#26 律と蓮

 修治に相談した足でそのまま父に進路を決めたことを告げた後、律は父に茶化される前に早々に一度離れの自室にノートを戻し、食堂へと戻った。食堂では今日も何人かの子どもたちが集まって賑やかにしている。その中に混ざった蓮が一番騒がしい。そんな姿を見て、律はほっとした。──このままいて欲しい。起点が蓮だとしても、律の願いは案外シンプルなのだ。だからこそ、難しくもある。


*****


 夕食を終えて律と蓮が離れに引き上げ、蓮の部屋に落ち着く前に律は自室から昼間に修治と父に見せたノートを取ってきた。律が蓮に自分の気持ちを伝えるのはまだ早いと止めていた理由はほとんど解消した。高校卒業後の進路の確定。家業を継ぐことへの意思表示。その上で自分がしたいと思っていることの主張。

 大学進学に関しては、最初から一時的な現実逃避にしかならないと考えていた。いずれ、家業は継がなければならない。暴力団という組織に与えられた一般的イメージから律の嫌悪は生まれたが、春から夏にかけて色々なことがあり、いままで律が気付いていなかった面を垣間見、考えることができた。蓮の過去に関しては、正直なところもっと穏やかな形で知りたかったと思わなくもないが、律自身が迷い、間違いを繰り返しながら関係を修復できたことは律の進路に対する方向性を決定づける要因の根源となったことは間違いない。蓮が進路のことを訊いても「律の行くところ」と迷いもなくすんなり答えるのと、律が散々考え抜いて決めた挙句に出した答えが似たり寄ったりなことに関しては性質の違い上仕方ないのだが、結果的には律にはその回り道が必要だったのだ。

「蓮。考え事、終わった」

 並んで座って、ぺたりと蓮に寄りかかったまま律は率直に言って、手にしていたノートを蓮の膝の上に置いた。この先、律がどうしたいかがそのノートには全て書かれている。もちろん、蓮にも知って欲しいと思ったのだ。元々、律は蓮に隠し事をしない。考え事をしている時だけ、頭の中の整理を兼ねてノートに散々書き散らし、終わるとノート自体は隠す気もない。蓮もどこか律が考え事を纏めたノートを見ることを楽しみにしている節がある。

「んー?」

 膝の上に置かれたノートをぱらりとめくる蓮に、律は恥ずかしさを感じ並んだ体の向きを変えた。少しだけ蓮に寄りかかっている面が背中に移る。

「りーつー。いままでで最高のびっしり度なんじゃね? すっげ、何ページあんの」

 まずはパラパラとノートをめくって、どこが最終ページなのか蓮は確認しているようだった。それから、初めのページに戻ったのか、蓮はぽつりと呟いた。

「……俺?」

「うん。蓮がここにいても怖くなくて、安心できる場所にする。蓮が僕や……誰かに手を上げるかもしれないなんて疑わなくていい場所にする。蓮が、蓮のままでいられる場所にする。だからさ、蓮。一緒にいよ」

〝このままでいるための条件と問題〟

〝絶対条件。蓮が不安になったり、怖いと思わなくていい場所を作る〟

 ノートの一ページ目に律はそう書いていた。

「……うん」

 蓮の返事は嬉しそうでも擽ったそうでもあったが、あっさりしていた。

「れーん? 反応薄くない?」

 遠回しの告白で、明確に好きだから一緒に言おうとまでは言えない律にも問題はあるが、普段の延長線上で嬉しそうに返事する蓮には不満がある。

「え? 薄い? 律が一緒にいよって言ってくれんの、嬉しよ?」

「蓮はさぁ! 少しは言葉の裏を読んでよ! 深読みしてよ」

 まるで関係性の変化など望んでいないかのように普段通りの蓮に、律は思わず詰め寄った。わかりやすく好きだと言わないと蓮には伝わらないかもしれないとは思っていたが、予感が的中してしまった。蓮の返事自体が良くても悪くても、それ自体が問題なのではなく、意図が通じていない方が問題なのだ。

「言葉の裏? 深読み?」

 蓮は鸚鵡返しにしてしばらくノートをじっと見たまま考え込み、少し顔を赤くしていった。

「えっとさ、俺、ん中にクソ野郎の血ィ入ってて……さ」

「だから、そんなこと気にしなくていいように僕がするって言ってんの! だって、僕、そいつのこと知らないし、殺したいくらい腹立つけど、いなかったら、蓮もいないじゃん。だから、蓮がそいつのことなんて忘れて気にしないで、優しいお母さんのことだけ大事にできるようにしたいの! そういう場所を、作りたいの。それで、ずっと蓮と一緒にいたいの!」

 いまだに実父のことを気にする蓮に、律の気持ちが洪水のように溢れた。思わず、寄りかかっていた体を起こして蓮に掴みかかる。普段ならば、そんなことは絶対にしないのに。

 血の繋がりを断つことはできないが、その本人が身近にいる訳ではない。なのに、心のどこかで蓮を警戒させる存在が律には許せない。しかし、そんなどうしようもない男でも存在していなければ蓮もここにいないというジレンマがノートには書き散らかしてある。

「蓮は……そんな奴のこと、忘れていいよ。それで、僕と一緒にいてよ」

 律が蓮に掴みかかっても、体格差でびくともしない。そんなことは明確でわかり切っており、律を傷付けない。好きという言葉の精一杯の言語化が一緒にいようとしか表現できないことは少し悔しい。だが、律が考え抜いてどうしたら蓮が怖くなく、不安にもならなくて済む場所を作れるかと悩み抜いた末に、まだ実父の存在を出されると律は泣きたい気持ちになってしまう。簡単なことではないとわかっていても、好きで大事にしたいと思ったからこそ、そういう場所を作りたかったのだ。

「律。あのさ、一緒にいよって言ってくれんのって、ずっと?」

「ずっと」

 ぽつりと言った蓮の言葉に、律は掠れた声で返事した。

「それってさ、一生ずっと?」

「うん」

 繰り返す蓮の問いに、律は頷いた。なんだか子どもの幼稚なままごとのようなやりとりだな、とふと思ったら、掴みかかっていた力が緩んで、律はぺたりと座り込んだ。かと思うと、蓮の腕が伸びてきて力いっぱいに抱き締められ、律は驚いた。

「それって、好きってこと?」

「……うん、そう」

「その好きって、ちゅーとかしていい方の好き?」

「……そう」

 好意の種類の分別基準がキスなのかと思うと律は脱力しかけたが、蓮の抱き締める腕が更に強くなって細い律は背骨が折れるのではないかと思った。苦しい、と抗議しようと口を開けかけたが、

「律、好き。だいすき。いままでも、これからも、俺の。俺の一番」

 ぎゅうぎゅうに抱き締められた耳元で掠れた声で言われて、律は顔が熱くなるのを感じた。蓮のストレートな言葉がじんわりと律に沁みる。いくらずっと一緒にいたからと言って、恋愛感情の好意を交わせるかどうかなど律には判断しきれなかった。男同士であることは当然であり、十一年も一緒に育ったのだから兄弟のようにしか見られない可能性も多分にあった。

「……僕も、蓮が好き。だから、大事にしたい」

 蓮の声がやけに切羽詰まって聞こえて、律はようやく好意を明確な言葉にした。きちんと言葉にしなければならないと思ったのだ。

 自分の出自に後ろめたさを感じ、幼い子どものような確認をして、素直な独占欲を寄こしてくる蓮は暴力的な父親のことさえ抜きにしてしまえばいつも直情的で言葉を疑う余地もない。まだ蓮の抱き締める腕に苦しいと思いながら、律は蓮の背中に返す腕を回した。かと思うと、律の上半身がぐらりと傾ぎ、床に押し倒された。蓮に組み敷かれ、さすがに律は戸惑う。告白はした。現状、同意の上と言うことにはなるが、律はまだそれ以上のことまで想定していなかった。

「律、ちゅーしていい?」

「……そう言えば、蓮って誰かとキスしたこと、あるの?」

 前に指先に唇を落とした時はキスとも認識していなかったのに? と思い出した疑問を投げると、蓮はあっさりと「あるよ」と答えた。

「え!? 誰と」

 いつも一緒にいて、蓮に女子の気配を感じたことのない律は驚いたが、答えは拍子抜けするものだった。

「かーちゃん」

「それは……うん、そうだね。でも、お母さんは特別だからそれノーカンにしてくんない?」

 確かに女親に育てられればありうる話だが、律はぐったりした。幼少期の親からのキスまでカウントされては、初めてのキスなどほとんど誰もが母親、あるいは父親が初めてになるだろう。それは納得いかない。

「りーつ、それ嫉妬?」

「違う」

 おかしなところで意地を張って律は否定したが、上から頬に蓮のキスが降ってきた。ちゅ、と柔く触れて離れていくキス。

「んー。かーちゃんをノーカンにはできねーなー。もうできねえし。律、生きてるし。これからたくさんできるし。だからさ、交換条件にしね? 律にしかしないからさ」

「……それなら、いいよ」

 苦笑して律は了承する。蓮にとって母親が大事な存在であることは律にも理解できる。だから、そのことをカウントするなと言うのも無理な話だったのだ。すると、律の言葉は蓮の指摘通り嫉妬だったかもしれない。そんなことを考えているうちにも、蓮は律にいくつもキスを落としていき、唇に触れた。頬や額、こめかみ、瞼には柔く触れていたのに唇だけ妙に不器用に触れて、下手くそなキスを繰り返した。律が蓮の背中に回していた腕を首に絡めると、ぺろりと舌で唇を舐められ、慌てて律は片手で蓮の肩を押しとどめた。

「……待て」

 思わず犬に言うような言葉になってしまったが、律は初めてのキスからの熱と混乱で自覚してない。

「えー……? 駄目なん?」

「そういうキスとか、初めて過ぎて、よくわかんない。っていうか、心の準備もなんもできてない」

 舐められた感覚がやけに生々しかったと、律は顔を赤くしながら言い訳した。不格好なぐちゃぐちゃな告白をするだけでも精一杯だというのに、蓮の本能的な勢い任せと律のペースは相変わらずちぐはぐだ。けれど、押し倒された状態から蓮はあっさりと身を起こして律に手を伸ばしてくる。

「じゃーさ、くっついてんのはいい?」

「いいよ」

「一緒に寝んのは?」

「寝るだけ」

「もう、ちゅー駄目なん?」

「……エロくないやつならいいよ……」

 一つずつ大丈夫なことを確認する蓮の姿はやはり大型犬のようだ。蓮の手で上体を起こすとそのまますっぽり背中から抱き締められ、一つずつ返事をしながら律はくすりと笑った。

 ──でも、さっきのはちょっとライオンだったかな。押し倒されてたくさんのキスを落とした後、舌で唇を舐められたことを思い出すとそんな風に思う。律が一人で少し笑っていると蓮が律の肩に頭を乗っけてきて呟いた。

「俺も、親父にちゃんと言う」

「……? なにを?」

「卒業したら、組に入れてって。律が危ないことに遭わないよーに、ちゃんとそばにいれるよーに」

「……バカ」

 照れ隠しに律はぼそっと言い返した。蓮がいくら律の行くとこに行くと言っていても、性格上、最終的には当然のようにその先が黒瀬組と言う組織と紐づいていたのは律でなくとも、誰もが理解している。今更、改めて宣言するほどのことでもないのだ。と言うよりも、事実上半分年齢を前提に構成員と言うことになっていないと言った方が正しい。なにせ、祭りの黒瀬の神輿の先頭から二番目を担いでいるのだ。

「ちゃんとしたいから。誰にも律に指一本触れさせねー」

「蓮が言うと本気度が怖い、かも」

 ただでさえ些細な言いがかりをつけられた時ですら喧嘩っ早い蓮が? と律は苦笑する。

「俺のだから」

 後ろから頬にキスされて、律は軽口も封じられた。

 好き。

 その向こう側にある大事にしたい気持ちと独占欲は初めて踏み入る領域で、律には戸惑いの方が大きいが、じわじわと嬉しさが湧いているのもわかる。蓮の腕の中は温かくて安心する。押し倒され、後ろから抱きつかれて見ているよりも感覚で伝わる体格差が妙に新鮮だ。

 少しだけ、悪戯をしている様な些細な罪悪感に後押しされてたくさんキスをして、一緒の布団に入った。蓮が少しも離したくないように抱き締める腕を回して収まりのいい場所を探している。力加減がわからないのか、時々強すぎて、時々緩すぎる。器用なのか不器用なのか極端だなと律は蓮が回した手に自分の手を重ねた。

「このくらい」

 律がくすりと言うと「ん」と蓮が返事して頭を摺り寄せる。足先が絡んでいて、背中が体温に包まれていて、首筋に蓮の呼吸が触れる。ずっと一緒にいたのに、いままでよりももっと近いことが律にはふんわりと嬉しい。これが好きな人といるということなのか、などと考えると普段と大差ないようなのに気持ちの中身は全然違うことに驚く。そして、それはこれから続いていく。

「蓮、おやすみ」

「ん。おやすみ」

 シングルベッドでくっついていて狭いのに、心地いい。いつもとは違うおやすみを言って、律はそっと目を伏せた。明日の朝、どんな気持ちで目を覚ますだろうと眠りに落ちる前に考えて、自分にも蓮にも楽しみな気持ちになった。

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若と忠犬と黒瀬組 ─ 進路の決まらない僕と一緒にいる幼馴染 ─ 灯屋いと @toya_ito

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