雨の魔女の巡礼
山田あとり
砂漠の国の雨の巫女
第1話 魔女と戦士と
夜半、砂漠に稲妻が走った。ほぼ同時に雷鳴がとどろく。
雷に続いて雨粒も落ちてきた。王都の空に雲が広がり、星が消える。風に含まれる砂塵が水滴に流されていった。
ここは砂漠の国サフル=ラハ。古い王国だ。
そしてこの雨をもたらしたのは、風と水の神殿に仕える少女リヤーナ。〈雨の巫女〉のうちの一人だった。
「リヤーナ! リヤーナ!」
雷鳴に飛び起きた中年の巫女は、リヤーナの部屋に転がり込んだ。床の敷布に眠るリヤーナを問答無用で揺すり起こす。
目を開けたリヤーナはぼんやりと表情がなかった。しかし瞳が濡れている。
「……おはようございます」
「まだ夜中だよ。ほら涙をお拭き」
嵐を呼びそうになったのだとわかり、リヤーナはおとなしく袖を目にあてた。ボソボソ謝る。
「すみません」
「ほんとオチオチ寝ていられないわ……まあ仕方ないんだろうけど。見る夢を選ぶなんて難しいし」
「今夜は、もう」
「平気かい?」
「眠りません。目がさめました」
敷布から起き出すリヤーナに安堵して巫女は戻っていった。小さな燭台の灯りに照らされ、ひとりになる。それでもリヤーナは無表情なままだった。髪の毛の寝ぐせもそのままに座り込んでいる。
通り雨はもうやんだはずだ。湿り気をおびた空気がひんやりとリヤーナを包む。
「夢……」
リヤーナはつぶやいた。どんな夢だったかも覚えていないが、泣いたのなら故郷や家族のことを見たのだろう。
昼間には忘れていられる思い出も、眠るとあふれてきてしまう。過去はリヤーナを赦してくれない。
リヤーナはいつも、笑わないし泣かない。心を揺らしてはいけないのだ。
リヤーナの涙は、天に届いて雨となるから。
天に祈り、雨を乞う。それが巫女たちの仕事。
雨の巫女として儀式にのぞむリヤーナはおだやかな雨を降らせる。
しかし水の加護は、リヤーナのふるさとを殺した。
父の死で悲しみにくれ、泣いた幼いリヤーナ。
その慟哭に天は応え、大雨が降った。
嵐を呼び、村をひとつ押し流した〈雨の魔女〉。
それがリヤーナだ。
✻ ✻ ✻
「――昨夜の雷は〈魔女〉のしわざか」
低い声が響いたのは、大理石で造られた王宮の一室だった。
白い壁。一段高い場所に置かれた豪奢な金の腰掛け。そこに座り、向かい合う者に試すような目をしてみせたのは王――サフル=ラハを統べる人だ。
「――雨の魔女は、夢をみて嵐を呼ぶと聞くぞ」
「リヤーナは雨の巫女でございますな、陛下」
慇懃に訂正したのは神官長だった。
王国の神殿すべてを率いる男は、みずからの下にいる巫女リヤーナをいちおう擁護する。
「魔女というのは吟遊詩人どもが面白おかしく唄いあげた戯れ言。リヤーナは哀れな孤児にすぎませぬ」
「孤児といっても、もう幾つになった」
「十五歳でございましたか」
「ふるさとの村を雨に沈めたのは七年前、八つの頃か――ふん、この都もそうならねばよいが」
「陛下」
壮年の王。老獪な神官長。静かににらみ合った。
王と神殿という、並び立つ権威。
どちらも牽制しあっているが、〈魔女〉の行く末にはともに不安を抱いていた。
少女の悪夢は嵐をもたらす。
リヤーナの強大な力をどうするべきか。それはサフル=ラハの心配事のひとつだった。
✻ ✻ ✻
日干しレンガの建物が並ぶ王都は活気に満ちていた。表では商いの交渉。裏道は子どもの遊ぶ声。街路に陽光がくっきりと陰を落とす。
そんな日常がこの日、不穏な音で破られた。
ドガッ!
とある商家の裏口。戸板が割れそうな勢いで蹴り開けられる。部屋にいた男たちが息をのんで立ち上がり、身がまえた。
「なんだ貴様!」
「――ここは穀物問屋のはずだよなあ? なんで織物が積んであるんだ」
踏み込んできた若い男は楽しげな声だった。人好きのする笑い含みの目。
この部屋は倉庫のようだ。見渡せば高価そうな布が山と置かれている。
「盗品が運び込まれたと聞いて来たんだが、ドンピシャかよ」
「貴様、役人ではないな。強請りたかりのたぐいか。仲間に入りたいのか」
盗賊だと言い当てられて男たちは懐柔にかかった。チンピラの一人ぐらいならどうにでもできる。こちらは三人、油断させて瞬殺という算段だ。
だが飛んで火に入った男は余裕を見せ、のらりくらりと話す。
「まあな、俺は傭兵だ。金さえもらえればいろいろやるが」
「ほう頼もしいな。雇ってやらんこともないぞ」
「ああ、いや――」
傭兵の瞳がふと剣呑な色をおびた。
「――今は、別に雇い主がいるんでね!」
腰の剣が鞘走る。盗賊の右手首が飛んだ。鮮血。一瞬遅れて悲鳴があがる。
残る二人が剣を取った。遅い。
傭兵は一人の頭を剣の平でぶんなぐり、一人の腹を蹴って吹っ飛ばした。全員無力化する。
「……手ごたえねえな」
「お、おーい。終わったのか?」
壊れた入り口から怖々のぞいたのは中年の男たちだった。これは織物を盗まれた側の商人。今暴れた傭兵、エイラーンの雇い主だ。
「ふんじばったら終わりだ。縄くれるかい」
そんなことを言われても、中に入るのは勇気がいった。
斬られた腕を抱え転げまわる男。脳震盪を起こしたかピクリともしない男。腹を押さえる男は口から血を吐いている。荒事に慣れない商人にこれはキツかった。しかし。
「あっ、ああ! 商品に血がついてるじゃないか! なんてことしてくれたんだ!」
取り戻してくれと依頼した品が汚れていることに気づいた商人は絶望の顔で布の山に駆け寄った。非難されたエイラーンは織物を横目で見て眉をひそめる。
「はぁん? 知るかよ」
「知っててくれなきゃ困るよ! これじゃ売れないだろう!」
「汚すなとは言われてねえ! そっちの責任!」
「言わなくたって常識だ!」
それはそう。だがそんな常識はエイラーンに通用しない。わざと剣についた血を払い、凄んでみせた。
「――俺が受けた依頼は、盗賊から品物を取り戻せ、それだけだ。キッチリやらせてもらったが文句あるのか」
「ぐぅ……っ」
商人は言い返せない。
エイラーンだって、これでも気はつかったのだ。盗賊を殺さないように。
王都でヒョイヒョイ死人を出すと役人がうるさい。法の裁きはそれなりに尊重しなければならなかった。エイラーンは節度ある傭兵なので。
「ほっほっほ」
いきなり入り口から場違いな笑い声がした。振り返ると、そこにいるのはマントを着た老人。うなずきながらエイラーンを手招く。
「噂に違わぬ仕事ぶりよ。傭兵のエイラーンとはそなたのことよな?」
「……ああ。あんたは?」
老人は無言でマントの前をわずかに開ける。チラリと見えた真っ白い
✻
「巫女の巡礼の護衛……って俺みたいなのに任せていいのかよ」
老神官と並んで神殿へ向かいながらエイラーンはブツブツ言った。
先ほどの倉庫の件は役人に引き継いできた。最後まで責任ある仕事。それが仕事を途切れさせない秘訣だ。
「神殿は兵を抱えておらん。雇うしかあるまい」
「王国軍から出せばいいだろ」
「陛下がお付けになる者は別におる」
「……なるほど」
納得した。神殿と王は、権力のありかを常に争っている。神殿側の意を汲む者も付けておかないと都合が悪いのだろう。
新しく来た依頼は「雨の巫女リヤーナが国を巡るための護衛」だった。
ここ数年、雨の降り方がおかしい。この王都での雨は増えたが、降らない地方ではまったく降らず、民は渇きに苦しんでいた。それを憐れんだ王と神殿が、雨を乞うために巫女を遣わす――ということらしい。
しかし妙だ。
旅に出るのは巫女、護衛、記録係が一人ずつ。そんな簡素な一行でいいのだろうか。
神殿の入り口にいざなわれ、エイラーンは念を押した。
「そのリヤーナって巫女、十五歳とか……いちおう女だろ。こんな粗野な男と旅に出すのはどうかと思うぜ」
エイラーンは二十一歳。仕事柄、力には自信がある。かよわい巫女を襲うぐらい軽くできるのだ。
「心配しとらん。おまえは大人の女にしか興味なかろうが」
「……やなこと調べてあるな」
だが否定はしない。
神殿を入ってすぐの小部屋へと通された。提示された給金が破格に良いので、エイラーンも請け負う気でついてきている。旅の護衛なら隊商で慣れたものだ。
――そして引き合わされたリヤーナの姿を見て、エイラーンは片眉を上げた。
(小娘)
十五歳と言われても信じにくい、細っこい少女がそこにいた。しかもボサボサとうねる黒髪。顔立ちは可愛らしいが色気のかけらもない。
「了解、仕事を受けよう」
エイラーンはうなずいた。
子どもを抱く趣味はないから任務に支障はない。それにこんな少女なら――非常事態でも袋に詰め、担いで逃げられそうだった。
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雨の魔女の巡礼 山田あとり @yamadatori
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