エピローグ

数十年後、その街の名を覚えている者は、もうほとんどいなかった。


かつて傭兵が行き交い、酒と血の匂いが混じり合っていた通りも、今では半ば崩れた石壁と、伸び放題の草に呑まれている。井戸は埋まり、宿屋は屋根を失い、地震の傷と人の営みの跡だけが、乾いた土の上に残っていた。


街外れの空き地も、もう空き地とは呼べない姿になっていた。


地面は古い亀裂を抱えたまま沈み、その縁には苔が張りついている。かつて黒く鈍い光を返していた岩は、長い歳月のあいだに赤黒く色を変え、ところどころを緑に覆われていた。血が乾いて、石の奥へ染みこんだような色だった。


そこへ、ひとりの旅人が通りかかった。


年の頃は四十前後。背には荷を負い、靴は土埃にまみれている。長く歩いてきたらしく、右脚を少し引きずっていた。途中で捻ったのか、古傷なのか、自分でももう区別のつかない痛みだった。


旅人は、崩れた石壁のそばで足を止めた。


「何だ、これ……」


目の前の赤黒い岩に、何の意味も見出していない声音だった。

ただ、妙に目を引く石だった。草と苔に埋もれながら、そこだけが沈まずに残っている。


旅人は眉をしかめ、痛む脚をかばいながら一歩近づいた。

手をついて休もうとしただけだった。

深い意味など、何ひとつなかった。


その指先が、岩に触れた。


旅人の顔から、ふっと力が抜けた。


「……あ」


思わず、そう声が漏れる。


さっきまで脚の奥で鈍く続いていた痛みが、跡形もなく消えていた。捻ったときの重さも、歩くたびに刺さるようだった違和感も、急に遠のく。旅人は信じられないものでも見るように、自分の脚を見下ろした。


「何だ、これ……」


さっきと同じ言葉だった。

だが今度は、戸惑いよりも驚きが強かった。


そのときだった。


足元の土が、わずかに動いた。


旅人は息を呑んで顔を上げる。

苔のあいだから、細い茎がゆっくりと伸びていた。一本、また一本。赤黒い岩の周囲の土が、静かに盛り上がっていく。


旅人は動けなかった。


見覚えのない植物が、何かを思い出すように、ひどく静かに芽吹いていた。

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【異世界】傷を治さぬ石 Aki Dortu @aki_1020_fjm

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