第11話 心ここに在らず
逃げ続ける日々が続き、冬も開け始めた頃。
私の前に、彼女は無理やり現れた。
「リリア、久しぶり」
「……ララ」
その日もいつものように外を歩いて、日が暮れてからしばらくしたころにこの教会に帰ってきた。けれど、いつもと違ったのは、教会に入れば、広間の一角にララが座っていたこと。
こうして相対してみれば何だか不思議な感じがする。
「えっと、少し話したくて。今良いかな」
私はそれに頷く。
断ることもできると言えばできたのだろうけれど、
「その、最近どう?」
「抽象的だね」
「確かに。でも、ほら。最近会えてなかったし」
「まぁ……うん。少し忙しいけれど。普通かな」
別に忙しくはないけれど、忙しいと言っておく。
これはただの言い訳。ララとのまだ友人ではいたいという小さな抗い。
それに何の意味があるのかはわからないけれど、貴重な友人を捨てられるほど私は孤独に強くはない。
「ララは、どんな感じ?」
「良い感じ。遺跡調査も上手く行ってるし」
「そうなんだ」
「うん。この前も魔導核が見つかってね。保存状態も良くて。転用可能性もかなり高そうだったんだ」
「えっと、良かったね」
よくわからないけれど。
多分、貴重な遺物が見つかったのだろう。
順調そうで良かった。
「て言っても、よくわからないよね。ごめんね」
「ううん。別に」
「リリアはどう? 忙しいって言っていたけれど、何かあったの?」
何もなかったけれど。
どう言えばいいのかな。
「……まぁ色々あって」
「色々」
「うん。色々」
「そっか」
多分、色々の中身を聞いているのだろうけれど。
私には応えられない。だって別に何もなかったし、色々と言っているのはただの誤魔化しでしかないのだから。
それはきっとララもわかっている。彼女はそこまで察しの悪い人じゃない。
それに踏み込んでくるほど、私のことを気にかけている人でもない。それぐらいのことはわかってきた。
「えっと、何か話があるんじゃなかったっけ?」
「そうだね。ひとつ話したいことがあって」
「うん」
「私、恋人ができたんだ」
視界がばたりとした。
思考がちかちかして、知っていたはずの事実なのに、言葉の意味を一瞬考えるほどに。
けれど、想像以上に返答はするりと出た。
「そうなんだ。良かったね」
「うん。本当に。私には勿体ないぐらいの人でね」
ララは本当に嬉しそうに語る。
嬉しそうとは少し違うかもしれない。
相手のことを思い出すだけで、頬が緩むというのか……そういう風に見える。
それはあまりにも遠い世界の出来事で、その景色はどうにも現実感がない。
「助けてもらったんだ。たくさん。すごく感謝してる」
それは随分なことだけれど、結局ララが何を言いたいのかわからなかった。現実の話だと思えないからかもしれない。何の話をしているのかがよくわからない気がする。
わざわざ惚気話をしにきたとは思えないけれど、ここから何の話になるのかわからない。
「その、どうしてその話を?」
どうして私に。
正直、そんな話聞きたくはなかった。
あの日見た光景が勘違いなどではなかったと突き付けられる言葉だったから。
……それが知りたくないというのもあって、今まで逃げ続けてきたのに。
でも、意外と動揺していない。そんなものか。
少し慣れたということかもしれない。孤独に。
「まぁ、うん。私、今まで深い繋がりなんていらないって思ってた。小さな繋がりがたくさんあればいいって。そうすれば、もしもひとつぐらい失っても怖くないでしょ?」
「まぁ、そうだね」
いわゆる依存先を増やすということだろうか。
けれどそれは小さくても確かな繋がりをたくさん作れる強者の言葉。
私にそれを言われても困る。
「エレラに出会って、そうでもないかなって思ったんだ。深い繋がりが他の繋がりも強固にしていくみたいな。全部繋がってるんだって」
「うん」
「それに気づいてから、すごく幸福な気がする。これからどうなっていくかわからないけれど」
それは結構なことというか。
ララが幸福になることを喜ぶ方が正しいのだから。
誰もが幸福な方が正しいのだから。
魔神様だってそれを望んでいる。
でも、皆が幸福な世界に私の居場所はない。
……ううん。どこにも私の居場所はない。
「なんていうか。リリアにも幸せでいて欲しいなって思うんだ。リリアはどう? 今、幸せ?」
「え」
無軌道な相槌が途切れる。
あまりにも答えられない言葉だったから。
幸せかどうかなんて、悩むまでもないけれど。
でもそれを答えることは私にはできないのだから。
そんな資格は私にはないのだから。
「なんていうか。リリアを助けられるかはわからないけれど、私もリリアに恩返ししたくて。だから、私にできることがあるなら言って欲しいなって」
「……どうして?」
どうしてそんなことを言うの?
それがわからない。
なんでそんなことを今更言われるのか。
ようやく諦めた今に。
「困ってるんじゃないの? リリア、辛そうだよ」
……そんな風に見えるのか。
私は、そんな風に見えているのか。
なんだか意外だった。
ララからしたら私は辛そうに見えるなんて。
その程度の解像度でしかないなんて。
これを意外と想うことにも、思わず笑ってしまいそうだった。
まだ私は、私のことを理解してもらえると思っていたらしい。
この期に及んで。あまりにも。間抜けすぎるというか。
「……別に。それに、恩返しって……何もしてない、けど」
「ううん。独りでこの町に来て不安だった時に、リリアと出会えてよかった。あの時、私と友達になってくれてありがとう」
「まぁ……うん。助けになったらよかったけれど」
でも、そんなのは、私じゃなくても良かったことだろうけれど。
ララなら、あの時私と出会わなくても、いくらでも友達ぐらいできただろうから。
私は必要じゃない。
それぐらいのことはわかってきた。
わかるようになってきたのに。
「だから、リリアが困っているなら助けたい」
助けたい。
その言葉に私は想像よりも心が何も動かなかった。
ずっと、そう言われたかったはずなのに。
そう言ってくれる誰かに手を差し伸べてもらえる日を待っていたのに。
私の心は驚くほどにここにはいない。
そしてどこにもない。
だから、ララの言葉を上手く受け止められない。
だから、助けてとは言えない。
どうしたら私が助かるのか、私もわかっていないのだから。
それに、助けてなんて……そう叫ぶことすら許されていない気がして。
だからただ。
「私は、助けられないと思う」
そう言うしかなかった。
それが垂らされた糸を切る言葉だったとしても。
もしも糸を掴んでも、私は助かることはできないであろうことぐらいはわかっていたから。
だから、私はここで蹲り、声を噤むことしかできない。
「助けられない?」
「まぁその。きっとララにはできないと思う。私の問題を解決することは。ううん。きっと誰にも。だから、助けられない」
「そんなこと」
「そんなことあるよ。だから、気にしないで」
私のことは気にしないで。
気にしたような顔をしないで。
そんな小さな気遣いじゃ、私の心を見つけることはできないのだから。
私にすら見つけられていない私の心の在処を。
「リリア、でも」
「ううん。無理だよ……私はここにいるよ。ずっと。ここから出られない」
ララはまだ何か言いたそうだった。
それは同情からか。
それともさっき言ってた繋がりを大切にという意思故か。
でも、結局彼女は何も言わなかった。
多分、私の諦観が伝わったせいだろう。伝わってしまったせいか。
「リリアがそう言うのなら、わかった。でも、私にもできることがあったら言ってね」
納得はしてないようだけれど、無理に笑ってそう言った。
多分、私が幸福にならなくてもララにも問題じゃないから。
ララにとっては、名前も忘れた恋人との生活の方が大事だろうから、私の方にはっきりと踏み込んでくることは無い。
「うん。ありがとう」
けれど、本当にララには感謝している。
こうして話に来てくれるだけ、どれだけ有難いか。
孤立はしていても、孤独ではないのかもしれない。
ただ誰も私を救えないだけで。
「それじゃあ、私は寝るから」
「あ、あともうひとつ」
「なに?」
「リリアが元気で良かったよ。それだけ」
「ララも……なんていうか色々気を付けて」
「ありがとう。じゃあ、ばいばい」
「……うん」
私は軽く手を振って広間を後にした。
もう別れの言葉すらまともに出せない。
またねとも、ばいばいとも、さようならとも言えない
そんな風になってしまったらしい。
あまりにも声がでなくなっていたせいで。
叫ぶこともできなくなったいたせいで。
そのせいなのかどうなのか。
部屋にたどり着いたときには、私はもう声を上げることなく泣いてしまっていた。
何も言えないけれど。何故かはわからないけれど。
ただもうわけがわからなくて。とにかく、無駄に零れる涙を眺めながら、どうにも遠くに感じる。
この世界が遠くて、上手く感じ取れない。
心がどこにもないせいで。
あんなに助けて欲しいと願っていたはずなのに。
あれだけ誰かに助けてもらえるのを望んでいたのに。
でも、差し伸べられた手を拒んでしまった。
それを後悔はしていない。
あの手を掴んでも、心が見つかるわけではないのだから。
それにララが私を救う人ではないことぐらいはもうわかっているのだから。
後悔はしていないけれど。
でも、それよりも感じたのは。
私が助かる準備ができていないということで。
『50章66節、助かる準備ができていない人を助けることは誰にもできない』
妙に思考の隅に残っていた聖典の言葉を思い出す。
魔神様の言う通りなら、私は助からないことになる。
「助かるって」
どういうことなのか私にもわからないけれど。
だって、別に私は危ない目に合っているわけじゃないのだから。
生きていくだけならどうとでもなる。
そんなにこの国の社会福祉機構は脆くはない。
私は既に助かっているはずなのに。
助かりたいだなんて。
救って欲しいだなんて。
意味が分からない。
私の心は、どうしてそんなことを想っているのか。
それとも心がないことから救われたいのか。
何がどうなれば、私を救ったことになるのか。
その全てがわからない。
だから、誰にも私を救うことはできない。
目を閉じる。
酷い妄想が視界を歪ませる。
ただ黒い手が私を包む。
細長い指を持つ黒く大きな手が私を包み、すり潰す。
そして赤い血が床を染める。
首がころりと転がる音がする。
手足がびちゃりと飛着する音がする。
身体がべたべたと零れ落ちる音がする。
そして魔力へと還る。
それは妄想だけれど。
でも、空想もこんなに死に包まれているなら、私はどこにいれば良いのかわからない。
現実は私にとってはすごく遠いもので。
空想は私を殺しにくるもので。
どこに逃げれば良いのか。
逃げる場所があるのか。
わからないけれど。
ただ私は暗闇の中で首から溢れ出る鮮血を見た。
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