橋モリさま(4)

「冗談よ。そんな必死になって弁解しなくても大丈夫、なんとなく分かるから」

 スサミはくるくると笑い、木瓜の花弁を自分の鼻のてっぺんにかざし、するとそれは道化師の赤っ鼻のようで、ソリは思わず吹きだした。

 二人は土手に腰を降ろし、河童の川を眺めた。

 山頂からの雪解け水のせいで水量が多く、流れも速い。水面は澄んでいて、底に転がる石が見える。残念ながら、河童はいないようだ。代わりに巨大な陸亀が、顔と手足を引っ込め、甲羅干しをしていた。

 そのうち、お日さまが山間やまあいを抜けて空へ昇り、次第、辺りが春らしい暖色に染まる。

 ふとスサミが口を開いた。

「ねえ、ソリ。その橋モリさまが、橋モリさまになろうとしたきっかけって、知ってる?」

「あ、いや、知らない。というか、きっと悲惨ないきさつがあるんだろうと思って、意図的に知ろうとしなかった」

「じゃあ教えてあげる。彼女には好きな人がいてね、そいつは村の偉いさんの一人息子。大変な天邪鬼あまのじゃくでね、皆が畑仕事をしている時に、川へ釣りに行ったり、野原で昼寝をしたり、お花畑で本を読んだりしていたの。でも怠け者かと言えばそうではなく、皆が休んでいる頃に猛烈に働いて、トータル的に見れば人並に仕事はこなしていたのね。万事が万事、こんな感じ。当の天邪鬼に言わせれば、違う、僕はただ僕なりの時間で動いているんだ、だって。当然、他の村人は、こうゆうひねくれ者は村の和を乱しかねないって、本当ならば皆で袋叩きにしたいところだっだけれど、彼の母親はバーミンガム伯爵家の直系の娘でね、手が出せなかったの」

「……なんか、僕の知っている唐変木にちょっと似ているな、そいつは。まあ、お袋の一族はオーストリア系だから、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国とは、あまり所縁ゆかりはないはずだが」

「誰もあなたのことだとは言ってないよ。それでね、ある時、村人の側に千載一遇せんざいいちぐうのチャンスが巡ってくるの。その頃、彼らは川に橋を作ったのだけれど、台風の直撃や鉄砲水やらが重なって、すぐに壊れてしまったのね。で、また新しい橋を築いたのだけれど、もう予算も限界だから今度は人柱を立てるしかないって話になって、そうだ、ならばあの天邪鬼をそうしてやれ。そこで彼らは庄屋の家へ集まって、いちばんどりが鳴いた後に橋を通る者を人柱にすることに決め、でもそれは、宵っ張りの天邪鬼が午前さまで呑み屋から帰宅する際に橋を通ることを見越しての決議だったの。いわば謀略よ。それを庄屋の娘だった橋モリさまは、お茶を運んだついでに聞いてしまったの。橋モリさまは、天邪鬼に密かに思いを馳せていたものだから、早速、里の呑み屋まで教えに走ったのだけれど、ふと思い止まったの。なんでかって言えば、天邪鬼は優しいから、せっかく教えてあげたところで、皆が困っているのならば人柱には喜んで僕がなるよって、そう言うに決まっているじゃない。そこで橋モリさまは引き返し、橋のたもとで朝を待って、いちばん鶏の声と共に橋を渡ったの。そうして、人柱には彼女がなったの」

「そんな話は聞いたことがない」

「この話にはまだ続きがあるのよ。橋モリさまが人柱になってしまい、天邪鬼は嘆き悲しみ、というのは彼もまた、橋モリさまのことが好きだったの。だから、橋モリさまと一緒になれない人生なんか意味がないって、川に身を投げたのね。すると、それを哀れんだ川の神さまが、天邪鬼の亡骸なきがらに再び命を吹き込まれ、醜い河童として蘇らせたの」

「それもお袋から聞いたの?」

 ソリは怪訝な顔で問うた。

「ううん、私が今、咄嗟とっさに思いついただけ」

 スサミがぺろりと舌を出す。

 ソリが天邪鬼ならば、彼女はホラ吹きなのである。

「……だよな」

 ソリはやれやれと肩をすくめた。

「ああそれから、ちなみにこれは私のホラ話じゃなくて、お義母さんから聞いた話の続きなんだけど……」

 いわく、橋モリさまはたったひとつだけお願いを残し、それはおやね橋のたもとに小学校の木瓜を植樹してくれとのことで、すなわち目の前のこの木瓜のことである。

 ああ、とソリは思った。

 木瓜の花といえば、橋モリさまが特に愛でていたものではあるが、己の痕跡を残す必要はないとの宣言に矛盾するのであり、すると橋モリさまは、自分のことを気にかけ、面影を置いておいてくれたのかもしれない。おそらくは、群れの中でいまいちうまくやっていけそうにない、ひいては大人になり切れない、自分の先行さきゆきを心配していたのだろう。

 長らく村を見守り続けた彼女は、自分のような半端者の末路がどうなるか、だいたい分かっていたに違いないから。

 とするならば、この木瓜は、少なくとも「私はソリ助の味方なのだからな」という、橋モリさまのせめてものメッセージとも思えた。

 ならば、スサミの作り話も、あながち見当違いではないのかもしれない。

 橋モリさまがまだ橋モリさまではなかった頃、きっと自分に似たろくでなしがこの村にもいて、世話焼きな彼女をやきもきさせていたのだとしたら。

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