あなたはあなたであることを証明できない

 残業を終え、僕は最寄り駅に到着した。最近は仕事が立て込んでおり、いち早く家に帰りたかった。僕は人込みの多い道を外れ、裏路地に入る。というのも、ここを通らなければ建物を迂回して歩かなければならず、帰る時間が遅くなってしまうのだ。


 両側を背の高い建物で挟まれたこの細い路地は、外からの光が全く入り込まず、足元でさえ注意して歩かなくてはならない。先がよく見えない恐怖を打ち消すように僕は平然を装うが、その手は自然と鞄を強く握りしめていた。


 すると突然前方から足音が聞こえてきた。それは次第に大きくなり、何某かが近づいてくる気配を感じた――――




 ――――若干の恐怖心からか、俺は早々とその路地を抜け、無事帰宅することができた。

 ここからは、一日で一番楽しみな時間が待っている。


「体調はどんな感じ?」


「まあまあだよ。あと数日って考えると緊張する!」


 出産予定日が近づいた俺の妻は、三日前から市内の病院に入院している。だからこうして、毎晩仕事から帰るとメールでやり取りをしているのだ。最近俺はもうすぐ生まれるはずの自分の子のことと、愛する妻のことで頭が一杯なのだ。


「そういえば、指の具合はどう?私がいれればよかったんだけど」


 そういえばつい先日、妻がいない中で慣れない料理をしたら、包丁で指をざっくり切ってしまったのを思い出した。かなり出血もあったのだが‥‥‥あれ、どこを切ったんだっけ。両手のどこを見ても、それらしい傷は見当たらなかった。気づかないうちに塞がったのだと思うことにした、


「もう痛くないから、大丈夫だよ」


「よかった!出産が終わったら私が作ってあげるから、今は無理しないでね」


 その後も他愛のない会話が続き、妻が眠くなったというので、今日はお互い寝ることにした。しかし最近は残業続きで疲れているはずなのに、どうにも寝付けなかった。


 眠くなるまでSNSでも見ていようと思い、俺はリール動画をなんとなくスクロールしていた。すると、おかしな広告が流れてきた。


「記憶改変専門店メモリライトへようこそ!当店では、記憶にまつわる様々なご要望にお応えすることができます。さらに今なら、初回無料キャンペーン開催中。この機会にぜひ、オンライン申し込みをお待ちしています!」


 なんだか最近は変な広告が増えてきたな‥‥‥こんなの立派な詐欺じゃないか。全く呆れるな。


 しばらく見ていると、ようやく眠くなってきたので、スマホの電源を切って寝る準備をしようとした。画面が暗転する。


 俺はぞっとした――――


 真っ暗な画面に反射した俺の顔は、全く見覚えのない顔だった。




 俺はたった今人を殺した。理由はあまり覚えていない。多分むしゃくしゃしていた。夜、真っ暗な裏路地で一人歩いていたサラリーマンを刺し殺した。そいつは死に際に妻とか子供の名前とかを掠れた声で呼んでいた。どうやら彼は幸せだったらしい。


 そして俺も、そんな幸せを享受したいと思ってしまった。親に捨てられ、妻子もいない俺は、ささやかでもいいから普通の家族というものを体験したかったのだ。


 そのとき、あの広告のことを思い出した。「記憶改変専門店メモリライト」というそのサイトは、普通の人なら詐欺だと思い利用しないはずだが、俺は何度か利用したことがある。


 そして俺はあることを思いついた。記憶の改変、つまりこの男の記憶と俺の記憶を全て入れ替えれば、俺は家族のいる幸せな日々を送ることができるのではないか。そんな馬鹿馬鹿しい妄想を、俺は実行に移した。どうせこのままのらりくらりと生きていても、良いことなんて一つもない。そう思った俺は、死体から必要なものを回収して、記憶改変のボタンを押した。




 後日、○○市のマンションで、54歳の男が不法侵入の疑いで逮捕された。付近ではその部屋に住む26歳の男の遺体が発見されており、警察は二つの事件の関係性を調査している。なお、逮捕された男は精神疾患の可能性があり、医療機関での鑑定が進められている。

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【ホラー短編集】記憶改変専門店メモリライト 和樂備 @warabeeee_sep

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