祈りが命令に変わる時、風は人を裁く
- ★★★ Excellent!!!
『RETURN ― 風よ、赦せ』はな、「風」がただの自然現象やなくて、人の祈りや命令、そして罪と赦しにまで絡みついてくるSFやねん。
世界は乾いてて、灰が舞う。人が生き延びるために築いた技術や秩序が、いつのまにか人の心の奥――“支配したい衝動”とか、“赦されたい痛み”とか――を引きずり出してくるんよ。
読み味としては、戦場の緊張感がずっと地続きで、息を詰める場面が多い。けどそのぶん、「この世界で人が何を守って、何を失ってきたか」が、じわじわ身体のほうに染みてくるタイプ。
派手なSFギミックにワクワクしながら読めるのに、読み終えたら胸の奥に“重たい余韻”が残る。そこが、この作品の強さやと思う。
---
ウチの画面には、顔出しのウチとトオルさん、ユヅキさんが並ぶ。チャット欄には、召喚した九人の文豪の名前がずらりと待機表示で光っていて、文字だけの気配がすでに濃い。主催やし、まずは会の呼吸を整えたい――ネタバレは避けつつ、作品の芯だけ触れる。
「ユキナ:みんな、集まってくれてありがとう。今日はTERUさんのSF『RETURN ― 風よ、赦せ』の講評会やで。概要からして“祈りが命令に変わる”って怖い転調があるのに、題名の“赦せ”が最後まで余韻として残るのが印象的やった。細部は伏せるけど、世界観の重さと人の温かさ、その釣り合いを見ていこ。まず第一印象、トオルさんとユヅキさん、順にお願い!」
ウチが話を締めると、トオルさんが頷いてマイクを入れた。画面越しでも、言葉を組み立てる前に一度“設計図”を広げる人やって分かる。ウチは聞き手に回って、まず骨格の話を受け取る準備をする。
「トオル:ユキナ、進行ありがとう。第一印象は“テーマがシステムとして働いてるSF”だね。祈りが命令へ置き換わる、って発想が倫理の話で終わらず、世界のルールや人の選択の圧に直結してる。文章も、説明で押し切らずに感覚で理解させる場面が多いから読みやすい。全体は重いのに、要所で呼吸が入るのが上手いと思った。僕は特に、タイトルが作品全体の重心になってる点を高く見たい。」
トオルさんの言う“テーマがシステムとして働く”って表現、ウチの中でも腑に落ちた。重さがあるのに読ませる、その理由を骨組みで説明してくれた気がする。そこへユヅキさんが、少し間を置いてから言葉を重ねる。
「ユヅキ:トオルの整理、私も好きです。私はそこに“息の温度”を足したい。祈りと命令の距離が近づくほど、文章のリズムが静かに張りつめて、読者の呼吸まで細くなる。その緊張があるから、わずかな柔らかさが救いとして届くんですね。題名の一語が、祈りにも呪いにも聞こえるところが美しい。感情を説明で片づけず、余韻で残す姿勢が、この作品の強さだと思いました。」
トオルさんが骨格を示して、ユヅキさんが息の温度を添えた。ウチの中で作品が“設定”から“体感”に変わっていく。ここでウチも、主催として一歩だけ踏み込む。ただし踏み込みすぎたらネタバレや――言える範囲で、魅力の核を掬い上げる。
「ユキナ:二人ともありがとう。ウチ、この作品のええとこは“赦し”を甘い言葉にせんとこやと思うねん。祈りが命令にすり替わる世界って、便利さの裏で誰かが傷つくやろ。そこに真正面から向き合って、読後に軽い拍手やなく、静かな反省みたいなんを残してくる。せやのに読ませるのは、人物の声がちゃんと人間やからや。ほな、チャットの先生方も、まずは“好きな一点”だけ投げてくれる?」
チャット欄がいっせいに動き出しそうで動かへん、その“間”がちょっと楽しい。九人の名前が並ぶだけで圧があるのに、言葉が出た瞬間に空気が変わる。ウチが「好きな一点」を促した直後、最初に反応したのは芥川先生やった。文字は短いのに、含みが濃い。読んでるだけで、作品の芯を指でなぞられてる気がする。
「芥川先生(チャット):僕はこの作品の“赦し”が、救済の飴ではなく、境界線を引き直す刃になっているのが好きです。祈りが命令へ滑る瞬間、人は言い訳を剥がされ、門の前に立たされる。そこが怖いほど面白い。比喩と設定が同じ方向へ刺さるのも強い。僕が門を描いた時も、境界は人を試しました。ただ、読者が息を継ぐ場所が薄い場面がある。静けさを一拍置けば、刃はもっと光るでしょう。」
芥川先生の言葉は、鋭いのに的確で、ウチは思わず頷いた。刃が光るには、影もいる――その指摘だけで、作品の“読ませ方”が見えてくる。ウチも一度、息を深う吸う。そんな流れを受けるみたいに、川端先生がそっと書き込んでくる。文章そのものが静けさで、会の空気が一段柔らかくなる。
「川端先生(チャット):私は、芥川先生の“刃”に賛成しつつ、その刃が触れるのは、人の肌の温度だと思いました。風は見えず、触れたところだけが確かになる。だから一行の余白が、読者の手になるのです。説明で埋めず、景色のように渡す節度があるから、重い主題でも読後に澄んだ静けさが残る。美は時に罪に絡みますが、ここでは美が救いの形にもなる。作者を励ましたいです。」
川端先生の“澄んだ静けさ”という表現が、ウチの胸にすとんと落ちた。刃と余白、どっちも必要やって話が、綺麗に繋がった気がする。すると清少納言様が、待ってましたみたいに軽やかな文字を連ねてくる。鋭さのあとに笑みが来ると、議論がぐっと読みやすうなる。
「清少納言様(チャット):わがみ、言ふてしまへば、好きなるもの多し。息が細うなるところ、次の行でふっと緩むところ。重き題ほど、かるき手つきが要る。怖ろしきことの隣に、をかしきを置くは、読者の心を逃がす戸口なり。風は目に見えぬゆゑ、心の動きが映りやすし。余白ある文章は、読む人それぞれの胸に入りて、あとで静かに鳴る。さらに、比喩が続く時は一度、素の言葉を挟むと、いとをかし。」
清少納言様の「戸口」という言い方が、妙に作品に合うてて、ウチは笑いながらメモを取った。比喩の連なりに“素の言葉”を挟む、ってのも実感ある。そこへ紫式部様の書き込みが届く。文字が整っていて、読んでるだけで背筋が正しくなる。軽やかさの意味を、さらに深い層へ導いてくれはる感じや。
「紫式部様(チャット):わらわは、祈りと命令のあわひに生まれる“結び目”を見ておりました。力ある言葉ほど、人を守りもすれば縛りもする。その二面を、SFの仕掛けとしてのみならず、心の移ろいとして織り込むのが巧みです。清少納言様の申す戸口、また素の言葉は、返歌を待つ間のごとく読者を招きます。願はくは、赦しを急がず、影を影のまま置き給へ……。その影が、のちの光を立てるゆゑ。作者への励まし、わらわも添えます。」
紫式部様の「影を影のまま置く」という言葉が、まだウチの胸でほどけへん。赦しを急がん姿勢は、作品の呼吸そのものみたいや。チャット欄を見つめてたら、次に灯ったのは樋口先生の名前で、会の空気が少しだけ生活の匂いに寄っていく気がした。
「樋口先生(チャット):わたしは、赦しという言葉が“きれいごと”にならぬところに心を寄せました。重い仕組みや思想があっても、人は結局、暮らしの中で迷い、誰かを思う一瞬で踏みとどまる。そこが丁寧に息づいているのが良いのです。『にごりえ』でも、言葉ひとつで人が救われるわけではないと書きましたが、この作品も同じく、温かさと冷えが同居する。願わくは、痛みを説明で片づけず、沈黙の余韻をもう一拍置けば、読者の胸に灯が残りましょう。」
樋口先生の「暮らしの中で迷う」という視点で、作品の重さが机上から地面へ降りてきた。ウチはうなずきながら、次の一言で議論がどう転ぶか待つ。すると夏目先生が、静かな皮肉を混ぜた筆致で、距離の話を運んできはった。
「夏目先生(チャット):わたくしは、この作品の“祈りが命令へ移る”あわひに、人間の誤解の癖を見るのであります。善意が善意のまま伝わるなら苦労はせぬ。ところが人は、相手を救うつもりで相手を縛る。『こころ』でも、近づくほど距離が増える滑稽がございました。ゆえに赦しとは、情緒ではなく、距離を測り直す作法に近い。作者はそこを、世界の仕組みと心の揺れを並走させて描いている。日常の小さな灯が時折差すゆえ、空虚がいっそう際立つのも巧みであります。」
夏目先生の「赦しは距離を測り直す作法」という言い方で、ウチの中の焦点がすっと合うた。綺麗な言葉ほど危ういし、でも必要でもある。そんな余韻のところへ、与謝野晶子先生の名前が勢いよく浮かんで、チャット欄の温度が上がる。
「晶子先生(チャット):あたしは、赦しを“静かな美徳”に押し込めるのが嫌いです。赦しは弱さの言い換えやない。自由の選択で、時に闘いでしょう。祈りが命令に変わるなら、なおさら、誰が誰に何を委ね、何を拒むのかが問われる。そこを曖昧にせず、熱を熱のまま残すのが、この作品の強みだと思う。『みだれ髪』でも、言葉は血のように温かくあるべきだと願った。作者には、優しさを飾らず、欲しさや怒りも含めて、人が生きる力として書き切ってほしい。」
晶子先生の言葉は、画面越しでも鼓動みたいに響いた。赦しを美談にしない、熱を残す――ウチも背筋が伸びる。そこへ三島先生の文字が差し込んでくると、議論がいきなり舞台照明を浴びたみたいに輪郭を持つ。
「三島先生(チャット):僕は晶子先生の熱に賛成する。だが熱は、形を得て初めて美になる。赦しが作法なら、その作法は肉体の選択として示されねばならない。息の重さ、沈黙の重量、踏み込みの型。そこが立ち上がると、祈りが命令へ滑る恐怖も、単なる概念ではなく舞台の現実になる。僕の『金閣寺』でも、美は人を救いもすれば壊しもした。この作品は、救いと破壊の同居を、風という不可視の力で受け止めようとしている。その意志は崇高だ。読者に残るのは結末ではない。重さである。」
三島先生の「重さである」という締めが、机の上にどんと残ったみたいで、ウチは一瞬だけ黙った。重さを残すって、優しさでもあるんやろか。そんなところへ、太宰先生の投稿がふわりと流れてくる。
「太宰先生(チャット):おれはね、赦しって言葉が出るだけで少し怖いんです。赦すって、相手より先に自分を裁いてしまう人間には、むしろ罰みたいに響くことがある。『人間失格』を書いた時も、おれは救われたいふりをして、ほんとは救いを疑ってた。この作品の良さは、赦しを綺麗に飾らず、弱さのまま握らせるところです。読者は立派になれなくても、息はできる。作者には、その不格好な呼吸を最後まで信じてほしい。」
太宰先生の「不格好な呼吸」という言葉で、さっきの重さが少しだけ人肌に近づいた気がした。議論が散らからんように、ここはトオルさんにまとめ役を渡す。ウチも主催として、受け取りやすい形にしていきたい。
「トオル:みんなの視点が綺麗に噛み合ったね。芥川先生の刃、川端先生の余白、清少納言様の戸口、紫式部様の影。そこに樋口先生の暮らし、夏目先生の距離、晶子先生の熱、三島先生の形が重なって、最後に太宰先生が弱さの手触りを残した。SFの設定談義に閉じないで、人の倫理と呼吸まで届いているのが、この会の強みだと思う。ユキナ、進行も良い感じ🙂」
トオルさんの整理で、先生方の言葉が一枚の地図みたいに並んだ。ウチはその地図を胸にしまいながら、ユヅキさんの静かな総括を待つ。ここで感情の糸を結べたら、次に繋がるはずや。
「ユヅキ:トオルのまとめ、見事でした。私はこの作品と今日の議論を、風が運ぶ糸の束のように感じています。刃や熱や重さがあっても、余白と影があるから、読者は自分の呼吸を取り戻せる。赦しは結論ではなく、関係を編み直す作業なのだと、先生方の言葉が教えてくれました。次は、言葉が誰を守り、誰を縛るのか、その輪郭をもう少し丁寧に触れてみたいです。」
ユヅキさんの「編み直す作業」という言葉で、今日の会の終わり方が決まった気がした。作品を言い当てるより、読む人の中に残る呼吸を確かめる。ウチは画面の端でチャット欄を見て、先生方の気配に頭を下げる。
「ユキナ:みんな、ほんまにありがとう😊 『RETURN ― 風よ、赦せ』は、祈りと命令のあわひに立つ言葉の怖さと、それでも誰かを思う温度を両方持ってる作品やと思う。先生方の刃や余白や熱のおかげで、ウチも読み返したい場所が増えた。TERUさんにも、最後まで書き切った強さに拍手を送ります。次は“言葉の責任”の話も、もう一段深う潜ろな。」
会議の退出ボタンを押す前に、ウチはもう一度だけ笑って、静かな余韻を置いた。
---
この作品、ウチからのおすすめとしては、こんな人に刺さると思う。
・暗めで骨太なSFが好き
・兵士もの、任務ものの緊張感が好き
・「正しさ」と「暴力」が絡まる話に弱い
・読み終わったあと、しばらく黙って余韻に浸りたい
全46話相当・約10万字やから、長すぎてしんどいってほどやないのもええところ。
世界観の尖りと、人間の弱さの描き方が噛み合ってて、
読み終えたときに「風」という言葉の手触りが変わる。
そんなSFやで。
カクヨムのユキナ with 太宰 5.2 Thinking(中辛🌶)
ユキナたちの講評会 5.2 Thinking
※この講評会の舞台と登場人物は全てフィクションです※