橋モリさま(5)
――でも橋モリさま、僕はなんとか大丈夫です。幸い、似合いのホラ吹きと巡り合えました。この人と一緒にどうにか生きていきます。
ソリは木瓜の木に手を合わせ、
手が冷たい人は、心が温かいらしい。
「ソリの手、ぬくい」
スサミが嬉しそうに言った。
それはきっと心が冷たいからだ、とソリは思った。
そうだ。
橋モリさまは恐らく勘違いをしていたのだ。天邪鬼は村人の謀略を教えてもらえばただ「ありがとう」と感謝しただけだろう。誰が、憎い村人のために自分を犠牲にしようなどと思うものか。自分が可愛いだけの愚か者なのである。馬鹿な女だ。男に理想を抱き過ぎだ。とは思わないか。
なんて話をソリはスサミにした。
すると、スサミは泣きそうな顔になって、強く
「私の知っている天邪鬼は、そんな人じゃない。橋モリさまも、馬鹿なんかじゃない。事実、河童はいたんでしょ。一途に
スサミの真っ直ぐな思いに、ソリの瞳が揺れた。
いや、しかしここで怯んでは天邪鬼の名が
「尻子玉を抜きまくったって、人殺してんじゃねえか」
「それはその、必要悪じゃないかな。そして橋モリさまと河童の魂は手を取り合い、南の島へ旅立ったの」
「で、途中、ヘドロの海で仲良く窒息死したんだよな」
「もー」とついにスサミが怒って、ソリの毛穴から体内にヘリウムガスを注入し、ひー、助けてくれえ。
ソリはまあるくなって、中空をぷかぷかし、案外、良い気分だった。
橋モリさま、さようなら。
ソリは、バルーンの如くスサミにぽんぽんとアタックされながら、満開の木瓜に手を振るのだった。
やがて、二人の姿が土手から消えた後、巨大な陸亀が甲羅から顔と手足を伸ばし、みるみる河童の姿を為す。
「誰が醜い河童だよ」と嘆息を洩らした。わりと繊細な性質なのである。
――見もしないで勝手に決めつけないでいただきたい。わりと可愛らしい顔をしているのだぞ。
しかしホラ吹き女特有の勘の鋭さか、多少人格に自分の投影があったものの、橋モリさまが橋モリさまになった経緯は、だいたいかくの如しである。
ただひとつ違っていたのは、河童の正体が、天邪鬼ではないということ。
彼女が思いを寄せていた天邪鬼は、村人の謀略に気づき、どこかのアバズレと村を出た。ソリの推察通りだった。それではあまりにも、橋モリさまが哀れであろう。なので、悪魔に魂を売って河童になったのは、庄屋の小作の息子だ。
ずっと、身分の違いゆえに叶わぬ恋だとは知りながらも、橋モリさまに片思いをしていたのである。
以後、四百年弱の長きに渡り、彼は橋モリさまを見守り続けた。
しかし河童は、橋モリさまに恩を着せることを嫌い、それにスサミの言う通りに彼を天邪鬼の生まれ変わりだと信じているふしとてなきにしもあらず、口の利けないフリをし続けたのだが、彼女が水泡に帰す前夜、遂に自分は小作の息子であることを告げた。なんとかして、彼女に消えることを躊躇させたかったのである。しかし。
「あらまあ、そうだったの、ご苦労だねえ」
橋モリさまは、小さく笑うのみに止まった。もうどうでもいい。なんだかすっかり疲れたよ。用がなくなりゃあ早く楽になりたい。
「しかしそれでは、それじゃあ、某はどうすれば……」
「そうだねえ、せっかくだからその力を今度はさ、人の役に立つことに使ったらどうだい?」
橋モリさまは、気だるくウインクした。
それから夜が明けるまで、まだ人間だった頃も含めておよそ四百年の長きにおいて、ようやく河童は、橋モリさま……もとい、庄屋の娘やねと、初めて会話をなしたのだった。
実は、屋根があるからおやね橋ではなく、橋モリさまの名が
最期に、やねは「ありがとう」と言ってくれた。
河童は、それだけで、なんだか報われた気がした。
冬の蒼暗い空には、まあるい月が浮かんでいた。その光が土手に積もった雪を照らし、きらきら、信じられないくらい美しい夜であった。
そして、世界でいちばん残酷な朝を迎えた。
河童の涙は、醜いその顔の頬を伝い、ぽたぽたと水面に落ちた。
「とりあえず川を下って海へ出ようか」
ソリの姿を見届けた河童は、レディオ体操第二によって体をほぐして後、ざんぶと川に飛び込んで、実に寛永年間から数え、初めてこの村を離れた。
年甲斐なく、ちょっとドキドキしながら見る光景は、しかし何故か泣きたくなるような、切ない寂しさを心に喚起させるのだった。
ちなみにこの後、無事、海へと移住した河童は、やねの意を受け、悪魔より授かりし魔力を駆使し、ちびっこたちの守護神ガメーラとして宇宙怪獣の侵略から地球を護り続けたのであるが、その話はまた別の機会に譲りたい。(完)
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橋モリさま 裏桔梗 @urakikyou
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