命とは、ただ生き抜くこと〜安楽死を選んだ犬と私

深見双葉

命とは、ただ生き抜くこと〜安楽死を選んだ犬と私〜

犬と私の、20年8ヶ月の長い旅の最期は、安楽死を選びました。

私は、安楽死を選んだその日から、ずっと考え続けています。


安楽死は、最期の贈り物だと言われました。でも、本当にそうなのでしょうか。

生きたいと願う命を、不自然に終わらせた行為だとも言われました。

飼い主の都合でしょう?命を捨てたのでしょう?

そんなふうに言われ続け、私は今も、ことばを探し続けています。


だから、私は今、もう一度、犬と私の過去に「はじめまして」で会いにいきます。記憶を、静かにめくりながら、これから綴っていきます。


読み終わったら、忘れていただいてかまいません。

でも、もし、ここにある、ちいさな命が生き抜いた、ちいさな話が、遠くにある誰かの心に灯となるのなら、それだけで、書いた意味があると思えるのです。


これは、最期まで「生きたい」と願いながら生き抜いた命の証言です。


……私の犬は、2003年生まれのミニチュアダックスの女の子。ボロボロのペットショップで、売れ残っていました。

お世辞にもかわいいとは言えない犬を見て、このままでは長く生きられないかもしれないと思った私は、勢いに任せて15万円で、救ったつもりで犬を買いました。


犬は、天真爛漫な性格で、愛嬌も愛想も良く、誰からも愛されました。

犬と私は、犬と暮らす多くの人たちと同じように、他愛もないことで喜んだり、たまに命が永遠に続くような錯覚の中、つい雑に扱ってしまったり。

犬が生活の一部になる、そんな贅沢な時間を共に過ごしました。


でも、楽しいだけの日々で終われれば幸せなのに、そうもいかないのは、人間も犬も同じ。

犬が7歳のとき、目やにや鼻づまり、下痢が続き、病院を転々とした末、大学病院でようやく診断されたのは「自己免疫性疾患」

自分の免疫で、自分の細胞を壊してしまう厄介な病気でした。


そこから、犬との長い闘病生活が始まりました。

膵炎、皮膚炎、胆嚢炎、大腸炎。

「かなり危険な状態です。覚悟してください」何度もドクターにそう言われました。

でも、犬は「生きること」を一度も諦めませんでした。

痛みにも長い治療にも耐えて、元気を取り戻しては、ドクターを驚かせ、私を喜ばせました。


犬が18歳のとき、口腔内メラノーマという口の癌を発症。余命は1ヶ月。

完治は望まず、せめて「食べる楽しみ」を守るため、腫瘍をメスで焼き切る簡易手術を選びました。

犬は、2年以上に渡る、計13回の手術を乗り越え続けてくれました。


私は、ミラクルを起こし続ける犬を見て、

「犬は絶対死なない」とさえ思っていました。


でも、終わらない命はない。ミラクルも永遠には続かない。

20歳の夏、癌は口中に広がり、余命宣告は3ヶ月。

この日ほど、別れを痛感して泣いた日はありませんでした。


その後、「癌が旅をする」という言葉の通り、癌は口、鼻、目、脳へと広がりました。

脳に転移してからはてんかん発作を頻発し、発作後は脳が興奮して、24時間歩き回ることもありました。

朝焼けか、夕焼けかもわからない、昼夜逆転の生活。

ひとつだけ確かなのは、

「私は、あの時ほど、もう頑張れない」ということ。

苦く、でも濃密な、犬との蜜月でした。


犬は痛みを和らげるため、モルヒネ系の薬を飲んでくれました。

でも冬になり、薬を倍量にしても効かず、犬は、眠ることもままならなくなりました。

最期の頼みの綱として、麻薬パッチに切り替えましたが、痛みは消えず、犬は盛大に苦しみ、鳴き叫びました。


終末期治療について、ドクターとは何度も話し合ってきました。

リストの中の安楽死という選択肢に、私は「もちろん、選びます」と呑気に強気に答えていました。


でもその決断が、いよいよリアルに迫ってきたとき。

私は、「だって食べてくれるし、あたたかいし。また元気になるかもしれないし」と、幼い夢を見続けては、決断から逃げていました。

私は、犬に、どこまでも甘えていたのです。


モルヒネも麻薬パッチも効かず、2時間おきに痛み止めの注射をするしかなくなりました。

それでも犬は苦しみ、鳴き叫び続けました。


私はドクターに、

「犬が生きたいと願っているのに、私が投げ出すのは違います。他にできることががあるはずです」と詰め寄りました。

でもドクターは、

「苦しみから解放することも、飼い主さんにできることです」と、最期の言葉の治療をしてくれました。


それでも私は、その瞬間には、安楽死の決断は、どうしてもできませんでした。

そんな私を見て、ドクターは、犬に手術ができるほどの麻酔を打ってくれました。

私は、犬とドクターから、最期の一晩をもらったのです。


その日は大雪で、帰り道が渋滞。30分の道のりが2時間半。

麻酔でスースー眠る犬を膝にのせ、20年8ヶ月の旅にふさわしい、最期のロングドライブでした。


家に戻った犬は、麻酔からわずか3時間で、また痛みと苦しみに襲われました。

それでも、ごはんもひとくち食べてくれて、お水も飲んでくれました。ヨタヨタしながらも、家の中をぐるっと歩いてもくれました。

そして、朝、ふさふさの犬の毛に顔をうずめながら一緒に眠り、私はやっと、安楽死の決断をしました。


命を生かすためでなく、終わらせるために病院へ行くのは、初めてでした。

ドクターは私のタイミングを、最大限に尊重してくれました。


私は犬を抱っこして外に出て、最期の空を一緒に見上げました。

「ありがとう。ごめんね。大好きだよ」とただただ繰り返して、20年8ヶ月分のキスをしました。

昨日の大雪が嘘のように晴れ渡った空には、小さな虹も見えました。

そして、犬と私は静かに診察室へと向かいました。


ドクターはルートを取り、私は「抱っこしたまま、旅立たせたいです」とお願いしました。

せめて、私の温もりを感じながら、旅立たせたかったのです。

私が椅子に座ると、ドクターはその横に、膝立ちで寄り添ってくれました。

「またね!」

そう大きな声で、呼びかけた後、最期の治療……安楽死の注射が打たれました。


本当に、びっくりするほど一瞬で、犬は旅立ってしまいました。

きっと犬も、あちらの世界へと、急に背中を押されて送り出されて、驚いただろうなと思っています。

犬を助手席に寝かせて帰る車の中、空には羽の生えた大きな犬の雲が浮かんでいました。


これが、犬と私の話です。

私の犬は、ほんの少しショートカットして、新しい旅へ送り出されただけのこと。

安楽死は、特別なことではなく、ただの愛の形のひとつ。

そう思うことさえ間違いだと言われるのなら、それでもかまいません。 


20年8ヶ月、共に暮らし、笑い合い、愛し合った犬のために、私が選べたことが安楽死だった。

それだけのことです。


そして、もし、これを読んでいるあなたが、同じ選択をした飼い主さんなら、

「私たち、最期に、精一杯の愛を使ったよね」と、そっと伝えたいのです。


この選択が正しかったのか、わからなくなる夜もあります。

それでも、犬と共に、最期まで生きられたことは、生涯抱え続ける私の誇りです。


命とは、ただ生き抜くこと。


これが、最期に、安楽死を選ばざるを得なかった、犬と私が伝えたいことのすべてです。 




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命とは、ただ生き抜くこと〜安楽死を選んだ犬と私 深見双葉 @nemucocogomen

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