第3話
朝から晴れていたので、その日は朝から
陸議は片手は使えるので、籠を持って、竹簡を預かる。
今までは片手でしか竹簡を扱っていなかったが、広げて読むことは出来るようになった。
好きに読んでいいと言われたので、それぞれ読みながら、それにまつわる話をする。
こういう書物を前にして話をしていると、陸議は改めて徐庶は本当に博識なのだということに気づいた。
今までも賢い人なのだとは思ってはいたけれど、徐庶はあまり知識を披露したりしないので、どんなことを知っているのかという部分が分かっていなかったのだ。
どちらかというと大陸を長く一人で旅していたという、実践から身に着けた生きる為の知恵や知識に長けた人なのかなという印象を持っていた。
だが徐庶は驚くほど広範囲に、様々な分野に興味を持ち、その知識に長けていた。
彼が軍師だと言われてもあまりそのような印象がなかったけれど、今は少しそれが分かる。
軍師というのは要するに導き手であり、助言者だ。
何かを聞かれた時に答えや使い方を提示するのが役目なのだ。
徐庶は確かに何を聞かれてもその用法や応用の仕方を助言できるだけの知識がある。
驚くべきことにその大半の知識は【
短期間にいかに徐庶が情熱を持って知識と向き合ったかが分かる。
彼は【水鏡荘】にいた時はのんびりしていたなどと表現するから、大きな誤解があった。
それまで役人に追われて身を隠していた生活を思えば、それは穏やかな日々だったかもしれないが、相当勉学に没頭したのだろう。
陸議は時々頬杖をついて文字を読み込んでいる徐庶の横顔を盗み見てしまった。
今まであまり見たことない真剣な表情で、微笑ましいなどと表現してしまうと失礼になるが、なんとなく興味深かったのだ。
眺めながら、自分は徐元直という人物を二度、見誤ったのだなと思う。
一度目は戦を疎むようになり、軍師よりも行政の仕事がしたいと、役人になったことを、それも彼の幸せなのだろうと思ったこと。
二度目が今だ。
行政の仕事を徐庶は確かに望んでいるかもしれないけど、確かに相応しい仕事じゃないとはっきり思った。
勿論彼は学ぶこと自体が好きだから、行政の仕事をし、余った時間で日々こうして学舎で学ぶ生活は幸せであることは間違いない。
(ただこの人はもっと大きな仕事が出来る人だ)
今ではそう思う。
人の暮らしに携わる仕事も素晴らしくはあるけれど、
徐庶には学びに対して鋭い感性があるから、だから曹操などはそれを戦場で使いたがるのだろう。
気持ちは分かった。
徐庶は読み込みながら、時々思索に耽るように視線を上げて、遠くを見る。
周瑜も時折そういう仕草をしていることがあった。
(何を考えているんだろう)
魏の為に生きてもないし、
蜀の為にも生きていない。
だけど何かを深く考えている。
自分の幸せの為に、何かを考えていればいいけれど、見ているとそうではないような気が陸議はするのだ。
(何を考えているんだろうな……)
それを少しでも知りたいと思う。
それが分かったら、その考えや願いを叶えるために手伝ってやれることがあるかもしれないからだ。
自分が眺めていることに全く気付いていない様子で、徐庶は思索に耽っている。
その横顔が呉で見た、
自分が誰かに気にされてるなんて、全く気付いてなかったんだろうな。
そんな風に龐統を思い出していると、視界の中の徐庶が不意にこちらを振り返ったので、思わず陸議は視線を下げた。
くす、と笑い声が聞こえたのでそっと視線を上げると、徐庶が笑っている。
つい眺めて思索の邪魔をしてしまったことは怒っていないようだ。
「す、すみません」
「いや……なんで見てるのかなって思って」
「いえその……どんなことを考えていらっしゃるのかなと」
目を瞬かせてから徐庶が吹き出した。
「そんな大したことは何も考えてないよ」
そうかなあ、と陸議は笑われたので、若干気恥ずかしくなって読書に戻る。
「俺なんか考えてることは高が知れる。志が低いからね。
君の方が余程、色んな事を考えてると思うよ」
「そんなことないです。徐庶さんには大切に想う方が色々といらっしゃいます。
だからその方たちの為に色んな事を考えなければならないんだと思います」
気恥ずかしそうに俯いた陸議が突然はっきりと言って来たので、徐庶は目を瞬かせる。
「貴方に比べたら私は――……」
誰かを守るために、やりたくないことをやらなければならないなんてことはない。
自分が生きるために、
呆れるほど単純な生だと思う。
「私は、自分のことだけ考えればいいですから、もっと単純です」
陸家のこと。
孫呉のこと。
魏に来て、遥かに生きるために背負っていた重荷が減った。
幼い頃は陸家を負うことが重荷で辛かった。
いっそ投げ捨ててしまいたいと思ったこともある。
自由になりたいと。
だけど図らずともこうして今、何者でもなくなって思うことは、
自由ということは、果てしなく孤独なのだということ。
魏軍の一人として、自分のやるべきことは少しずつ見えて気がする。
武官として司馬懿や
でもそれだけだ。
司馬懿や郭嘉は次期皇帝である曹丕の側近であるから、将来まで嘱望されて、魏の重鎮として生きて行く。
彼らは今は独身だけれど、豪族として近いうちに妻を迎え、家庭も作って行くのだと思う。
司馬懿は子飼いの私兵団を持っているので、自分も行く行くはそういう風に使って行かれるのだと思うけれど、陸議は過去に
武官ではあっても、立場としては素性を隠して戦う間諜のような扱いになって行くのかもしれない。
つまり、陸議をこの地に導いた
例え戦乱の世が収まっても、司馬懿や郭嘉は政でも曹丕に助言を行えるし、そう求められる。
徐庶もいずれはこの地を離れて【水鏡荘】に向かうことを決めている。
司馬懿が政治の場に戻れば、自分はもう必要とされなくなるだろう。
戦線には残るつもりだけれど、永遠には戦うことは出来ない。
魏に家がないので、軍を去れば自分でどこかに住処を得なければならないのだ。
陸議はその時初めてそんなことを考えた。
当然だが、呉には帰ることが出来ないし、
魏では柵がある。
蜀は未知の土地だったが、何となく、周瑜や龐統の顔が過って、そこに住まう気にはなれない。
(柵の無い、どこか遠くか)
涼州に行った時、もっと西にも街はあると聞いた。
南にも見知らぬ土地がある。
いずれ自分は、そういう所に流れるのかもしれない。
【九条院】には僻地の地図や情報も収められている。
新しい書物を取りに行くついでに、陸議は少し、そういう場所の資料を手に取ってみた。
自分の人生があとどれだけ続くのか。
自分がどうやって死ぬのか。
……どの地で死ぬのか。
見当もつかない。
果てしない自由の代償に、
手に入れた孤独。
だけど受け入れる心は決まっていると思う。
魏に来て、色々なことが起こり、
呉に郷愁を覚えなくなってから、
そういう心は定まった。
死は怖くはないが、
だけど謎ではあり続ける。
誰かに側に居て欲しいわけではないけれど、
自分が死ぬ時に誰か側にいるのだろうか?
遥かなる遠い地に、いずれ一人で赴く。
それだけが確かなことだ。
【終】
花天月地【第112話 同じ空の下】 七海ポルカ @reeeeeen13
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