凪
桔梗 浬
凪が呼んでいる
あの夏を僕は忘れない。
決して、忘れない。
いや違う、忘れる事は許されない。
何故なら……。
※ ※ ※
「これからヤツの取り調べですか」
「あぁ、気が重い」
「概ね認めているんですよね?」
大柄の熊田が軽く頷き、眠そうな目でドアを開ける。その先には、ぐったりと頭を垂れた男が座っていた。
「待たせたな。始めよう」
熊田は目の前の椅子に腰掛け、男が口を開くのを辛抱強く待った。
しばらくして、声を絞る様に男が口を開く。
「凪が……」
「凪?」
「凪が殺してくれ……と」
自殺幇助を訴えるつもりか?
熊田は事件の資料を再確認する。
被害者の中に凪という少女はいない。まさか他にも殺害した少女がいるのだろうか?
目の前にいる野暮ったい男が、12人の少女を殺害し、奥多摩の空き家に遺棄した容疑で、ここにいる。この男にそんな度胸があるとは、到底思えない。
……が、それが事実なのだ。
目の前の男は怯えた瞳で熊田を見つめてこう続けた。
「凪は僕と同じで、子どもの頃から体が弱くて……家族のお荷物だったんだ。だから『殺して欲しい』と言われた時……僕は彼女の願いを叶えてあげることにしたんだ」
そう言うと再び頭を垂れる。
「その子が最初の犯行か?」
どこを探しても被害者の中に『凪』という名前は見つからない。まだ他に殺害した少女がいるという事に、熊田は背筋が凍る。日本では稀に見ぬ連続狂気殺人としてマスコミも連日大騒ぎだ。
「最初?」
「あぁ、あの空き家に遺棄されたご遺体の中に『凪』という少女はいない。隠していることがあれば、全て話せ」
男はびっくりした顔で熊田を見ている。
今度は心神喪失でも狙っているのだろうか……。ある意味頭のネジがイカれていなければこんな事件は起こさない。怒りと共に目の前の男に憐れみさえ感じ始めていた。
「僕……僕が殺したのは、あの夏の『凪』に頼まれた……その時で」
「被害者は一人だと?」
「あの細い首に、僕はまだ小さくて力がなかったけど、指が凪の喉の奥に入っていく感覚が残ってる。そして凪は嬉しそうだった。僕は凪を救ってあげたんだ」
「…………」
男は己の手を眺め、ニヤニヤする。
「お前はあの場所で、少女に手をかけていた。多くのご遺体のある場所で、小さな命を奪った」
男は今まさに目の前にいる少女の首に手をかけた瞬間、取り押さえられた。今更「僕が殺したのは凪だけ」という話は通じない。
「違う! 違うんです」
「何が違うとでも?」
「凪が、あの場所へ僕を誘うんだ。そして『もう一度殺して』って言う。僕はそれに従って」
「…………」
イカれてる。
誰もがそう思っていた。
※ ※ ※
取調室から出てきた熊田は正気を吸い取られたかの様に、げっそりとしていた。
犯罪者と多く向き合ってきた熊田だが、これほどイカれた供述をする輩は初めてだった。
「死人が被害者を連れてきた? ふっ、馬鹿馬鹿しい」
熊田は緊張で凝り固まった肩を回す。
体を動かす事で現実に戻れる気がするからだ。取調室とは犯罪者の臭気に侵された異空間ともいえる。
「熊田さん!」
「なんだ?」
「これ……」
相棒の細川がモニターを見ながら熊田を呼び止めた。
「なっ!」
熊田は目を疑った。
モニターの中には、先ほどのやり取りが映し出されている。
そこに、おかっぱ頭の少女が立っているのだ。その少女はじっと熊田を見つめている。
「熊田さん……熊田さん、大丈夫ですか!?」
熊田は応えない。
頭の中でカラカラと乾いた声が響き渡る。
『ふふ、ねぇ、おじさん。私を殺して』
END
凪 桔梗 浬 @hareruya0126
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