第12話 空っぽの坂道を転がる

 ララと出会ってから3年ほどが経った。

 イココの花が枯れてからも。

 

 ララは今日この町を出ていくらしい。

 結局、彼女は半年に1度ぐらいの頻度で私に会いに来てくれた。

 諦観の中にいる私と、多分友人でいてくれた。

 本当にありがたい。


 だから、寂しくなる。

 けれど、見送りには行かない。

 正確には行こうとしたけれど、やめた。

 祭りとかでの様子を見る限り、ララの友人は多そうだし、私が行かなくても良い気がする。それに友人の見送りというのは変な気もする。恋人でも親友でもないのだから。

 

 一応、3日前にも会ったし。

 まぁそれだけで良い気もする。

 会おうと思えば会いに行けるのだし。

 ……二度と会わないような気はしているけれど。


 なぜこの町からいなくなるのかの理由は詳しくは知らない。

 かるく聞いた限りだと、別の町の近くで強力な魔導兵器が現れたからだとかなんとか。それがどうしてこの町を出ていく理由になるのかはわからないけれど。


 強力な魔導兵器がいる場所にわざわざ自分から行くなんて、正気じゃないというか……少しは心配してしまうけれど、まぁ私にはどうにもならないことぐらいは知っている。

 というか、エレラも止めなかったのかな。ララのことを大切に想っているはずなのに。それこそ私の言うことではないのだけれど。

 ……逆か。エレラが別の所に行きたいと言ったのかもしれない。それなら話はわかりやすくなるし。


 もう3年。

 3年経って、教会にいる同量の魔法師達の顔ぶれも大分変わった。

 町は相変わらず閑散としているけれど、最近は少しは賑わいの兆しを見せている。どうやら、未開拓領域の遺跡の価値が思ったより高かったらしい。

 それが良いこととは素直に思えないけれど。


 そして、私は何も変わっていない。

 あの頃からずっと同じようにこの教会で独りでいる。


 いや、変わっていないというのは嘘かもしれない。

 あの時よりも、現実から離れている気がする。


 最近は時の流れが早い。

 どんどん置いて行かれている気がする。

 瞬きのうちに1日が経ち、何かをする暇もない。

 そんなはずはないのだけれど。教会の魔法師の仕事はそこまで忙しくはないのだから。


 けれど、何かをするよりも早く時は過ぎる。

 私のいる位置がどんどんずれていく音がする。

 置いていかれている。この現実に。


 私は空想に見放されて。

 この現実からも置いていかれて。

 居場所ない私が、ついに行き場を失おうとしている音がする。


 そのせいかここ3年の記憶はあまりにも薄い。

 何をしたのかは覚えていても、何かをしたという実感があまりにもない。生きてきた感覚がない。


 それは別にここ3年に限った話ではないけれど。

 これまでの人生で思い出すのは、私が生きてきた実感ではなく、あまりにも散文的な後悔。


 瞼を閉じてみれば思い出す。

 たくさんの後悔を。


 結局マーチルちゃんには何も言えなかった。

 魔法学校に入りたいと言っていた彼女は、無事に試験に合格したらしく、魔法学校に入学できたらしい。


 けれど、去年彼女が学校から長期休みで戻ってきた時、休みだというのに毎日教会で魔法の練習をしていた。

 それだけなら単純に魔法が好きな子だけれど……でも、私にはそれがあまりにも切羽詰まっているように見えた。


 仮にも魔神教の修道女としては言葉の一つぐらいかけてあげるべきだった気がする。でも、私が何を言っても彼女には逆効果な気がして、ただ彼女が辛そうに魔法の練習をするのを遠目で見ただけだった。


 何か言えば良かった……なんて軽々しくは言えない。

 多分、私が何を言っても意味がないことはわかっている。

 わかっているけれど。


 でも、ああいう出来事のたびに。私には誰かと関わる能力が欠けていると感じる。

 私の中には彼女にかける言葉がなかった。それだけ私が空っぽだから。

 こんなに空っぽで誰かと一緒にいたいなんて思って良いわけがない。


 今でもあの日のララの言葉を思い出す。


『助けたい』


 そんなこと言われたことはなかった。

 あの時、伸ばしてくれた手を言葉だけで払いのけたことが正解だったのかはわからない。

 でも、あの手の先に私の救済はないと今でも信じている。


 救済とは何か。

 それもまだわからないけれど、もしもそれが幸福のことなら、私には永遠に訪れないものだとわかる。


『リリアは幸せ?』


 幸せじゃない。

 自分が飛び抜けて不幸だとは思っていないけれど、間違いなく私のところに幸福はない。


 多分これも私の心が空っぽだから。

 空っぽで穴が空いているから。

 どれだけの幸運があっても、それを感じ取るのが下手くそだから。


 私は幸せだとは思っていない。

 恵まれているはずだけれど。

 自分が思っているよりも自分は強欲で怠惰で傲慢なのかもしれない。


 そうわかってしまえば、余計に私という存在と生きることが難しくなって、さらに現実が遠くなっていくものだから。

 あまりにも思考がばらばらになっていく。殺意のある妄想と薄過ぎる現実が混ざって、私の視界はあまりにも意味をなしていない。


 ぐちゃりとした情報がごちゃごちゃと思考の中を行ったり来たり。

 いつまでも情報が完結していない。

 私はどこまでも追いていかれている気がする。


 そして目を開けると、大雪の中にいた。

 結局、私はここにしかいないということなのかもしれない。

 あまりにも孤立している雪の中なら、どこでも孤立している私にも居場所があるような錯覚を覚える。


 錯覚でしかないのに。

 私には居場所なんかないのだから。


 だからかどうかはわからないけれど。

 私は気づけば、岩陰に来ていた。

 あのイココの花があったあの場所に。


 もうあの子はいないのに。

 そう思ったけれど。


「あれ」


 そこには元気に花を咲かせるイココの花があった。

 それもあの子だけじゃない。

 いくつかのイココが花を咲かせている。


 ここにはララと初めて会った日から来ていない。

 つまりこの長い間、私の魔力供給がなくても生きていたということになる。

 でも、ここは地脈が通っていないはずなのに。


 ……違う。

 考えてみれば当然の話だ。

 ここには微弱であっても、魔力が流れている。

 地脈ではなく、別の存在がここに魔力を流している。

 そうでなければ、イココが芽を出すはずがないのだから。


 土の中はわからないけれど、きっと木の根でも生えているのだろう。

 この雪原には所々に巨大な樹があるから、その巨大な木の根が地脈の代わりをしている可能性はそれなりにある。

 私がいなくても、イココの花は元気にしているのか。


「はは」


 何故か私は笑っていた。

 多分、あまりにも滑稽過ぎたからだろう。

 私の姿が、声をだして笑えるほどに滑稽だったから。

 

 結局、イココの花すら独りではなかったということなのだから。

 独りで生きようとするイココの花を助けようと独りよがりの趣味をしていたけれど、結局それも意味はなくただの私の意味のない自己満足以下の何かだったということなのだから。

 最初から最後まで独りで孤立する道を選んだのは私だけということなのだから。


 これを笑わなければ、どうすればいいのか。

 それもわからない。


 だから、あまりにも空っぽな笑いをあげている。

 久しぶりに笑っている気がする。

 声を出すのも久しぶりな気がする。

 そんなわけはないけれど。


『叫ぶことができない日が来るから』


 ふと、聖典の一文を思い出す。

 どの章のどの節かはわからない。

 けれど、子供の頃に見たその文字を、ずっと思い出してきた。

 

 どういう意味で聖典に書かれていたかは知らない。

 けれど、私にはいつか何をしても、世界に影響を与えられない日が来ると書いてあるようにしか見えなくて、ずっと怯えていた。


 だから、私は知っていたはずなのに。

 抗っても、喚いても、叫んでも、泣いても、誰にも伝わらない日が来ることを。

 世界から切り離されて、私という存在が泣いていても、誰にも気づかれない日が来るということを。


 その日はもう来ていた。

 私は気づいたら、もうそこまでの孤立をしている。

 それに気づいてなかっただけで。


 私にはもう未来はない。

 その予感がする。

 多分、ここが私の終着で、これ以上の何かはない。

 遥か昔のどこかが最高点で、あとは緩い坂道を独りで落ちていくだけなのかもしれない。


 なら、燃やしてしまいたい。

 この花も、遠くの木も全部。

 私がここにいないのなら。

 私だけが孤立しているというのなら。

 仲間同士で存在しているものなんか消えてしまえばいい。


 手を振れば、術式が編まれ、魔力が熱を生み出す。

 あとはこれを解放すればいい。


 そうすれば、この熱は私の手の中から溢れ出て、一帯を燃やし尽くす。

 いくらこの辺りの雪が強いと言っても、この炎はそんなことでは止まらない。

 真っ先に私の身体を炎で包み、醜い白髪を灰に変えるだろう。

 

 でも。

 私の前に降る雪を見れば、そんなことをする気も失せる。

 死ぬことが怖いのかな。

 あんなにも殺されているのに。

 なんだかまだ現実にいるということかもしれない。


 ……どうだろう。それよりはもっと単純に、結局、私には何もできないということでしかないような気もする。

 一応、綺麗に言うのなら、懸命に生きようとしているイココの花に干渉するのは良くないと思ったからともいえるかもしれない。少なくとも、私の意思で殺していい存在じゃない。


 これも、ただの自己満足かもしれない。

 そしてそれで私は満足すらしていないのだから。

 本当に心底。


「気持ち悪い」


 雪風の音に紛れ、どこにもない心が握りつぶされる音がした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

孤立少女は叫べない ゆのみのゆみ @noyumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る