後が待ち遠しいよ」


 少しだけ、彼の微笑みに影が差した。そのことを指摘するつもりはない。


 狩りの手伝いを終え、ヘイブンの食堂へ向かった。ちょうど昼食の時間なので、空腹に効く匂いが漂ってくる。今日のメニューはシチューだった。冷えた体にはありがたい。一人分の食事を受け取って、クレイと並んで座った。


「きみは頭がいいから、わざわざ外に行かなくてもいいんじゃない」

「冗談。壁の中でお勉強したって、ハンターから仲間は守れないだろ」


 適合者を殺し、その花弁と貴重な物を取引する人間のことを、彼らはハンターと呼んでいた。外には化け物以外の危険もあるわけだ。

 クレイは一年前、外にいたところを襲撃され――そこで仲間を一人殺されたらしい。本人は隠し通せているつもりのようだけど、彼が時折見せる影の正体は、この出来事に対しての憎しみだと僕は思っている。

 

「またヒースが心配するよ」


 何気なく彼の幼馴染の名前を出す。クレイは困ったように笑った。二人も以前はここと別のコミュニティで暮らしていたそうだが、感染してしまったヒースが殺されないよう一緒に外へ出てきたらしい。

 友人同士が適合者として生き延びるのはとんでもなく幸運なことだが、そうした稀な境遇でなくとも、彼らの絆は特別なものに見えた。


「クレイ」


 ちょうど考えていた相手の声に驚き、つられて顔を上げる。細かく金の混ざった白の花弁が視界に広がった。ヒースは目を細め、不安そうな表情でクレイを見つめている。


「また狩りについて行ったのか」

「別にいいだろう? エディも一緒だったし」


 ようやくヒースの視線がこちらを向く。あからさまに嫌な顔をされた。こうなるのが分かったから、クレイと外で過ごすのが嫌だったのだ。


「……クレイが外に出るのを止めてくれと頼んだだろ」

「僕が連れて行ったわけじゃない」


 事実であるのに彼は納得しない。返事をせずに向かい側に座って食事を始める。

 相変わらず神経質そうな顔を盗み見た。彼のような白い花弁をした適合者には出会ったことがない。もっと色鮮やかな花人間は大勢いるのに、その姿だけがなぜか一番綺麗に見える。僕には少しもない色だから、そう思うのだろうか。


「それ、暑くないのか」


 気まずくなってしまった空気を変えようとしたのか、ヒースがクレイに訊ねる。そこで、彼がまだマフラーをしたままだったことに気づいた。

 指摘されたのが意外だったのか、クレイは慌ててマフラーを外す。


「あぁ……外が寒かったから忘れてたよ」

「確かに最近はよく冷える……そんなの持ってた?」

「これ? エディがくれたんだ。ほら、この間射撃の成績がトップだっただろ? そのお祝いにってさ」

「……そうか。よかったな」


 声が少しだけ小さくなった。彼が抱く僕への嫌悪感は直接的ではないからこそよく感じ取れる。こちらに悪意も敵意もないことをそれとなく伝えようと頑張っているけれど、今のところ手応えはない。

 すっかり会話がなくなってしまった中で、スプーンが皿に当たる音だけが響く。他のみんなは楽しげに食事しているのに、どうして僕らは三人揃うとこうなるのだろう。

 さっさと食事を終えて席を立つ幼馴染の後姿を見ながら、クレイは肩をすくめた。


「きみの話を出すといつもああだよな。もう半年たつのに、まだ警戒してるらしい」

「花が咲かない花人間なんて見たことないからね」


 どこにいても異端であるその象徴に触れる。僕の髪は花弁ではなく、茎と葉、そして咲く気配のない蕾の混ざったものだった。


 感染に気付いたのはもう五年前になるだろうか。僕は死なずに適合者と呼ばれることになったけれど、未だに花人間とは呼ばれない。


「確かにきみの見た目はユニークだけど、ぼくたちだって十分奇妙な姿だろ。あいつはなんでも……心配しすぎなんだ」

「まぁ、クレイの髪はすぐ適合者だって分かるくらい目立つからね」

「きみも外に出るなって言うのかよ?」

「そうじゃないけど……ヒースが心配するのも理解できるってだけ」

 

 怪物になるかもしれない感染者と一緒に逃げてくれる友人なんて、世界中を探してもきみくらいだろう。そんな友人の身ならば案じたくもなる。声には出さず、僕はただ肩をすくめる。


 ――彼らの友情は、花人間よりもずっと不可解だ。

 

 クレイの行為にヒースが感謝をしているのは間違いない。ただ、彼らの絆は自己犠牲でもなく、献身的でもない。むしろお互いを鬱陶しいとすら思っている。それなのに、どちらが離れていくこともない。

 彼らの友情の間に入る隙がないのを寂しく思うときはある。同時に、彼らを見ていると、世界が隠してきた宝箱を見つけたような弾んだ気分にもなる。僕はそれをとても気に入っている。

 

 ただ最近……クレイは以前にも増して外に出たがるようになった。


 何も起きなければいいのだけれど。


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