紛れ込んだマリア
初瀬灯
紛れ込んだマリア
安倍まりあの教会に行った。
まりあに教会バザーの手伝いを頼まれたのだ。
「人手が足りなくて」とまりあが珍しく困った顔をしていたので引き受けた。
特に予定もなかったし、まりあの教会というものに少し興味もあった。
日曜日の朝、指定された住所に向かう。住宅街の奥にある小さな教会だった。
「あれか」
白い壁に十字架。思ったより地味な建物で、教会というよりは集会所に近い印象だ。庭に大きなケヤキが一本あって、その木陰にテーブルを出す準備が始まっている。
テーブルクロスを広げている人、段ボール箱を運んでいる人。朝の空気の中で、十人ほどが動いていた。
「宮間さん、来てくれたんですね」
まりあが入口から出てきた。エプロンをしている。安倍まりあのエプロン姿は初めて見る。似合うかどうかは別として、新鮮だった。
「おはよう。何すればいい?」
「まず中に入ってください。品物の仕分けと値付けを手伝ってほしいんです」
教会の中に入ると、正面に礼拝堂がある。長椅子が並んでいて、奥に講壇とシンプルな木の十字架。キリスト像などは飾られていない。
ステンドグラスではない普通の窓から朝の光が差し込んでいて、思ったより明るい。壁に讃美歌の番号を掲示するボードがあった。礼拝堂の隣にホールがあって、そこに寄付品の段ボール箱がいくつも積んである。
「これ全部?」
「はい。信徒の皆さんが持ち寄ったものです」
段ボールの中身を出して仕分けて、値段をつけて、テーブルに並べる。文化祭の備品管理と似たような作業だ。食器を種類ごとに分けて、欠けがないか確認して、値札をつける。
古着は状態を見て分類する。本はジャンルごとに並べる。古い聖書や讃美歌集、子供向けの聖書物語の絵本など、教会らしい書籍も混じっていた。
手芸品はまとめて一つのテーブルに。手作りの小さな木の十字架のペンダントや、クロスを刺繍したブックカバーもあった。
「宮間さんは手際が良いですね」
「こういうの慣れてるから」
実行委員体質が役に立つ場面は人生にわりとある。
余計な気づきがトラブルを呼ばなければなお良いけど。
まりあは私とは別のラインで動いていた。庭のテーブルの配置を指示し、手作りお菓子のコーナーの準備を確認し、レジの釣り銭を数えている。全体の段取りが頭に入っているらしく、誰かに「これはどこに?」と聞かれると迷わず答える。
作業をしていると、教会の人たちが次々に声をかけてくれた。年配の女性が多い。
「あなたがまりあちゃんのお友達? よく来てくれたわねえ」
「いつもまりあちゃんにはお世話になっていて」
「手伝いなんて嬉しいわ。若い子が来るとバザーも華やかになるし」
皆、温かい。まりあに対する親しみが自然に溢れていて、この教会でまりあがどういう存在なのかがすぐに分かった。
アクセサリーや小物類の仕分けにかかる。
一つの段ボール箱に雑多に入っていた。ブローチ、イヤリング、数珠のブレスレット、聖人らしき人物が象られた小さなペンダント、革のキーホルダー、ヘアクリップ。小さなトレイに種類ごとにまとめて、それぞれに値札をつけていく。
ホールの隅で、まりあが年配の女性と話しているのが聞こえた。
「まりあちゃん、今年もよく頑張ってるわねえ」
「いえ、皆さんのおかげです」
「お祖母さまが見たらお喜びになるわよ。あの方がこのバザーを始めたようなものだから」
「祖母の話はよしてください」
「あら、照れてる? まりあちゃんのお名前もお祖母さまがつけたんでしょう?」
「……はい。それは、祖母が」
まりあが少し恥ずかしそうにしていた。まりあが恥ずかしがるところを見たのは初めてかもしれない。
まりあの名前は祖母がつけたものらしい。へえ、知らなかった。
それよりも驚いたのは、教会でのまりあだった。
カフェのまりあは、窓を少しだけ開けている感じだ。私の前では多少打ち解けるが、基本的には自分の世界に閉じている。スマホは見ない、メッセージの既読は三日後、一人でいても平気。
教会のまりあは全く違った。
信徒の名前を全員覚えている。誰がどの品物を寄付したか把握している。年配の信徒に「まりあちゃん、これはどこに並べればいい?」と聞かれると、すぐに答える。
小さな子供が走り回っていると、しゃがんで目線を合わせて話しかける。子供がまりあの足にしがみついて離れない場面もあった。まりあは困った顔をしつつ、その子の頭をぽんぽんと叩いていた。
――この子、こんな顔するんだ。
社会性がなかったのではなく、発揮する場所がここだったのだ。カフェの安倍まりあしか知らなかった私は、まりあの一面しか見ていなかったことになる。
何とも不思議な気分だった。
まりあにはここがある。帰る場所というか、根を張っている場所がある。私には何があるだろう。実務的に何かを回すのはわりと得意だが、基本的に頼まれたからやっているだけで、別に自分なりの思い入れがあるわけではない。
まりあのように「ここが自分の場所だ」と言える場所が私にはない。
高校生なんてそんなものかもしれないけど、こうやっているまりあを見てると、どうも自分が幼稚に思えてしまう。
庭のテーブルに品物を運び出していると、段ボール箱を抱えた男の人が向こうからやってきた。四十代くらい。穏やかな顔つきで、眼鏡をかけている。まりあと目元が似ていた。
「宮間さん、父です。この教会の牧師をしています」
まりあがさらっと紹介した。
「今日は手伝ってくれてありがとう。助かるよ」
「いえ、楽しいです」
父親は穏やかに笑って、段ボールをテーブルの上に下ろすと、そのまま次の荷物を取りに戻っていった。穏やかだが、言葉を多くしない人だった。まりあの知的な雰囲気はこの父親から来ているのかもしれない。
*
十時にバザーが始まった。
庭のテーブルとホールに品物が並び、近隣の住民や信徒の家族が集まってくる。規模は小さいが賑やかだ。
手作りクッキーのコーナーからは甘い匂いが漂っていて、子供たちが群がっている。古本のテーブルには年配の男性が張り付いている。食器のコーナーでは主婦らしき人たちが掘り出し物を探していた。
私はレジの補助と案内を担当した。お金の受け渡しと、袋詰め。文化祭の本部席みたいなものだ。
「これいくら? 値札が見えないんだけど」
「えっと、お皿は二枚で百円です」
「二枚で? 安いわねえ。じゃあ四枚もらうわ」
こういうやり取りが延々と続く。値段の確認を求められたり、お釣りが足りなくなって両替に走ったり、袋が足りなくなって奥に取りに行ったり。地味だがやることは尽きない。
まりあは会場全体を見ながら動いている。品物の補充、接客、質問への対応。売れた品物のスペースを詰めて見映えを整えたり、迷っているお客さんに声をかけたり。
「まりあちゃん、この花瓶に値段ついてないんだけど」
「それは三百円です。今つけますね」
「このセーター、虫食いっぽいのがあるんだけど」
「すみません、確認します。……本当ですね、これは下げます。申し訳ありません」
判断が速い。文句を言う客にも丁寧だが毅然としている。レジから見ていて、まりあの捌き方に感心した。私が委員会活動で身につけた実務スキルと似ているようで少し違う。
私は効率を優先するが、まりあは人を優先する。効率で言えばもう少しやり方はあるのだが、まりあのやり方だと誰も嫌な気持ちにならない。
十一時頃、レジが空いた隙に古本のテーブルを覗きに行った。文庫本が何冊か残っていて、まりあが好きそうなタイトルもあったが、まりあは自分の教会のバザーで本を買ったりするのだろうか。
古本テーブルの横で、まりあの父親が椅子に座ってお茶を飲んでいた。力仕事が一段落したらしい。
「宮間さん、さっきからよく働いてるね」
「こういうの好きなんです」
「まりあに似てるよ。あの子も黙々とよく働くんだ」
父親は庭の方に目を向けた。まりあがお客さんと何か話しているのが見える。
「去年のバザーなんか、前日の準備から片付けまで一人で仕切っててね。大人がぼんやりしてると、まりあの方から『お父さん、テーブルの配置はこっちにして』って。娘に仕切られる父親ってのも情けない話だけど」
父親は笑いながら言った。
「ここではみんなまりあに頼りっぱなしだよ。妻の母――まりあの祖母が元気だった頃は祖母がやっていたことを、今はまりあが全部引き受けてる。大したもんだ」
「そうみたいですね。今日見てて驚きました」
「普段は違うのかい?」
「全然違います。もっとこう……静かで、自分の世界にいる感じです」
「ああ、そうだろうね。あの子は昔からそうだ」
父親はお茶を一口飲んで、少し間を置いた。
「最近まりあがカフェに行くとか美術館に行くとか言うようになってね。前はそういうことを言う子じゃなかったから。宮間さんのおかげかもしれないな」
「私は別に何も……」
「いや、ありがたいと思ってるよ。本当に」
まりあが聞いたら「余計なことを言わないでください」と膨れそうな話だ。
レジに戻ると、まりあが父親――牧師と何か打ち合わせしていた。売上の中間報告だろうか。まりあが手元のメモを見ながら何か説明している。父親が頷いている。親子というより、教会の運営スタッフ同士という感じだった。
同い年なんだけどな、私たち。なんだろうこの差は。私はレジで小銭を数えていただけなのに、まりあは牧師と運営の話をしている。
昼前に一度客足が途切れて、まりあと二人で庭のベンチに座った。教会の人が淹れてくれた紅茶を飲む。ケヤキの木陰が気持ちいい。
「まりあ、ここって毎週来てるの?」
「毎週日曜日は礼拝があるので。バザーは年に二回ですけど」
「礼拝ってどんなことするの?」
「讃美歌を歌って、聖書の朗読があって、牧師の説教を聞いて、お祈りをして。だいたい一時間くらいです」
「へえ」
素朴な疑問だが、聞いたことがなかった。まりあの教会生活について、私は何も知らなかったのだ。
「まりあはここを継ぐの? いや、継ぐとかそういうのがあるのかどうかも知らないけど」
まりあが少し驚いた顔をした。それから、紅茶のカップを両手で持ったまま、少し考えてから答えた。
「継ぐ、というのとは少し違いますが……この教会の運営に関わっていきたいとは、ずっと考えていました。プロテスタントの教会は信徒が主体で運営するんです。役員会があって、会計や行事の企画は信徒がやります。牧師はいますが、カトリックの神父のように聖職者が全てを取り仕切るわけではなくて」
「カトリックとは違うんだ」
というか、思えばこの教会がカトリックなのかプロテスタントなのかすらよく分かってなかったな。何か失礼を働く前に教えて貰えて良かった。
「はい。かなり違います。カトリックはローマ教皇を頂点とした組織で、聖職者の権威が強い。プロテスタントは宗教改革で分かれた側なので、聖書の言葉を重視して、信徒一人一人が神と直接向き合うという考え方です。聖人崇敬もありませんし、聖母マリアの位置づけもカトリックとはだいぶ違います」
「聖母マリアの位置づけが違う?」
「カトリックでは聖母マリアへの崇敬が非常に重要で、ロザリオの祈りやアヴェ・マリアの祈祷など、聖母に捧げる信仰の形がたくさんあります。プロテスタントではイエス・キリストと聖書を中心に据えるので、聖母マリアは敬うけれど、崇敬の対象としては扱わないのが一般的です」
「なるほどね」
正直、キリスト教の宗派による違いなんて考えたこともなかった。まりあにとっては当然の知識なのだろうが。
「で、まりあはここの運営を?」
「将来的には、そうしたいと考えています。牧師になるには神学校に行く必要がありますが、プロテスタントでは女性の牧師も認められている教派があるので。この教会もそうです」
「まりあが牧師になるの? お父さんの後を継いで?」
「継ぐという言い方だと少し違うんですが……父の跡を継ぐかどうかは別として、この教会を支えていく側にはなりたいと思っています。祖母がそうだったように」
まりあの声は穏やかで、迷いがなかった。祖母から続く場所を、自分が引き受ける。それが当然のことだという口ぶりだった。
「すごいね。高校生でそこまで考えてるの、なかなかいないよ」
「逆に聞きますけど、宮間さんは将来のこと考えてますか」
「全然」
「……でしょうね」
「ひどくない?」
まりあが少し笑った。
まりあには信仰がある。教会がある。祖母から受け継いだ場所がある。将来の青写真もある。私には何もない。別にそれが悲しいわけではないのだが、横に並んでみると自分の空っぽさが際立つ。
教会の庭で、紅茶を飲みながら笑うまりあ。こういう時間もいいな、と思った。
*
午後になると客足が戻ってきた。午前中に来られなかった人たちが「まだ残ってますか」とやってくる。品物はだいぶ減っていたが、それでも食器や本はまだ残っている。
私はレジに戻って会計を続けた。まりあは相変わらず会場全体を動き回っている。品物を整理しながら、信徒と話しながら、子供の相手をしながら。疲れているはずだが、動きは止まらない。
バザーの途中で、まりあが手芸品のテーブルの前を何度か行き来しているのに気づいた。品物の並びを直しているようにも見えるが、直すたびに少し何かを探すような目つきをしている。
アクセサリーのトレイの前でも、同じ動きをしていた。トレイの中身を見て、少し考えて、また離れる。
「まりあ、何か探してる?」
通りすがりに聞いてみた。
「……いえ、大丈夫です」
まりあの「大丈夫です」は、大丈夫ではない時にも出てくる言葉だ。
「大丈夫じゃなさそうだけど。手伝おうか」
まりあが少し迷った顔をした。それから、声を落として言った。
「……祖母のゆかりの品が、寄付品の箱に紛れてしまったみたいで。探しているんですが、見つからなくて」
「何? 一緒に探すよ」
「いえ、自分で探しますので。大丈夫です」
「そう? 何か分かったら言ってね」
「はい。ありがとうございます」
少し気になるが、何を探しているか分からないのでは、手の出しようがない。まあ本人に何か当てがあるのかもしれない。無理に聞き出すこともないだろう。
私はレジに戻って、バザーの残りを手伝った。
*
三時頃にバザーが終わった。残った品物をまとめて、テーブルを片付けて、ゴミを集める。教会の人たちが手分けして片付けていく。庭のテーブルを畳んで、テーブルクロスを洗濯かごに入れて、レジの売上を集計する。
私は売上の集計を手伝った。硬貨を種類ごとに分けて数える。バザーの売上は全額教会の運営費に充てられるらしい。
集計が終わって、ホールの椅子に座った。ペットボトルのお茶を飲む。少し疲れたが、心地よい疲れだ。文化祭の後に似ている。
教会の掲示板が目に入った。礼拝の予定表、聖書の勉強会の案内、先月の会計報告。こういうのを見ると、教会も一つの組織なんだなと思う。
運営があり、会計があり、行事がある。まりあはその中で育ってきたのだ。
ぼんやりとお茶を飲みながら、今日一日のことを振り返っていた。
まりあの教会での顔。信徒に囲まれているまりあ。段取りを仕切っているまりあ。ここがまりあの場所なのだ、と思った。
まりあの探し物は見つかっただろうか?
祖母のゆかりの品だと言っていたか。
まりあの名前は祖母がつけた。
――まりあ。
「…………ん、あれ?」
不意に今日見聞きしたことのいくつかが、頭の中で結びついた。
それらはするすると私の脳内で一つの像を形作っていく。
「――もしかして」
無意識のうちに、私は声に出して呟いていた。
もしかして。
私はまりあの祖母の遺品を、既に今日の間に目にしているのではないだろうか。
*
片付けは終盤に入っていた。テーブルが畳まれ、売れ残った品物が段ボール箱に戻され、ホールが少しずつ元の姿を取り戻していく。信徒たちは顔見知り同士で雑談しながら手を動かしていて、子供たちは庭で遊んでいる。
私は集計を終えたレジ箱を奥の事務室に運び、空いたテーブルを拭き、ゴミ袋を外に出した。手を動かしている間、ポケットの中のものを時々指先で確かめた。
年配の信徒の女性に「ありがとう、今日は本当に助かったわねえ」と声をかけられて、軽く頭を下げた。
一通り片付けが終わった頃、まりあを見つけた。ホールの隅で椅子に座って、少し疲れた顔をしている。隣に座った。
「お疲れ。大変だったね」
「宮間さんこそ。本当に助かりました」
「楽しかったよ。文化祭みたいで」
まりあが少し笑った。
「まりあ」
「はい」
「これ、探してたんじゃない?」
ポケットから小さなペンダントを出して、まりあの前に差し出した。近くで見ると、聖母マリアの姿が象られている――これをメダイというらしい。
まりあの目が見開かれた。
どうやら合っていたようで、私はホッとした。
同条件の別のものを私が見逃している可能性はあったし、私の想像とは関係がない品物だったらどうしようもなかったので、そこまで確信があったわけではなかった。
それから、ゆっくりと、メダイを受け取った。チェーンを指先でなぞるようにして、しばらく何も言わなかった。
「……どうして、これだと分かったんですか」
「えっと、何から説明したらいいかな……。昼にまりあが話してたよね、プロテスタントでは聖人崇敬はしないって」
「はい」
「それが引っかかっててさ。午前中に品物を仕分けた時、アクセサリーのトレイの中に聖人みたいな人物が象られた小さなペンダントがあったのを思い出したんだ。プロテスタントの教会のバザーに聖人のペンダントって、ちょっと噛み合わない気がして」
別にあって駄目というわけではないけど、しかし友人が探し物をしているのなら、一つの取っかかりにはなる。
「スマホでちょっと調べたら、カトリックにはメダイっていう信心具があるって分かった。聖母や聖人の図像が刻まれた小さなメダルで、お守りみたいに大切にするもの。プロテスタントでは使わない。あれ、ペンダントじゃなくてメダイだったんだ」
まりあはメダイを握ったまま、じっと私の顔を見ていた。
「もちろん、プロテスタントの教会のバザーにカトリックの信心具が混じってても、寄付品としてありえなくはない。カトリックの親族の遺品とか、旅行のお土産とか、経路はいくらでもあるから」
まりあは何も言わない。メダイを握る指に少し力が入っていた。
「で、ここからが名前の話。安倍まりあ――アヴェ・マリア。カトリックの祈りそのものだよね。でもさっきまりあ自身が言ってたよね、プロテスタントでは聖母マリアの位置づけがカトリックとはだいぶ違うって。プロテスタントの信徒が孫に『まりあ』って名づけるのは、ちょっと不自然じゃないかな。でも名づけたのは祖母だって聞いたから。だとしたら、お祖母さんは元々カトリックだったんじゃないかなって」
まりあが息を呑んだ。
「カトリックのお祖母さんの形見――なら、あのメダイはありうるでしょ。絶対に合ってるって確信があったわけじゃないけど、まりあが探してる『祖母のゆかりの品』の候補として、今日見た中で一番それっぽいのはあれだったなって」
全部言い終わって、まりあの顔を見た。
まりあは目を伏せていた。メダイを両手で包み込むようにして、指先が少し震えている。
「……ずるいです。宮間さんは」
まりあの声が少しだけ揺れていた。
「準備の時に寄付品の箱に紛れ込んでしまったんです。気づいた時にはもう仕分けが終わっていて、どの箱に入っていたか分からなくなって」
「だから探してたんだね。でも、バザーの最中に『私物が混じったから探させてください』と言ったら混乱するし、買ってくださった方がいたら返してとも言いにくいから黙ってた」
「……はい」
別にそれでも言えばいいのにと思うけど、それがまりあの奥ゆかしさなのだろう。バザーの運営を乱したくない。買った人に迷惑をかけたくない。自分が損をする方を選ぶ。それがまりあだ。
そうやってまりあが損をするなら、友人の私がカバーをすればいいわけで。
「百円だったよ」
「え?」
「値札。百円。安すぎない?」
よく見ると意匠は細かく、到底百円ではなさそうだが、廉価品の箱に紛れてしまったためあえなくワンコインにされてしまったらしい。
まりあが一瞬ぽかんとして、それから小さく笑った。
「……値段の問題ではないですが、釈然としない数字ですね」
二人で笑った。ホールには片付けの終わったテーブルと、畳まれたテーブルクロスが積んである。西日が窓から差し込んで、床に四角い光を落としていた。
「お祖母さん、カトリックだったんだね」
「はい。祖母はカトリックの家に生まれて、祖父と結婚してこの教会に来たんです。宗派は変わりましたけど、メダイだけはずっと持っていました」
「宗派を超えて嫁いだんだ」
「当時はまだ珍しかったそうです。周りには反対されたと聞いています。でも祖母は気にしなかったみたいで」
「強い人だったんだね」
「はい。強い人でした」
まりあがメダイを見つめている。古い銀色の表面に、小さな図像が刻まれている。
「不思議のメダイというんです」
「不思議?」
「十九世紀のフランスで、聖母マリアの姿を刻んだメダルをお守りとして広めたのが始まりで。信仰心のある人が身につけると奇跡が起きると言われていて、それで『不思議のメダイ』と呼ばれるようになりました。カトリックでは最もよく知られている信心具のひとつです」
「奇跡かあ」
「比喩的な意味も大きいとは思いますが」
まりあがメダイを指先で撫でた。
「祖母が亡くなった時にもらいました。私が小学生の頃です。『まりあにあげる』って。名前も、これも」
「いい名前だよ。まりあ」
「……ありがとうございます」
*
片付けを全て終えて、教会を出た。夕方の光が住宅街を柔らかく染めている。
駅まで並んで歩いた。まりあはメダイをポケットに入れて、時々手で確かめるように触っている。
「今日、まりあの教会を見られてよかった」
「そうですか? 地味だったでしょう」
「地味だけど、良かった。まりあがあそこでどういう存在なのか、よく分かったしね」
まりあは少し黙った。
「……宮間さんに見られるのは、少し恥ずかしかったです」
「なんで? すごかったよ。みんなまりあのこと頼りにしてた」
「そういうことではなくて」
まりあが言葉を探している。珍しいことだ。
「昼にお話ししましたよね。この教会の運営に関わっていきたいと」
「うん」
「ここで生きていくものだと思っていました。ずっと」
まりあの声は穏やかだった。高校を出たら神学校に進んで、数年後に戻ってきて、父親の手伝いをしながら教会の運営に関わっていく。
信徒の子供たちが大人になっていくのを見届けて、やがて父親の跡を引き継いで、祖母が始めたバザーを続けて、この場所の一部として生きる。
そういう人生がまりあの頭の中にはあったのだろう。まりあが当然のように口にする「教会の運営に関わっていきたい」は、私の考える「何かに関わる」とは重さが違うのだ。
「ですが今は……もう少し考えたいと思っています」
「え?」
思わず聞き返した。まりあがこの場所の一部として生きていくのは、もう決まったことのように感じていた。「ですが」という逆接がくるとは思っていなかった。
「何かあったの?」
「いえ、何かがあったわけではないんですが。今将来を決めるには、私はまだ何も知らなすぎる気がして」
「そう? まりあ以上に色々知ってる高校生、そうはいない気がするけど」
まりあは不思議な表情で私の顔をじっと見つめた。元々、人の目をまっすぐ見て話す方ではあったけど、こうも集中されるとドギマギしてしまう。
「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」
「いえ。宮間さんも、将来どんな人間になるのか楽しみだなと」
「急にどうした」
「さあ? ただ、そう思っただけです」
まりあはそう言って前を向いた。夕日が住宅街の屋根の向こうに沈みかけていて、空がオレンジ色に染まっている。二人の影が長く伸びて、アスファルトの上でゆらゆら揺れていた。
道の途中でまりあが立ち止まった。ここから先、まりあは教会に戻り、私は家の方角に進む。分かれ道だった。
「では、また」
「うん」
まりあは教会の方に戻っていく。私はしばらくその背中を見ていた。
家までの道を歩く。夕焼けが街を染めていて、影が長い。
今日一日、まりあの場所にいた。あそこにいるまりあは、私の知らないまりあだった。信徒に囲まれて、段取りを仕切って、子供に懐かれて。あの場所でまりあは完成している。
でもまりあは「もう少し考えたい」と言った。
完成している場所から、一歩出ようとしているのだろうか。
ポケットの中には何もない。メダイはまりあの手に戻った。代わりに、今日の記憶が残っている。
まりあの教会。バザーの喧騒。百円のメダイ。名前の由来。
でも私は、帰り際にまりあが言った言葉が、頭の中でずっとリフレインしていた。
紛れ込んだマリア 初瀬灯 @tenome
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