ボインミサイル研究所

 ボインミサイル研究所。

 ボインミサイル研究所は、人里離れた山奥にあるのであって、どれくらいかというと、ドライブ途中、道に迷って山に向かうつもりが海へ出てしまい、せっかくだからって海水浴をさんざん満喫した後、海の近辺に住んでいた親戚の叔母さんの家に一泊させてもらい、翌朝、さあ出発だあという時に叔母さんが腹痛を起こしたので病院へ連れていき、その付き添いでさらに一泊した後、上司から電話があって海外への出張役を命じられ、その準備に追われて一週間が過ぎてしまい、さらに出張そのもので一週間、合計二週間の拘束を余儀なくされ、そうこうしているうちにボインミサイル研究所へ行くのを忘れ、結局、行き着くことが出来なかったくらい、人里離れているのだ。

 そのボインミサイル研究所では、国家による、とても重要な極秘研究がなされていた。

 どれくらいとても重要かというと(以下略)さらに、どれくらい極秘かというと(以下略)かれこれそういうわけで、ヒロシは英雄と呼ばれるに至ったのであり、同時に、堕落した悪魔でもある理由がお分かり頂けただろう。

 さてヒロシのことは一旦脇に置き、ボインミサイル研究所には現在、夢を操る魔人であるフルチン・クルーザーが拘束されていた。

 彼の力を解明し、軍事目的に使おうという腹づもりなのである。

 名づけて「国家が夢を操る魔人であるフルチン・クルーザーの特殊な力を解明して軍事目的に使おうという腹づもりの計画」である。

 そのプロジェクトのため、研究所には全国から選りすぐられたその道のプロが集い、適当に任につき、国民の皆様の貴重な税金を無駄遣いしていた。

 高見沢マリアも、その、略して「フルチン計画」の研究員の一人だった。マリアは、日本人の父と日本人の母を持つ日本人である。皆にはマリエンヌと呼ばれている。

 マリエンヌの担当は、隔離室にて睡眠状態にあるフルチン・クルーザーをモニターで監視することだった。楽な仕事だと思い、特に超常現象のスペシャリトというわけではないのだが、応募したら、なぜか採用されたのだ。いわば、シンデレラガールである。

 監視はそっちのけで、朝倉世界一氏のフラン県こわい城の単行本などを持ち込んで、もぎたての生トマトを齧りながらげらげら笑つてゐた。

 マリエンヌの相棒は、ハンザエモン・クリスピアノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・スズキ・イ・サトウである。マリエンヌと同じく、日本人の父と日本人の母を持つ日本人である。彼は、ウラーノ桔梗などという、ちょっと痛いハンドルネイムで自らのホームページを持ち、おもに恋愛小説を発表しているのであり、やはり監視はそっちのけで、ノートパソコンに向かって恋愛小説を書いていた。いわば、市井の恋愛小説家なのである。皆には、ハンドルネイムの方で呼ばれてゐた。

 そのように、モニターを全く見ていなかった二人だから、フルチン・クルーザーの状態の変化には、気づくはずもなかった。

「きゃあ」

 唐突に、ウラーノ桔梗の悲鳴がモニター室内に響き渡る。

 びっくりしたマリエンヌは、漫画から顔をあげ、ウラーノ桔梗の方を見遣った。

 なんと、クローンされたかの如くウラーノ桔梗が、二人になっていた。

「いやあ、ただでさえ気色の悪いあなたが、二つに増殖するなんて!」

 マリエンヌは恐怖に慄いたものだ。

 二つに増殖したウラーノ桔梗は、驚いたようにお互いを見つめていた。せっかくだから、あみんの「待つわ」をハモった。とても美しい歌声に、マリエンヌはうっとりと聞き惚れたものだ。それから、いつものように監視モニターのひとつにプレイステーションのケーブルを差し込んで、桃鉄をして三人で半日ほど遊ぶなどし、ようやく気がついたことがある。

「は! ウラーノ桔梗が二人に分離するとは、こんなことが現実に起こりうるはずがない。ということは、フルチン・クルーザーの能力によって、現実世界が夢の世界に侵食されているのだわ」

 マリエンヌは研究者らしく分析をしてみせた。

「うむ、なるほど、そういうわけか。では、君は本部室に報告をしてきてくれたまへ。僕たちは待っている間、待つわのハモりを完璧にしているとしよう」

 二人のウラーノ桔梗が提案すると、マリエンヌは承諾し、モニター室を出て本部室へと廊下を走った。

 廊下は走っていけません、と張り紙が出ていた。

 マリエンヌは早足で歩いた。

 途中でフルチン・クルーザーと行き会った。

「きやあ、あなたは隔離室にて睡眠状態にあるはず、なんでここにいるのですか?」

「馬鹿め、おまえたちは漫画を読んだり、くだらない小説を書いたり、あまつさえビデヲゲームをしたりしていたので気づかなかったであろうが、その間に私は見事に捕縛を脱していたのだ」

 フルチン・クルーザーは声高らかに笑った。

「おのれ、私たちの怠りのない監視の目をどうやって欺いた。油断のならん奴め」

 マリエンヌは、この期に及んで自分の非を認めようとせず、そんなしらばっくれだけで、二十数年を生き抜いてきた女である。

「……まあ良いわ、私の超能力によって貴様の望むモノで、貴様を責め殺してやろう」

「あ、私の望むモノ?」

「ああ、お嬢さん」

 フルチン・クルーザーは、自分の意識をマリエンヌの意識下に潜り込ませ、いやあ私の中に入ってこないで、マリエンヌは必死に抗うも、無駄な抵抗なのであった。

 すっかりマリエンヌの意識を蹂躙しきったフルチン・クルーザーは、「出でよ」の掛け声によって、マリエンヌが心ひそかに望むモノを現実世界に出現させた。

 およそ十人ほどの、ふんどし姿のマッチョな角刈り男子たちが、マリエンヌをわらわらと囲んだ。さらに男たちは容赦なく「こいさん待ってておくれやす」「こいさん待ってておくれやす」と、ずいずいマリエンヌに迫った。

 いやあ、とマリエンヌは嬉しい悲鳴をあげた。

 フルチン・クルーザーは、変なモノを出現させてしまったなと、少し後悔の念がないでもなかった。

 その時である。

「マリエンヌ、目を瞑れ!」

 そう声がしたかと思うと、手榴弾のようなものが床をころころと転がってきて、どかん、凄まじい轟音を発しながら炸裂したのだった。

 フルチン・クルーザー、ならびに、ふんどし男子たちは、一様に耳を抑えてもがき苦しみ、無論、マリエンヌも例外ではなかった。

「ああ、しまった、目をつむれじゃなくて、耳をふさげだった」

 音響弾を投げ込んだ男、チャーリーは、ぺろり舌を出して笑う。

 マリエンヌの足を引きずり、階段の踊り場まで運ぶと防火扉をがちゃんと閉めた。

 ちなみに、このチャーリーは、日本人の父と日本人の母を持つ日本人である。

 研究員たちは、インターナショナルなのである。

「ああ、耳がきんきんするわ」

 マリエンヌは、目をしぱしぱさせながら、指で耳の穴をぐるぐるとほじる。

「大丈夫、僕がお爺さんから習ったツボを押すことによって、君の耳を治してあげよう」

 チャーリーは、マリエンヌの肩の辺りを指圧した。

 途端、マリエンヌは息も絶え絶えに、ぐったりとする。

「ああ、また間違えた、タハ」

 チャーリーは本当に愛すべきウッカリ屋さんで、しかしそこはやはり男たる者、これ幸いにと年頃の女であるマリエンヌに悪戯してやろうと企んだところ、マリエンヌが懐から、百メートル先のアフリカ象の脳味噌も吹っ飛ばせると伝説の傭兵ジェド豪士も太鼓判を押すS&W-M29の44マグを取り出し「殺すぞ」と凄んだので、チャーリーはあきらめざるを得なかった。

 マリエンヌは、チャーリーがお爺さんから教えられたツボによって、聴力を回復させた。

 どすん、どすん、と、防火扉が、今にも吹き飛びそうなほど――ふんどし男子たちが体当たりをしているのだろう――物凄い衝突音を発していた。

「畜生、それにしても奴らは一体、何者なのだ?」

 チャーリーが額の汗を拭いながら、苦々しい顔をする。

 マリエンヌは顔を赤くした。

「説明するわチャーリー、フルチン・クルーザーが何らかの事情で睡眠状態から醒め、私とウラーノ桔梗の蟻一匹すら見逃さないほどの厳しい監視の目をかいくぐり、隔離室からの逃亡をまんまと成功させ、その特殊な超能力によって、現実世界に奴の悪夢世界を侵食させているのよ」

「ふむ、蟻一匹すら見逃さないほどの監視なのに、奴の睡眠状態が切れた事情が確としないのは解せぬが、まあ、だいたい今ここに起こっている状況を僕は呑み込めた」

「で、どーしよう?」

「ふむ、とりあえず君は本部室に赴き、研究員の長であるリチャード博士に報告し、しかるべき措置を仰ぐことを義務とするべきだ。それまで、この僕が、ここで敵を引きとめよう」

 チャーリーは額の汗を拭った。

 汗っかきなのだ。

 マリエンヌは首を横に振る。

「無理よ、あの逞しい……いえ、おぞましい奴らを見たでしょう? ひ弱なチャーリーなんか、いちころなんだから」

「おいおい、この僕が何の手も打たずに、敵を迎え撃つと思うかい?」

 チャーリーは、我に秘策ありとばかり、不敵に笑ってみせた。

 マリエンヌは苦笑を洩らす。

「さすがね、策士チャーリーここにありって感じ、私なんかが心配するのは杞憂だったかしら?」

「ふ、当たり前だろう」

 そう言うとチャーリーは、床に手をつき、やにわに腕立て伏せを始めた。

 今から体を鍛え、マッチョなふんどし男子たちに対抗するつもりである。

「うーんダメ、今のところ一回が限界、ようし、なんとか二回できるように挑戦するぞう!」

 踊り場にチャーリーの雄叫びが響く。

 マリエンヌは、やっぱりチャーリーも男の子なのねと感動しながら、そっと踊り場を離れるのだった。

 防火扉は今にも破れそうだった。

 ようやくマリエンヌは本部室に辿り着く。

 本部室のドアをノックした。

 しかし返事はない。

 再びマリエンヌはドアをノックした。

 やはり返事はない

 みたびマリエンヌはドアをノックした。

 返事がないのに目上の人の部屋に入ることは、社会人として常識を疑われるような行為なのであり、健全なマリエンヌに、そんなはしたない真似が出来ようはずなかった。

 そうして彼女は延々とドアをノックし続け、一時間ばかりが経った時、ふと、部屋の中で異常事態が起こっているのではないかと直感した。

 女の勘ってやつだ。

「研究員の長であるリチャード博士!」

 マリエンヌは本部室へ踏み込む。

 果たしてリチャード博士は、荒縄によって縛りあげられたうえ、女王様たちにヒールで蹴られ、嬉しい悲鳴をあげていた。

「ふふ、遅かったじゃないか」

 本来、リチャード博士が座るべき回転椅子には、なんとフルチン・クルーザーが足を組んで座っており、彼はやおらにマリエンヌの方へ椅子の向きを変えると、ニヤリと笑いかけた。

「は、そうか!」

 マリエンヌは気がついた。

 ということは、リチャード博士を苛める女王様たちは、博士が意識下に望んだモノなのであり、だったら博士、私に声をかけてくだされば……じゃなくて、フルチン・クルーザー、許さないぞう。

 マリエンヌは、懐から例のピストルを取り出し、ばきゅんと撃った。

「ふふ、私のいわばマイワールドにおいて、そのような俗物的兵器が通用するものか、馬鹿め」

 フルチン・クルーザーの言う通り、ピストルの弾はたちまちマシュマロへと変わり、彼にぱくぱくと食べられた。

 すると、女王様たちがほほとマリエンヌの傍に駆け寄ってきて、彼女を羽交い絞めにし、マリエンヌは懸命に身をよじるも虚しく、気づけば目の前には、フルチン・クルーザーの爛れた顔があった。

「この爪によっておまえを切り刻んでやる」

 フルチン・クルーザーは、指の先から、五本のナイフの刃をぴしと出現させる。

 嗚呼、一巻の終わり。

 マリエンヌは目を瞑った。

――あきらめるな。

 頭の中に声が響いた。

 リチャード博士の声だった。

 テレパスィー?

 でも博士、この状況であきらめるなって言われても、もうどうしようもないじゃーん。

――いや、君にはまだ、最後の武器が残されているじゃないか。

 最後の武器?

――うむ。

 なによ?

――愛じゃよ、愛。

 愛!

 マリエンヌは目から鱗が落ちる思いだった。

「そうか、愛してやる、おまえを愛してやるぞう」

 はっとマリエンヌは顔をあげると目を剥いて、フルチン・クルーザーに叫んだ。

「ふ、迷いごとを。私を愛せる者などいるだろうか(いや、いようはずがない)」

「そんなことないっすよ」

 マリエンヌは、瞳を最大限にきらきらさせて、フルチン・クルーザーの目を見つめた。

「きゃあイヤ、僕を愛さないで」

 というのも、憎しみこそがフルチン・クルーザーの原動力なのであって、その対極に位置する愛の力は、彼にとって凄く忌むべきものなのである。

「ちゅうさせて、ちゅうさせて」

 マリエンヌは、フルチン・クルーザーをハグし、キスの嵐をお見舞いする。

 しゅうう、と、フルチン・クルーザーは、みるみる影を薄くさせた。

「もっと早く君と出遭えていれば……」

「ああ、フルチン、待って……」

 フルチン・クルーザーは消えてなくなった。

 ただマリエンヌの涙は奴のために流れた。

 と同時に、女王様たちも消え、ふんどし男子たちも消え、ウラーノ桔梗の分身も消えた。

 ウラーノ桔梗には友達がいないので、すっかり気心を許せるようになった自分の消失に、せっかくボクにも友達が出来たのに……と、まるで子供の如く泣きじゃくった。

 一方、チャーリーは、腕立て伏せが三回も出来るようになっていた。清々しい気分だった。

 マリエンヌは、ふんどし男子を一匹、家に連れて帰りたく思っていたので、ちょっと残念だったが、まあ仕方がない。リチャード博士の机上から、ハバナ産の葉巻を一本拝借し、ぷかあと薄紫の煙を吐き出した。

「まあ、なんていうか、男なんてちょろいもんだね」

 ひと仕事を終えた後の葉巻の味は格別だった。さらにそれが人のモノだということが尚さら気分を高揚させた。あした天気になあれ。

「でかした、でかしたぞ、マリエンヌくん」

 緊縛されたままのリチャード博士が、床を這うように体をくねくねさせながら、マリエンヌを嬉々として褒め称えた。

「うるせー、この変態野郎!」

 マリエンヌは、リチャード博士に蹴りをくれるのだった。

「あっ」

 リチャード博士は、白魚の如く、体をのけぞらせた。

 マリエンヌが、このボインミサイル研究所の全権を握るのは、どうやら時間の問題のようである。

 この物語は、一研究員であるマリエンヌが国家規模の研究所を足がかりに、やがて世界を征服する話でもありえたのだが、マリエンヌにその気がなかったので、世界は無事だった。

 ちなみにリチャード博士は、日本人の父と日本人の母を持つ日本人である。

 マリエンヌは、研究所を辞めた後、秘密を握ったリチャード博士から毎月数十万円のお小遣いを貰いながら、いついつまでも幸せに暮らしましたとさ。

 良かったですね。(完)


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蒼の掌編集 裏桔梗 @urakikyou

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