秋が嫌いなあなたへ

未来屋 環

芸術の秋、食欲の秋、そして……

 ――ねぇ、それ、わかって言ってます?



「秋って嫌いなんだよな、俺」


 隣を歩くそのひと――冬島さんはぽつりとそう言った。

 ちなみに私の名前は『亜季』と書いて『あき』と読む。

 勿論もちろん彼の発言に深い意味はないだろうけれど、まぁ面白くはない。


「そうですか? いい季節だと思いますけど」

「夏とか冬と違って中途半端じゃね?」


 ついこの間まで暑い暑いと夏に文句を言っていたのはどこの誰だろう。

 その単純さがなんだか愛らしくさえ感じて、私は思わず吹き出してしまう。

 不機嫌ふきげんそうに「何だよ、高梨たかなし」と眉をしかめる彼に、私は「何でもないです」と笑って返した。


 ***


 冬島さんは同じ軽音楽部の先輩だ。

 プロのドラマーをめざしているだけあって、ドラムがとても上手い。

 背が高くて筋肉質な上に髪は伸びっぱなしでその口調の荒さから一見怖いひとに見えるけれど、実は結構優しいところがある。

 同じバンドで初心者の私にも色々と教えてくれて、先月末に文化祭を終えた今は次回の冬公演に向けて練習を重ねているところだ。


 そんな彼からピアノの演奏会に誘われたのは、先々週のことだった。

 皆でスタジオの後片付けをしていたところ、たまたま二人きりになったタイミングで「この日、暇か?」とチケットを差し出される。

 あまりにも意外なお誘いに目を白黒させていると、冬島さんはばつが悪そうに「ドラム教室の先生にもらったんだ」と言った。


「一人で行っても仕方ねぇし、高梨はキーボードだから興味あるかと思って」

「――あ、はい。じゃあ一緒に行きましょうか」

「……おう」


 そうぼそりと返事をして、そのまま冬島さんはそそくさと帰っていく。

 大きな背中が小さくなっていく様子を見届けながら、私は渡されたチケットをそっとお財布にしまった。


 ***


「演奏会、とても素敵でしたね。お誘いありがとうございました」


 そう言う私に、冬島さんは「まぁ、もらいもんだし」とそっけない。


「チケットをくださった先生によろしくお伝えください」

「あぁ、言っとくわ」


 そのまま二人で並んで歩くと、何だか不思議な気分になる。

 よく考えてみれば、二人きりで休日に逢うなんて初めてだ。

 ちらりと隣を見ると、冬島さんは何か考え事でもしているのか眉間みけんしわを寄せたまま歩いている。

 涼しい季節に合わせた黒いレザージャケットがその迫力を更に増していた。


 手元の腕時計に視線を落とすと、もうお昼の12時半を回っている。

 そろそろ声をかけようかと顔を上げたところで――こちらを見る冬島さんと目が合った。


「高梨」

「はい」

「その――昼飯、どうする?」

「……はい?」


 ――もしかして、この一言を言うタイミングをずっとうかがっていたのだろうか。

 睨むような表情の冬島さんに、私は思わず笑ってしまった。

 そんな私に「おまえ、食いたいものとかないの?」と追い打ちをかけてくるので、思わず手元のかばん印籠いんろうのように掲げてみせる。


「冬島さん、私お弁当作ってきたので、公園で食べましょう」

「――は? 弁当……?」


 冬島さんがぱちぱちと目をまたたかせた。

 きっと、想像もしていなかったのだろう。サプライズ成功だ。


「すみません、嫌でしたか?」


 すると、冬島さんがすごい勢いでぶんぶんと首を横に振る。

 嫌ではなかったみたいで、ひとまず良かった。



 休日の公園は家族連れでにぎわっている。

 紅葉が綺麗な木の近くに一つベンチがあったので、私たちはお弁当を置くスペース分を空けて隣り合わせに座った。

 鞄の中からお弁当箱を取り出して広げる間、冬島さんの刺さるような視線を感じる。

 どうか喜んでくれるといいのだけれど。


「――はい、どうぞ」


 そう声をかけると、冬島さんははっとしたようにこちらを見た。


「おまえ、これ――全部作ったの?」

「一応……唐揚げは冷凍食品ですけど」


 私の答えを聞いて、冬島さんがお弁当箱に視線を戻す。

 私もそれにつられてお弁当の中身を見た。


 一つ目のお弁当箱にはおむすびを詰めている。

 海苔で巻いている方はおかかを中に入れていて、混ぜごはんの方は秋鮭をメインの具材にした。

 鮭フレークを使うか迷ったが折角せっかくだからと切り身を焼き、ほぐした身に刻んだ大葉と白ごまを混ぜて醤油で炒めてからごはんに混ぜている。

 本当はごろんとかたまりで中に入れてみたかったけれど、骨があったら食べづらいので仕方がない。結果的には見栄みばえが良くなったので良しとしよう。


 二つ目のお弁当箱にはおかずを詰めた。

 秋には旬を迎えるおいしい野菜が沢山あるので、それらを焼いてマリネにしている。ピクルスにするのもおいしいけれど焼くとより野菜のうまみが引き出せる気がして、高梨家では定番のおかずだ。れんこんはシャキシャキ、舞茸は味わい深く、なすはしっとり、そしてかぼちゃはほっくりと仕上がっている。

 それにおだしたっぷりのだし巻き玉子。食感が楽しくなるように、紅しょうがとねぎを刻んで入れてみた。

 先程白状した通り、唐揚げは冷凍食品だ。

 それだけだとお肉成分が足りない気がして、えのきをベーコンで巻いてバターで焼いたものも一緒に入れてある。


 無事に中身の確認が終わったところでちらりと冬島さんの様子を窺うと、彼は食い入るようにお弁当を見つめたまま微動だにしない。

 嫌いなものが入っていませんように――そう願いながら、私ははしを冬島さんに差し出した。


「冬島さん、どうぞ」


 冬島さんは無言で箸を受け取り、手を合わせて「いただきます」と頭を下げる。

 その意外な所作しょさに一瞬見惚みとれた。

 そして、そこから始まる豪快な食べっぷり。

 その姿を特等席で見ながら、あぁ作ってきて良かったなと思う。



「――はー、うまかった。ごちそうさまでした」


 そう言って、冬島さんがもう一度手を合わせた。

 私はお口直しに用意した梨をしょりしょり食べ終えてから「こちらこそ、今日はありがとうございました」と返す。


「お返しになったかわかりませんけど、おいしかったなら良かったです」

「いや、マジでむちゃくちゃうまくて感動した。高梨ってすげぇな」


 そして、冬島さんがおもむろに立ち上がり、自動販売機の方に向かっていった。

 その間に私はもう一つ隠していたタッパーを鞄から取り出す。

 小さめのペットボトルを手に戻ってきた冬島さんは、そのタッパーを見てまたもや目を丸くした。


「今度は何だ?」

「デザートです」


 ふたをぱかりと開けると、さつまいもとはちみつで作った蒸しパンが顔を出す。

 冬島さんが「マジか」と声をらした。


 そのまま、冬島さんが買ってきてくれたホットミルクティーで第二部がスタートする。

 蒸しパンは初挑戦だったけれど、我ながら良い出来できだ。もちもちの生地きじにさつまいもの控えめな甘みがよく合っていた。


 隣を見ると、冬島さんが無言でばくばくと食べ進めている。

 その横顔が何だか子どもみたいで、私は思わず笑ってしまった。

 普段はあんなにも人を寄せ付けないオーラをまとっているのに、時たま見せるこういう姿は無邪気そのものだ。


「秋はおいしいものが多くて良い季節ですよね。実りの秋とも言いますし」


 そう話しかけると、蒸しパンを食べ終えた冬島さんが「確かに」と言ってこちらを向く。


「俺――秋、好きになったわ」


 もう一度、おさらいだ。

 私の名前は『亜季』と書いて『あき』と読む。

 勿論彼の発言に深い意味はない。


 ――それでもまぁ、悪い気はしない。


「はい、私も好きです」


 そう答えて隣の冬島さんに視線を向けると、ミルクティーを飲む彼の耳が心なしか赤く見える。

 実りの秋はまだまだこれから――私は小さく微笑んだ。

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