第5話 退去

「終わりかけの人生は、最後まで“片付け”で死ぬ。」

玄関に、段ボールが積まれていた。

新品の段ボールじゃない。どこかの通販の再利用。

箱の角が潰れていて、“これから”より“もう無理”の形をしている。

退去日。

カレンダーに書いても現実が軽くならないタイプのやつ。

共用キッチンは一瞬きれいに見える。

一瞬だけ。

きれいに見えるだけで、きれいではない。

スポンジは湿っている。最後まで。

遠野サラ(人間・26)は、床に座ってガムテープを引きちぎる。

ガムテープが伸びる音が、今日の空気の全部だった。

沼田マコ(猫系獣人・29)が段ボールを叩いて言う。

「引っ越しってさ、人生の“荷造り”だよね。つまり私たち、今、人生畳んでる」

サラは顔を上げない。

「畳めてない。丸めて突っ込んでるだけ。」

マコが嬉しそうに言う。

「丸めて突っ込む、って言い方がもうちょっと……」

サラが即。

「やめろ。」

灰崎ミナ(犬系獣人・28)は椅子に座っている。

立ったら終わる匂いが濃くなるから、座っている。

鼻が小さく動く。

「この家、もう終わってる匂い。」

サラが言う。

「終わってるなら早く出たい。」

ミナが刺す。

「出ても、終わりかけはついてくる。」

鳴海シオリ(狐系獣人・28)が、段ボールにマジックで書く。

『終わりかけ(割れ物)』

サラが見て、止まる。

「それ、やめて。」

シオリは静かに言う。

「でも正確だよね。」

サラが言う。

「正確でも書くな。」

最初の地雷は、キッチンから始まった。

「これ誰の?」

サラが持ち上げたのは、でかい密閉容器。

密閉されてるのに、人生の気配がする。

マコが即答する。

「触れてない。知らない。私は密閉と関係ない。」

サラが冷たい。

「関係ない人が、この家を一番臭くしたんだよ。」

マコが笑う。

「臭いってさ、存在感じゃん」

ミナが鼻で判定する。

「それ、“たぶん鶏”じゃない。」

サラが聞く。

「じゃあ何。」

ミナは短く。

「……“たぶん鶏の親戚”。」

サラの顔が終わる。

「親戚増やすな。」

シオリがうっとり言う。

「血縁の腐敗。いいね。」

サラは言い切る。

「よくない。今すぐ捨てる。」

マコが言う。

「え、退去の日に捨てるのって、なんか“置き土産”っぽくない?」

サラが即。

「置き土産って言うな。廃棄。」

マコがぼそっと。

「廃棄って響き、ちょっと興奮する」

サラが手を止めて、目だけで殺す。

ミナが短く言う。

「殺意の匂い、濃い。」

シオリが頷く。

「濃い方が作品になるよ。」

サラが言う。

「作品にするな。黙って箱詰めしろ。」

第二の地雷は、炊飯器だった。

内釜はある。

でも“普通にある”ことが、逆に怖い。

普通にあるものは、だいたい普通に使われてない。

サラが炊飯器を持ち上げる。

底がべたつく。

べたつきの質感が、昨日までの人生を握っている感じ。

マコが言う。

「それさ、もう持っていかないで置いてこうよ。次の住人に“バトン”」

サラが言う。

「バトンじゃない。呪い。」

シオリが静かに言う。

「呪いって、引き継ぐから呪いなんだよね。」

サラが言う。

「引き継がせない。」

ミナがぽつり。

「持っていくと、新しい家も湿る匂い。」

サラが言う。

「じゃあ捨てる。」

マコが目を丸くする。

「え、捨てるの? 炊飯器捨てるってさ、生活捨てるみたいじゃん」

サラが言う。

「生活はもう捨てられてる。」

第三の地雷は、スポンジだった。

シンクの端に、最後まで湿っているスポンジ。

干す場所はあるのに、干されないままここまで来た。

サラがスポンジをつまむ。

軽い。軽いのに、気持ちが重い。

マコが言う。

「ねえ、それさ、記念に持っていこうよ。卒業アルバムみたいに」

サラが言う。

「アルバムにするな。」

シオリが言う。

「でも象徴だよね。終わりかけの人生の、湿度の証拠。」

サラが言う。

「証拠は残さない。」

ミナが短く言う。

「捨てても、匂いは残る。」

サラが言う。

「残るなら、最初から終わってる。」

マコが笑う。

「うん、最初から終わってたんだよ。だからバズった」

サラが言う。

「バズってない。」

サラはスポンジをゴミ袋に入れる。

入れた瞬間、キッチンが少しだけ“空っぽ”の顔になる。

でもそれは、きれいじゃなくて、ただ抜け殻。

そして、最後の地雷は「誰が何を持っていくか」だった。

段ボールが減っていく。

でも空気は減らない。

むしろ濃くなる。

サラが言う。

「洗剤。誰が持つ?」

マコが即。

「触れてない。知らない。洗剤と関係ない。」

サラが言う。

「関係持て。臭いの元凶。」

マコが言う。

「臭いって元凶じゃなくて、結果じゃん」

ミナが刺す。

「マコは原因。」

一拍、無音。

マコが笑って崩す。

「やだ、名指し。私、そんな“責任のある存在”じゃないよ」

サラが言う。

「責任ある存在になれ。」

シオリが段ボールを抱えて言う。

「私、キッチンの貼り紙だけ持っていきたい。」

サラが言う。

「なんで。」

シオリが微笑む。

「記録。あと作品化。」

サラが言う。

「置いてけ。次の人のために。」

ミナがぽつり。

「次の人も、終わりかけの匂いになる。」

サラが言う。

「なるならなるで、世間が貼り紙増やすだけ。」

マコが急に思い出したように言う。

「そういえばさ、内釜って誰のだったの? うちの? それとも備え付け?」

サラが言う。

「今それ聞く?」

マコが言う。

「だってさ、内釜って……ちょっと“うちの中身”じゃん」

サラが言う。

「うちの中身とか言うな。」

マコが笑う。

「言葉って楽しいね」

サラが言う。

「お前の人生だけ楽しいんだよ。」

ミナが鼻を動かして、短く。

「ここ、もう戻れない匂い。」

サラが言う。

「戻らない。戻りたくない。」

シオリが囁く。

「戻れない場所が増えるほど、人生は作品になる。」

サラが言う。

「作品にすんな。」

管理人が鍵を受け取りに来た。

玄関先で、管理人は笑顔を作る。

その笑顔は、生活の湿度に負けないタイプの笑顔だった。

「お疲れさまでした。確認しますね。」

管理人が共用キッチンを覗く。

きれいに見える。

“見える”だけ。

でも今日は、それでいい顔をしている。

管理人が頷く。

「……ありがとうございます。助かります。」

サラは頭を下げる。

マコも一応下げる。形式的に。

シオリは目を細めて、その瞬間を“保存”するみたいに見ている。

ミナは鼻で終わりを嗅いでいる。

ドアが閉まる。

家が、終わった。

外に出ると、空気が乾いている。

乾いているだけで腹が立つ。

世界は何もなかった顔をしている。

サラが段ボールを持ち上げる。

「じゃあ、解散。」

マコが言う。

「解散ってさ、バンドみたい。うちら、バンドだったんだ」

サラが言う。

「騒音。」

シオリが微笑む。

「騒音も、思い出になるよね。」

ミナが短く言う。

「ならない匂い。」

全員が別々の方向に歩き出す。

助け合わないまま、最後まで。

その時、誰かの段ボールの底から、ポタ、と音がした。

サラが足を止める。

マコが言う。

「え、また液漏れ?」

サラが言う。

「言うな。」

ミナが鼻を動かして、刺す。

「終わりかけ、持ち出してる匂い。」

シオリが静かに言う。

「持ち出せるのが、人生のすごいところだね。」

サラは前を見る。

「すごくない。」

「片付いたのは部屋で、終わりかけの人生は、荷物に混ざって次の場所へ行った。」

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4人暮らし、人生が終わりかけ もや兄【3301】 @Moyanii

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