カイロネイアの決戦③(全滅)
カイロネイアの戦場が混迷を極めるなかで、テアゲネスは孤立してしまっていた。
「アポロドロス! おい、アポロドロス!」
視界を土埃に奪われ、聴覚を人の挙げる声と馬の
「アポロドロス、まさかお前、死んでなんか……」
不吉な言葉がふと口から出てしまったが、それを打ち消そうとテアゲネスは必至になって捜索を続けた。途中で会った敵兵を一太刀で斬り倒すこと数回、遂に彼は発見した。
「あ、あぁ、ウソだ、まさかそんな……」
絶対に見間違えるはずのない目印を、花冠を付けた兜を被ったまま横たわる最愛の人の姿を、テアゲネスは確認したのである。彼は急いでアポロドロスの許に駆け寄り、その体を抱き上げる。
「アポロドロス!」
「あはは、ごめん……油断してたら、後ろから刺されちゃった……えへへ」
明るく振る舞うアポロドロス。しかし、その白い胸当ては自分の流した血で真っ赤に染まりあがっていて、誰が見ても重傷を負ったのだと分かる状態だった。
「テアゲネス。ボク……みんなの役には立てなかった」
「もういい! 喋るな!」
「君と一緒に訓練して……戦場で立派に戦って君に褒めてもらいたいと思って……頑張ってきたのに、三人しか倒せないまま……死んでいくんだもの」
「喋るなって……言ってるだろ!」
「ねえ……最後に、ボクの願い……聞いてくれる?」
「なんだ?」
「ボクを一人でここに……おいていかないで……ね」
それがアポロドロスの最後の言葉となった。
「おい、アポロドロス……アポロドローーーーーース!!」
最愛の人の体から力が抜けるのを、そして魂が天高く旅立っていったのを感じ取ったテアゲネスは、獅子が雄叫びを上げるように泣き叫んだ。
「なんだ!? 戦場にライオンでも飛び込んできたのか?」
「そんなこと、どうだっていいじゃないか。さあ、愛しのアレクサンドロス。敵の残党をさっさとぶっ倒して、さっさとここからおさらばしようぜ。花冠を付けた敵兵に殺されかかった場所にはいたくないんだよ……」
不意に聞いてしまった会話が、テアゲネスの心に憤怒の炎を燃え上がらせた。
花冠を付けた敵兵に殺されかかった?
ということは、アポロドロスはヘパイスティオンとかいう男に殺されたのか?
なぜ、どうして?
どうしてだぁ!!
戦場を舞う土埃が薄れつつあった時、テアゲネスは自分が愛した人を殺したと思しき人物の姿を、アレクサンドロスという男の馬に乗って戦場から離れようとしているヘパイスティオンの姿を認めると、アポロドロスの亡骸を地面に下ろしてそばに落ちていた投槍を拾い上げた。
「お前か」
そして、すっくと立ちあがると助走をつけて、仲間と戦場から離脱しようとしている黒髪の男の胸に狙いを定めた。
「お前かぁーーーーーーーー!!」
テアゲネスに背を向けて馬に乗ろうとしていたヘパイスティオンには、不意打ちに対応する猶予は与えられなかった。
「ヘパイスティオン!」
「貴様ぁ! 神聖隊の生き残りか!」
そして、もしテアゲネスが投じた槍がアレクサンドロスの馬に命中していれば、彼に狙いを定めていたアレクサンドロスは落馬して運命は違うものになっていたかもしれなかった。
「ぐはっ……」
しかし現実は、テアゲネスの槍はアレクサンドロスの馬を掠め、即座に馬を駆って迫ったアレクサンドロスの馬上からの斬撃が、テアゲネスの左肩から斜めに深い傷を負わせるという結末を迎えた。
くそっ、やられた……。
膝をついて、うつ伏せに倒れるテアゲネス。薄れゆく意識のなか、彼の脳裏には以前に見た悪夢がまざまざと蘇ってきた。
その夢のなかで自分は、純白の胸当てに派手な頭飾りを付けた兜、そして英雄ヘラクレスが描かれた金色の楯を身に帯びた美丈夫が止めを刺されていた。
そういう……ことだったのか。
ここでようやく、テアゲネスは気付いた。夢のなかで自分の命を奪った男こそ、今こうして自分を剣で斬り付けてきたアレクサンドロスその人だったのだと。
だとすれば、このままだと悪夢の通りに話が進んで、オレはアポロドロスと最期を共にできなくなってしまう。
「そんなの……嫌だ」
時間があまり残されていなかったことは、テアゲネス自身がよく分かっていた。
「アポロドロス……待ってろ」
だとしても、彼には最愛の人と交わした最後の約束を果たさなければならなかった。
「お前を一人にして……オレは逝かないから……な」
這いながら、血を吐きながら、テアゲネスは遂に目的の場所に辿り着くことができた。
「アポロドロス……」
最愛の人の亡骸の腰に手を回して、テアゲネスはもはや機能していないその人の耳に
「今逝くから待ってるんだぞ……世界一美しい……オレのアポロドロス」
その直後、テアゲネスはアポロドロスと約束した通りに、彼のそばでこの世から旅立っていった。
とても戦死した人のものとは思えない、幸せな表情のままで。
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