※本レビューは公開されている内容のうち15話までを読んでの感想です。
「あなたの幸福は、あなたが選びましたか?」という一文から始まる本作は、感情の起伏そのものを最適化していく管理社会を描くディストピアSFです。オーウェルやハクスリー、TRPG「パラノイア」の系譜を感じさせつつも、本作が特異なのは、この社会が遠い未来の空想ではなく、「10年後の日本」として全く違和感のない解像度で描かれている点だと思います。何でも自動化サービスに判断を委ねてしまう今の私たちの延長線上に、この世界は自然に地続きになっています。
特筆すべきは文章技術です。感情を直接語る言葉をほとんど使わず、手のひらの赤み、靴の乱れ、水面の揺れ、鏡に映る見知らぬ顔——身体の些細な変化だけで内面の動揺を描き切る技術が、全編にわたって高い精度で貫かれています。この手法が最も効いているのが、レナというキャラクターです。彼女の”優しい笑顔”がふとした瞬間に崩れ、本物の体温が覗く場面は、これまで積み上げてきた技術が一気に報われる瞬間で、本作屈指の名場面だと感じました。まさに現代のファム・ファタールというべき魅力にあふれています。
物語の中盤(8話)、主人公が抱えてきた小さな違和感の数々が「有効サンプル確認」という一言に収束する場面は、緻密に張られた伏線が一気に弾ける瞬間で、読んでいて声が出ました。ここから始まる、機構の外の世界・カイやタツヤとの出会いも、唐突さを感じさせない自然な体温を持って描かれています。
一方で、いくつか気になる点もありました。全体を通して非常に精度の高い”showing”の技術が貫かれているだけに、稀に「煙のように混ざり合って」「胸騒ぎが胃の中に溜まっていく」といった感情語に頼った一文が混じると、そこだけ少し筆致のトーンが変わって見えてしまいます。特に後者については、その直後のオチ("彼"の淹れてくれたインスタントコーヒーの味の描写)と対比させるように、「少しだけ苦かった。」と変えるくらいで、充分な効果が得られるように感じました。
また、複数人の男性キャラクターが同じ荒々しい口調を共有する場面では、台詞のみで話者を判別しづらい箇所もありました。あまりにも文章の完成度が高いために、無理に粗を探した結果ではありますが、記しておきます。
もう一つ、単純に気になっている点があります。物語の格差構造を象徴する「セミ地区」という呼称です。読んでいてどうしても蝉の声が浮かんでしまうのですが、これがもし意図的な仕掛け(うるささ、短命、地中での長い雌伏)だとしたら唸らされます。ここまでの緻密さを思うと偶然とは思えない気もしますし、深読みしすぎている気もします。作者さんに、真相をぜひ伺ってみたいところです。
15話まで読んだ時点で、この物語が向かう先はまだ全く読めません。ただ、この完成度を思えば、予想は裏切られても、期待は決して裏切られないだろうという確信だけはあります。
一杯の苦いコーヒーのように、後味まで含めて楽しみたい一作です。
物語の序盤は、登場人物たちが感じた「違和感」が丁寧に丁寧に、積み重ねられていきます。
ですので、読み手によっては、スロースタートと感じることもあるかも知れません。
それでもぜひ、まず8話までは読み進めて欲しい作品です。
違和感が「実害」として形を持つ瞬間には、その積み重ね無しには味わうことのできない――代えられない高揚感がありました。
言葉にできない違和感や感情を、言葉を尽くして読み手に伝える。その描写の厚みや精度も、本作の魅力です。
そしてそれは「最初だけ気合が入ってる」といった類のものではなく、今読んでいる19話時点でも変わらず、私の感性を揺さぶり続けています。
Webっぽい軽い読み口では物足りなくなってしまった人、
1話1話を丁寧に追いたい人にこそおすすめの作品です。