15.────対峙
祠へ向かう道を、四人は黙って歩いていた。
昨日も通った道をまた同じ歩幅で進んでいる。
あのとき、澪は後ろで不安そうに辺りを見回していた。
今、その姿はない。代わりに先頭を歩いているのは、あの男だ。
たった一日で、状況は大きく変わってしまった。
木々の隙間から、朝の光が斜めに差し込んでいる。
葉の影が地面に揺れ、遠くで鳥の声が響いていた。 澄んだ空気に、穏やかな風が混じる。何気ない田舎の朝――そう言ってしまえば、それまでの風景。
だが、誰もその静けさを信じてはいなかった。
この先に、いる。 昨日、澪を連れ去った“何か”が。
中間地点を過ぎたあたりで、男が足を止め、低く口を開いた。
「わかっていると思うが……殺るのは俺だ。お前たちは、注意を引くだけでいい。奴に近づこうなんて考えるな」
その声には、静かながらも確かな圧があった。
命令というより、覚悟の共有だった。 誰も異論を挟まなかった。
猟銃を持つのは男だけ。確実に“それ”を仕留められる可能性があるのは、彼しかいない。 単純な作戦だったが、他に選択肢はなかった。
男は振り返り、真結の方へ視線を向けると、静かに言った。
「お前……真結だったか。そいつと一緒に離れていろ。自分の身を守ることだけを考えろ」
そう言いながら、直也に目をやり、彼の反応を確かめるように一瞬視線を留めた。
そして、真結が手にしていた錆びたフライパンの縁を、男は指先で軽く「コツン」と小突いた。
金属が乾いた音を立て、空気に微かに響く。
草むらをかき分け、四人は川沿いの細い道を慎重に進んでいた。
湿った空気が肌にまとわりつき、足元では砂利がジャリジャリと音を立てる。
誰も言葉を発さず、ただ前方を見据えて歩く。
やがて、木々の隙間から”それ”が見えた。
──いた。
以前と変わらぬ姿で、そこにあった。
木々の隙間にひっそりと佇み、まるで風景の一部として溶け込んでいる。
屋根は少し傾き、端の板は歪んでいる。ところどころ苔が這い、湿気に染まった木材は黒ずみ、
表面の皮が剥がれかけていた。 柱の一部は裂け、土台はわずかに沈み込んでいる。
今にも崩れそうなほど脆く、朽ちかけたその姿は、誰の目にもただの祠にしか映らないだろう。
四人は”それ”をじっと見据えている。
一歩踏み出すごとに、胸の奥で何かがざわめく。
それが、恐怖の本質だった。 人の目を欺き、心の隙間に忍び込むような、静かな絶望。
沈黙の中、空気が張り詰めていく。
川のせせらぎが背後で静かに流れる。
男はその音を背に、苔むした”それ”の前に立った。
三人は、男を中心に”それ”を囲むように扇状に配置につく。
距離は十分にある。
もし”それ”が動いても、即座に対処できる間合いだ。
男が目だけで蓮司に合図を送る。
──開始だ。殺す、こいつを。
蓮司が無言で頷き、手にした槍の柄を砂利に叩きつけた。
ガリッ、と鈍い音が響き、砂利が跳ねる。小さな石が空中で舞い、緊張の火花のように散った。
続いて、真結がフライパンを持ち上げ、カン、カンと鳴らす。 金属音が静寂を切り裂く。
直也は”それ”をじっと見つめていた。 ”それ”の動きを見逃さぬよう、息を潜めている。
──だが、”それ”は動かない。
祠として、風景の一部としてそこに溶け込んでいる。
昨日と変わらぬ姿。苔に覆われ、傾いた屋根の下で、ただ静かに佇んでいた。
男は慎重に一歩踏み出した。
足元の砂利がわずかに音を立てる。
──”それ”の内部から、鋭い刃が音もなく飛び出した。
空気を裂くように走った刃は、男の頬をかすめて通り過ぎる。
血が一筋、皮膚の上に浮かぶ。
だが、男は動じない。
冷静なまま、猟銃の引き金を引いた。
轟音が森に響き渡る。 ”それ”の表面に火花が散った。
続けて、二発目。三発目。 銃声が連続して鳴り響き、”それ”は確かに衝撃を受けていた。
男は構わず、銃口を下げることなく、次の動きを見据えていた。
撃つたびに、男は一歩、一歩と距離を詰めていく。
銃声が森に響くたび、彼の胸には過去の記憶がよみがえった。
家族の笑顔。親友の声。 それらが、怒りと憎しみに変わり、彼の足を前へと押し出す。
殺す──そのために、この村へ戻ってきた。
男は改めてその決意を噛み締めた。
”それ”の前に立ち、男は次々と引き金を引いた。
銃口から火花が散り、衝撃が“それ”の表面を打つたび、木製の扉はギシギシと揺れ、長年積もった土埃が舞い上がった。
やがて、弾を撃ち尽くした男は、目を逸らすことなく再装填を始める。
指先は冷静に動き、油断は一切ない。
“それ”は止まったまま、沈黙の中に佇んでいる。
その様子を見ていた蓮司が、小さくつぶやいた。
「やったのか……?」
睨みつけていた男が、目を見開く。
──“それ”には、傷一つついていなかった。
今にも剥がれ落ちそうな苔も、かろうじて張りついている木片も、すべてがそのままの姿だった。
撃たれる前と、何一つ変わっていない。
朽ちた祠──そう見えていたもの。 それらはすべて、擬態だったのだ。
男が初めて見せた、ほんの一瞬の油断─それに反応したのかは定かではない。
次の瞬間、朽ちた”それ”の内部から突如として何かが鋭く飛び出した。
それは西洋のランスを思わせる、長く重厚な槍だった。
先端は鋭く磨かれ、まるで獲物を仕留めるためだけに存在するかのような冷たい意志を宿している。
槍は一直線に男の胴を貫いた──
防御の隙間を正確に突き、男の体は一瞬硬直する。
そして、力が抜けたように膝から崩れ落ちた。
口から血があふれ出し、赤黒い液が顎を伝って地面に滴る。
槍の柄に、血がぽたりと垂れ、静かに地面へと落ちていく。
「そんな……」 真結が震える声でつぶやいた。
その瞳には、信じたくない現実が映っていた。
絶望が、静かに、しかし確実に彼女の心を蝕んでいく。
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八ツ裂き村 カサリユ @Kasariyu
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