K9-Assist

鋏池穏美


 乾いた秋の風。暑くも寒くもない、心地いい陽気。

「今日はいい天気だなぁ」

 そんな私の呟きに、「今日は午後から曇るようです」とわん公が答える。

 まさか自分が犬の散歩をする日がくるなんて、想像もしていなかった。……と言っても正確にはロボット犬だが。

 一年前に施行された捜査記録恒久保存法。その法律によって、今は全刑事がAI搭載犬型支援機「K9-Assist」をバディに持たねばならなくなった。職務中のバディの様子を録画し、様々なアシスト機能を持つK9-Assist。私は「わん公」と名前を付け、非番の日も学習のために散歩に連れ出している。

「お疲れ様、慶次けいじ

 ベンチで一休みしていると、わん公が労いの言葉を口にした。

「だから何度も言っているだろ。私のことは若槻わかつきと呼べと」

 設定ではそう登録したはずなのに、なぜかわん公は苗字ではなく名前で呼ぶ。最初はバグかと思って修理にも出したが、どこにも異常はないと。

「分かりました、慶次」

「ああくそ、やっぱり壊れてるだろ」

 何度も繰り返したやり取りにため息を吐くと、「お疲れ様、慶次」とわん公が言う。

 こんなやり取りを日常的にしているからだろう、署内での私のあだ名が「お疲れ様刑事」だと最近知った。

「お前のせいで変なあだ名になったんだぞ?」

「それは大変ですね。お疲れ様、慶次」

「ああくそ、もしかしてお前、わざとやってるのか?」

 このやり取りに辟易とはしているが、それでも私はわん公がきてくれて少し救われていた。

 警察官になって二十年。がむしゃらに走り続けた先の孤独。友人とは時間が合わずに疎遠となり、二年前には妻が家を出たまま失踪した。置き手紙のように残されていた離婚届。署名はしたが、まだ出してはいない。

「どこに行ったんだろうなぁ、紗智子さちこは」

「見つかるといいですね。わん公もお手伝いします」

「はは、ありがとうなわん公」

 わん公はロボットだ。心なんてないのは分かっている。けれどこいつがいると、孤独という現実が薄まる気がした。

「さて、もう少し歩くか」

 今日は久しぶりの非番だ。

 街路樹の葉が少し赤くなっている。わん公が私の歩幅に合わせてとことこ歩き、柔らかな風が頬を撫でた。

「お疲れ様、慶次」

「だから若槻だっての。てかそれ、今言う場面じゃないだろ」

「心拍数が上がっていたので、疲れているのかと思いました」

「歩いたら心拍数上がるだろ」

「それもそうですね」

「はぁ……。優秀なんだかポンコツなんだか分かんないよな、お前」

「お疲れ様、慶次」

「だから今それ言う場面じゃないって」

「ため息を吐いたので、疲れているのかと思いました」

「……ったく、勘弁してくれよ」

 人通りの少ない公園で、私はつい笑ってしまった。

「こんにちは、若槻さん」

 そんな私の背後から、男の声がした。振り返ると、ひょろ長い青年が立っている。どこかで──いや、こいつは……、

 本庄裕貴ほんじょうゆうき

 十五年前、私が逮捕した男だ。逮捕時の本庄の年齢は十三歳。些細な喧嘩の果て、同級生を殺したのだ。当時の本庄は気性が荒く、誰もが「いつかはやると思っていた」と証言していた。

「元気にしてるようだな、本庄」

「若槻さんのおかげですよ」

「私は逮捕しただけだ」

「人は変われるんだって言ってくれたじゃないですか。あの言葉のおかげで、僕はここにいるんです」

 穏やかに笑った本庄の顔に、どこか聖職者のような柔らかさを感じた。

「いまは何をしてるんだ?」

「ふふ、若槻さんが連れてるそのロボット、それを作ってる会社を立ち上げたんです」

「……K9-Assistを?」

「ええ。ぼくが開発責任者です」

 胸を張る本庄の姿に、本当に変わったんだなと感心した。

「本当に変われたんだな。よかったよ」

「いえいえ。変われなかったから、こうしているんですよ」

 その言葉に、ぞくりと背筋が冷えた。本庄は相変わらずの柔らかな笑みだが、どこかうすら寒いものを感じてしまう。

「……どういう意味だ?」

「とりあえずこれを」

 すっと差し出されたタブレット。そこに映った映像に絶句する。

 映っていたのは──、

 二年前に家を出て、そのまま失踪した妻の紗智子だった。

 拘束され、泣き叫び、生きたまま解体されていく映像。

 作業している男の顔が画面に映り込んだ。

 本庄裕貴。

「うえぇ……!」

 思わず、吐いた。

「人は変われるんだって言ってくれた若槻さんに、ぜひ教えてあげようと思って。人って、変われないんですよ? どれだけ矯正しようとしたところで、根幹は変わらない。腐った芯を補強したところで、芯が腐っている事実は変わらない。反吐が出そうな正義感でペラい理想押し付けないでもらってもいいです?」

 わん公が低く唸った。

「おっと、通報はできませんよ。私が開発者なの、忘れましたか?」

 本庄が笑いながら、わん公の頭部を掴んだ。

「この犬、面白いですよね。何度設定しても慶次と呼ぶでしょ? あれ、若槻さんの奥さんの記憶なんですよ」

「何を……言って──」

「ちょっと見ててください」

 バキンと響いた金属音。わん公の頭部が叩き割られ、中からゼリー状の物質が覗いた。

 人間の──脳に似たそれ。

「お遊びで入れたんですよ。奥さんの脳をね。そしたら面白い結果になって。いやぁ、機械と脳の接続は面白いですねぇ」

 何、を、言っているのか理解できない。足の力が抜け、その場にへたり込んで──、また、吐いた。

「ねえ、若槻さん。あなたが言ったんですよ。人は変われるんだって。こんな僕でも変われるんですか? 変わってみたいなぁ、僕」

 私の背後に黒いワゴン車が止まると同時、首筋に鋭い痛み。一瞬で意識が朦朧とし、霞む視界の向こうに注射器を持った本庄の姿。

「ちょうど新しい脳が欲しかったんですよ」

 そう言って笑った本庄の声に、わん公の──、

 紗智子の声が重なった。

 

 オツ、カレサ……マ、ケ……イジ──。



 ──K9-Assist(了)

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K9-Assist 鋏池穏美 @tukaike

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