第3話 だって世界は素敵なもので溢れてるもの

 カオが秦夜の家にやってきてから、二か月近くが経った。

 カオの自分磨きは回を重ねるごとに上手くなり、秦夜もカオの変わりようを楽しみにしながら毎日朝練に出かけて行った。


 カオは街へ出向くたびに、イルミネーションが増えていくのを感じていた。

 行きつけの服屋の前には赤と緑と白のトリコロール装飾が彩られ、豪奢なパティスリーの前にはケーキの予約の旗が靡き、そして街中のモミの木には明滅するLED電飾と星が飾られている。

 日常は、死者の日ハロウィンから降誕祭クリスマスへと移ろっていく。


 クリスマスを目前に控えたある日のことだった。

 秦夜の部屋に、一人の女の子が入ってきた。お互いため口で話している。おそらく秦夜と同年齢だろう。秦夜が女の子を部屋に入れるなんて珍しいとカオは思った。女の子が部屋に入ると、秦夜は戸棚に隠しておいた黒い紙袋を彼女に渡した。女の子は喜んだ。

 秦夜の表情が、曖昧な優しさから、はっきりとした喜びへと変わる。


 カオは、その一瞬を見逃さなかった。――彼には、好きな子がいる。

 カオが自分の恋は叶わないと悟った瞬間だった。苦い痛みと、薄々分かっていた結末に、カオは目を閉じる。

 その瞬間、カオの耳を突き刺すような一言が、女の子から発せられた。


「男の子がそんなもの好きなの、気持ち悪いんだよ」


 目を開けると、女の子がカオを指さして秦夜に訴えていた。

 声色は諭すようだった。

 けれど、カオに向けられた彼女の目は、露骨な嫌悪と憎悪に塗れていた。

 瞳孔の奥で、はっきりとした言葉が蠢いている。

 ――人形が、私の彼氏に色目使ってんじゃない。


「捨ててきてよ」

「分かったよ」


 女の子の願いに、秦夜は否応もなくそう答える。

 声はなくても、胸の奥で何かがひび割れる音だけは、はっきり聞こえた。

 秦夜がこちらへやってくる。彼は、少しだけ視線を泳がせてから、カオを抱き上げた。そうして、階段を下りて、家の前のゴミ捨て場へとカオを運んだ。


 秦夜は、女の子が家の中にいるのを確認して、カオに耳打ちした。

「ごめんね。ほんとは……君のこと、すごく可愛いと思ってたんだ。でもさ」

 一瞬、言葉を探すように間が空く。

「男が人形持ってるの、気持ち悪いんだって」

 秦夜はそう言って、カオを、ごみ袋の山へ投げた。

 衝撃で身体が転がる。

 冷たい雨が、髪を濡らしていった。


「ね、あの人形捨ててくれた?」

「うん、捨てたよ」

 秦夜と入れ替わりに、女の子が家から出てきた。

 女の子はカオの身体を眺めると、着飾った部分をめくりあげ、身体に走る痣のような汚れを見た。そして汚いものを触ったかのように手を生垣の葉っぱで拭う。

 そして、カオと秦夜の家を交互に見やった。


 女の子は秦夜が家に戻ったのを安心した様子だった。彼女は、カオに向き直る。

 続いて、女の子が、思いきりカオを蹴った。

 陶磁器の身体は、あっけなく砕け散った。


「きもっ」


 それだけ言い残して、彼女は家に戻っていった。

 カオは、両手両足がバラバラになった状態で、雨に打たれていた。

 まるで、自分の心まで壊れてしまったのだと思えるほどに、カオの目は雨でぐちゃぐちゃになっている。


 *


 夜更けに雨が雪になり、カオの身体が白く覆われ始めた時だった。

 暗闇の奥から、一台のトラックがやって来た。


 粉雪の中、破片になったカオの前に、ぼろぼろのスマートフォンを持つ、貧しい男が立ち止まる。

 節榑だった指先が、ひとつひとつ、欠片を拾い上げた。

 まるで、壊れた宝物を扱うように。


 *


 暗い記憶の中で、カオは少しずつ自分の身体が元に戻っていく音を聴いた。

 カオの割れた破片はホットグルーで継がれ、よれた髪は新しいウィッグと交換され、関節のゴム紐を外し、そして新しい服を着せられた。

 そうして綺麗になったカオは、NPO団体の手で、どこかの病院へと届けられる。


 秦夜の家を出てから丁度一年が経とうとしていた。

 カオがやってきたのは、妻を亡くした一児の父親の腕の中だった。

千代ちよ。お父さんからの、クリスマスプレゼントだ」

 千代は、小学生になる前の女の子だった。ベッドと車いすを往復する生活で、手足も満足に動かせない。声を出そうとしても、喉からは空気の抜ける音しか出なかった。カオは、彼女も私と同じだと思った。


 カオは、父親の手で千代に渡される。千代は、ふくふくとした顔でカオの目を見つめ、そしてカオの頭を優しく何度も撫でた。

 力は籠っていない。ただ、千代はカオの重みを抱きとめるように、静かに、自分の胸の上に収めた。それは、自分の大切な宝物が見つかったというように。

「可愛い……」

 千代の腕で抱きしめられながら、カオは確かにその言葉を聞いた。

 掠れて出ないはずの声が、消毒液の匂いがする病室の空気を揺らす。

 父親は、千代が嬉しそうな顔でカオの背中をトントンと叩く姿を見て、涙を流した。


 カオは、もしかすると自分の心までは壊れていなかったのではないかと思った。

 千代の体温を通して思い出すのは、主人の御伽話や秦夜が可愛いと言ってくれたこと。そして、クロエがいつも自分の隣でお姉さんをしてくれたことだった。

「なあ、千代。お人形さんと、一緒に写真撮ろう」

 父親が、千代にスマホを向ける。千代はぎこちない笑顔で写真を撮られた後、カオの髪を何度も何度も愛おしそうに撫で続けた。

 自分のことを受け入れた千代を全身で感じながら、カオは、静かに思う。


 ――千代ちゃん。今は、私がお姉さん。

   だから、素敵なお話を、いっぱいしてあげるわ。


「そうよね、クロエ」


 雨の音が、どこか遠くで、やさしく鳴っていた。


 おわり

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【短編】K.a.o.T.i.k 鷹仁(たかひとし) @takahitoshi

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