第3話
線路のその先には低い雲が垂れこんで、緑の絨毯は息を合わせ、いちめんが風の鱗になっている。停留のはねた鈴がひとつひとつと鳴り、列車の胴体は濡れた老体のように短く溜息をもらして動きだす。つり革はその震えに合わせて白く一律に揺れて、自由な演技をみせてくれる。
私が座るのは、古い皴をうすくのみ込んだ朱のやわらぎに、ひとびとのかつて居た姿だけがくっきりと残っている。車輪が梯子をかける響きのみが伝わって、私は斜めに腰を落とす。戸袋の銀口が時おりまばたきをして、鉛の匂いをわずかに吐く。
架線柱を追いかけては、逃げられ、追いかけては、逃げられ、キリのない単調な遊び。窓の細い雫は、空の方から流れ星のように消え失せて、畦の影で息を静める。生きった稲穂はそれにこたえる様に、優美な踊りをやめようとはしなかった。
無機質な肉声は、小さく言葉を告げてすぐ消える。名の音はどれも短く、地図の端に捺された古びた印字のよう。手が暇を余すので、ポケットの丸い硝子に触れてみる。いつも以上にひんやりとした態度のなかに、しかし何か私を安心させてくれるものがある。指の動きに正しく転がり、私の湿った手の平をなめてくれる。
車両がすこし速度を落とす。線路わきの草花が首を反らし、水路には重ねた瓦のような波が立っている。つり革の影は束の間に、朱い座面に輪を重ね、それはまた離れてリノリウムにぼんやりと沈んでゆく。
短いプラットホームは、待合の屋根が雨を受けない角度で立って、雲の重みで今にも潰れてしまいそうである。ひらいた戸の口から、細い呼吸が内を行き来して、温かい吐息だけを残すと、列車はまた薄い路線をたどり始めた。
私だけが降りた駅の端で、雨音に気をとられながらポケットのビー玉を転がして、遠くの方でゆるりゆらりと動く車体を見送った。
新しい家族 かいまさや @Name9Ji
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