イクラの思い出

志乃亜サク

イクラの思い出

 食材に貴賎なしとはいうけれど、現実問題として食材ヒエラルキーは確実に存在している。


 一般的に豚肉は鶏肉よりも高いし、その豚肉よりも牛肉は高い。国産は外国産よりも高いし、国産でもブランド地名を冠しているのといないではずいぶん値段も違う。

 お米なんて見た目は似たようなものなのに、新米古米、品種、産地、あらゆる基準で序列化されている。

 同じ果物でも、バナナや温州みかんより桃やマンゴーはなんだか一段上にいるような顔をしている。真っ黄色に輝くバナナがアホみたいに「ぼく、元気!」と言っている横で、桃が「やれやれ……」と憫笑している光景をよく見る。

 海鮮もそう。

 イクラやエビがなんか課長面しているのがちょっと鼻につくことがある。

 ウニ部長やカニ次長には逆らえないくせに、平社員のイカやサーモンに対しては当たりが強い。


 そんな話と関係あるのかないのかわからないけれども、ぼくはイクラがあまり好きではない。いや、苦手といって良いかもしれない。

 世の中にイクラ好きが多いことも知っている。テレビでこぼれる程の山盛りイクラ丼が登場すると歓声があがることも知っている。

 それでもぼくは、あえて言う。


 「あんなん、柔らかめのBB弾ですよ」と。 

 

 これと同じことを、学生時代にニッパちゃんの家でファミスタやりながら言ったことがある。

 その時ぼくは卒業を翌年に控えた4年生。ニッパちゃんは2つ上の先輩で卒業後は上野の百貨店で働いていたのだけど、家が近かったのでよく自転車漕いで遊びに行っていたのだ。

 ニッパちゃんは言う。「それはお前が『本物』のイクラを食ったことがないからだ」と。

 ほーう、そう来ましたか。


「本物のイクラってどこにあるんです?」


「北海道だろ? 知らんけど」


「はー。それは一回食って負けを認めてみたいもんですね」


「そんなら行くか、北海道」


「いいっすね。俺、金ないっす」



 数日後、ぼくらの姿は青森空港にあった。

 ニッパちゃんが社会人パワーを駆使してぼくを北へと連れ出してくれたのである。


 聞けば、就職活動を終え最後の学生生活を満喫するべく軽薄な同期たちがキャッキャウフフ言いながら軽薄なヨーロッパなどを目指して軽薄な卒業旅行へと旅立っていく中、相変わらず金欠で麻雀呼べばいつでも来て明け方には来た時よりも素寒貧すかんぴんになって帰って行くぼくがあまりに哀れに思えたらしい。

 なるほど。殊勝な心掛けだ。 


 そしてもうひとつ。なんで北海道ではなくて青森なのかというと、ニッパちゃんはイクラじゃなくてマグロが食べたかったからだそうだ。ぼくもマグロの方が好きなのでそれは全く問題ない。


 そんなこんなで突然始まったぼくらの卒業旅行は、とても楽しいものになった。

 だいぶ前の話なのでもう詳しい旅程は忘れてしまったけれども、特に予定も立てずに恐山や弘前城などを巡り、もちろん地元のグルメも満喫した。


 そして残りは1日。どうしようかとなったところで、やっぱり本物のイクラを食べたいという当初の目的が再燃してきた。互いに所持金は残り少ないけれど、青森から函館まで電車で行けるということに気付いてしまったので、これは行くしかあるまい……となったのである。

 

 で、初めての北海道上陸。

 しかしお金はない。

 そのうえ啄木浪漫館で啄木ロボのアグレッシヴな動きに感動したり赤レンガ倉庫で土産物を買ったりしているうちに、すっかり所持金が心許なくなってしまった。


 その日の宿代は支払済み、翌日の飛行機チケットは既にあるものの、その他の交通費・食費などを考えると函館で高級イクラ丼なんて食べる余裕は全然なかった。さあ、どうする。


「サク、お前帰りの電車代引いていくら持ってる?」


「3000円くらいですかね」

 

「俺も似たようなもんだな」


「あ、 いまタバコ買うんで2500円になります」


「お前……。まあいいや、とりあえず2000円寄越せ。そんでついてこい」


「?」


 ぼくらはそのまま寂れたパチンコ屋に入り、球を買った。


「いいかサク。今この玉が俺たちにとってのイクラだ」


「また意味の解らんことを」


「お前このイクラ、食えるか?」


「こんな銀色の汚ったないイクラ、見たことないっす」


「そうだな、食えないな。だが安心しろ。俺が奇跡を起こしてこいつらを本物のイクラに変えてやる」


「マジかよ超ガンバレ」



 まあ、奇跡なんてそうそう起こるものでもなく、ぼくたちは北海道グルメを何も口にすることなく函館を後にすることになった。


 いまはどうなっているのか知らないが、当時青函トンネルを通る電車の車内では何故かドラえもん(声:大山のぶ代)の愉快なアナウンスが流れていたんだ。

 行きの電車ではそれ聞いて自分たちも声マネしたりしてキャッキャ笑いながら函館に向かっていたのだけれど、帰りはすっかり消沈してお互い無言だった。


 ああ、この楽しかった青森・函館旅行が、このままションボリフィナーレを迎えてしまうのか……。



 ところがそのあと、奇跡は起こった。


 青森に帰ってきて駅前の宝くじ売り場でスクラッチくじを買ったところ、一発で一万円が当たったのだ。後にも先にも、これがぼくにとっての宝くじ当選最高額である。


 で、その一万円で目抜き通りにあったスペイン料理屋に入りパエリヤとか何か名前のわからない料理とかを数品、美味い美味い言いながら食べて幸せの内にぼくらの「本物イクラ探訪」は終わりを迎えた。

 

 この旅行でイクラとの距離を詰められなかったこと、むしろここで開いた距離が

そのまま今のぼくとイクラとの距離になっている気がする。

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イクラの思い出 志乃亜サク @gophe

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