エピローグ(勝者の敗北宣言)
カイロネイアで行われた合戦は、マケドニア王フィリッポス二世の勝利に終わった。敗れたアテネ・テーバイ連合軍は当時の戦争のルールに則り、勝者側に使節を送り遺体収容を申し出てその許可を求めた。
マケドニア王は敗者側の申し出を認めたため、アテネ人とテーバイ人が戦場で倒れた同胞の遺体の収容を開始した。
「ふん、余が歩む覇道の前に立ち塞がったから、このような目に遭ったのだ。これで、アテネとテーバイが余に噛みついてくることはもはやあるまい」
勝利に機嫌を良くしたフィリッポス二世であったが、ここであることに気付く。
「パウサニアス。余の息子はどうして姿を見せない? 一緒に祝杯を挙げようと思っていたのだが……今どこにいるか調べてこい」
「はっ、ただちに」
親衛隊の指揮官に指示を出すと、フィリッポス二世はしばらく知らせが届くの
を待った。まもなく、彼が送り出したパウサニアスが戻って来て王に告げた。
「陛下。アレクサンドロス殿下は全滅した敵部隊の遺体の山の前から動けず、親しいヘパイスティオンとともにすすり泣いておられる、とのことでした」
それは変だな。息子が敵の死体の山を見て涙を流すとは。
息子の冷酷さをよく知るフィリッポス二世はすぐに馬を用意させ、それに飛び乗るとアレクサンドロスの許に向かい、その真意を探ろうとした。
「ち、父上……」
「息子よ。いったいどうしたのだ?」
「これを見てください」
アレクサンドロスが指差した先にうず高く積まれている敵兵の死体の山を、フィリッポス二世は眺めた。その一つ一つが必ず誰かと手を合わせて最期を迎えているのが分かった。表情も死んだ者が見せる苦痛に満ちたものは一組もなく、そのどれもが安らかな死に顔を作っている。
「これは……。戦死した者たちがこうも嬉しそうに逝くなどという光景は、今まで見たことがない」
「これら全てが神聖隊――互いを愛し合う男たちだけで構成された部隊の隊員の亡骸です。親愛なるヘパイスティオンの率いる部隊はこの者たちと……たった三〇〇人の死を覚悟した勇者たちと戦い、多大な犠牲を出しつつも全滅させましたが、今となっては後悔しています」
「後悔?」
息子の口から聞いたことのない単語を耳にして、フィリッポス二世は思わずそれを繰り返していた。やや間があってから、アレクサンドロスはその意味を明かした。そばに泣くのを止めないヘパイスティオンを
「父上。父上も御存知のように、俺にもヘパイスティオンが、世界一愛してやまない美しい男がいます。俺は確信をもっていたのです。
『俺は世界中の誰よりもヘパイスティオンを愛している』と。
ですが、俺が止めを刺したそこの男が最後に見せた美しい行動を見ているうちに、その確信は大きな
そこまで言うと、アレクサンドロスはとめどなく流れる涙で頬を濡らしつつ、神聖隊の遺体が転がる場所から少し離れた場所に倒れれている、一組の神聖隊カップルの遺体を指差した。指された先へとフィリッポス二世はゆっくりと歩いていく。そして、その神々しさを目の当たりにすると感嘆の吐息をもらした。
「美しい……」
残虐な専制君主でさえ思わず見惚れ、そう呟くのがやっとであった。
眼下で倒れたまま動かない、花冠を兜に被せた二人の若い男が固く抱擁している姿は、氷のように冷徹な心の持ち主であるフィリッポス二世ですら引き剝がすのをためらわせたのだ。
「息子よ。お前の言いたいことが理解できたよ」
振り向きつつ、フィリッポス二世はアレクサンドロスに告げた。
「余にも愛するパウサニアスがいるが……ここに倒れている二人の若造のように、死の瞬間までこうして穏やかな顔をして逝けるか、自信が持てなくなった」
「オレもです。父上」
この決戦に勝利したものの、ギリシア世界を制覇して僅か二年後に
我々はカイロネイアで勝利した。しかし、全滅した神聖隊が見せた気高き愛の城壁を突き崩すことはできなかった、と。
(完)
愛の300、カイロネイアに散る 荒川馳夫(あらかわ はせお) @arakawa_haseo111
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