エピローグ

 六月の終わり、夜九時。

 公園のベンチに座って、私は息の置き方を確かめるように胸に手を当てた。

 このプラネタリウムに通っているのは高校生だった3ヶ月前までと同じなのに、カフェのエプロンじゃなく少しかちっとしたスタッフ用ジャケットに袖を通すたび、世界の輪郭が少しずつ違って見える。

 月島館長に「声は、星と同じ。焦らず、でも届く場所へ」と笑われたのを思い出し、喉の奥をそっと湿らせる。

 七月からの夏の星座特集で、私はついにナレーションデビューする。

 私の大好きなベガが最初に出て来る台本なのは、きっと月島館長の私へのプレゼントだ。

 この台本をもらってからというもの、読まなかった日はないというくらい何度も読み込んでいるのに、そのたびに胸が素直に高鳴る。


 園内の木々が風に擦れて、夏の手前の匂いを鳴らす。

 街灯の輪が芝生を切り取って、そこだけ昼間みたいに明るい。

 私は顔を上げた。真夏よりも低い位置にあるけれど、もう見える。

 プラネタリウムではなく、本物の夜空に輝く……ベガ。


 今夜も、練習のために声を出してみる。

 夜の空気に、自分の声が溶けていくのが怖くて、でも嬉しい。


「あ、あー……ん、うん」


 喉の調子を整えてから、私は台本の冒頭部分をそらんじた。


「ベガという星を、知っていますか。夏の夜空に、ひときわ明るく輝く……」


 ふたご星。


 私の大好きな、一万二千年後に北極星になる、あの星。

 いつもふたつ寄り添って私を見守ってくれているように思えて、見ていると勇気が倍になりそうな気がする。


 さあっと風が吹き、言葉の余韻が、枝葉の間を通っていった。

 ふたつ並んだ青白い光は、寄り添って、支え合っているみたいに見える。


 ベガ。

 私の愛する、ふたご星。


 いつもと同じようにベガを見上げていた、はずだった。

 ……なのに。


 ふと気づくと、どういうわけか、私は泣いていた。


「え……なんで」 


 理由もなく、ただ胸が締め付けられるような、それでいてどこか温かいような感覚が、私の涙腺を刺激し続ける。

 なんだろう、これ……。

 わけもわからず流れ続ける涙をもてあまし、私はベガを見上げた。

 ねえ、ベガ。

 どうして私は泣いてるの。

 教えて――。


 そのとき。

 そんな私の視線の先で、寄り添うふたつの光のうちの片方が、ぱちんとまたたいた。

 それを見た私は、何かに似ている、と反射的に思い……。

 すぐに、答えを思いついた。

 そうだ、あのまたたきは――


 なんだか、ウインクみたい。


 そう思ったら、今度は私の頬に笑みが浮かんだ。

 見ていると、やさしくて、あたたかくて、泣きたくて、笑顔になれて……

 ベガ、不思議な星。

 どの星とも違う、特別な星。

 ……そんなことを考えながら、私は泣き笑いの表情のまま、いつまでもベガを見上げていた。

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一万二千年後の北極星 日比谷すみれ @SUMIRE111

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