ソラへ戻る日

西海子

ソラへ戻る日

「チャンスは残り三回です」

 どこか楽しげに声は告げた。

 このポンコツめ。置かれている状況のまずさに、人格インターフェイスが躁状態にシフトしたのか。

 事態はそうのん気な状態ではない。

 私の船は、物資の探索回収船であり、とある惑星で大量の物資を採集した帰り道にあった。時空ジャンプを繰り返して母星を目指していたところ、偶発的な航路妨害が発生し、相手が軍事行動中の大艦隊であったことから私の船が緊急避難をしなくてはならない状況になった。船の統制システムは時空ジャンプ中に、帰路の為に必要なエネルギーを割いて進路の緊急転換を実行。私の船は衝突は免れたものの、見知らぬ宙域へと放り出されてしまったのだ。

 私は深々と息を吐いて、ポンコツ、と心の中で罵った統制システムに向かって告げていた。

「アン、残り三回でどこまで飛べるのかを健気に計算するのが君の仕事だ。優秀な君には言うまでもないことだと思うが」

 嫌味たっぷりな私の返答に、この艦の統制システムである【アン】は笑い声を弾けさせた。

「あはははは! 言うまでもないね。それは既に計算済みであり、僕は君に悪い報告と、最悪の報告をしなくてはいけないのだから」

 アンは躁状態の人格を維持したまま、私に訊ねる。モニタは既にエネルギーを節約するためと称して、アンに消されていた。

「どちらから聞くかい?」

 抑えきれない笑いが混じる音声が耳障りだ。

 私はため息を吐いてシートにぐでんと伸びると、聞きたくもないという意思を示して丸くなった。

「……悪い報告は?」

 呟く様な私の声を耳聡く拾い、アンは笑いながら通達する。

「三回の時空ジャンプで行ける範囲に、航宙技術の発展した知的生命体のいる惑星は存在しなかった」

 ――最悪だ。つまり、この物資満載の船は推進エネルギーの補給が出来ないことが分かった。このまま私はこのポンコツ統制システムと宇宙を漂うのか。コールドスリープにエネルギーを回す余裕なんて、最早この船には存在しない。幸いにして生き延びることぐらいは出来るかもしれないが、それも既に時間の問題となった。

「あー……最悪だ……」

「今の報告は悪い報告であって、最悪の報告はまだなんだけど」

 アンが変に冷静に指摘する。

 うるさい、ポンコツめ。分かっているというんだ。その上でこれ以上の“最悪”を聞かねばならない私の気にもなれ。

「……アン、最悪の報告は?」

 しばしの葛藤の後に私はアンに答えを要請した。アンは自棄になったようにけたたましい笑い声を一頻り艦内に響かせて、言い放った。

「二度目のジャンプで到達できる宙域に、二足歩行型の知的生命と思われる反応をキャッチした! 聞いて驚いてくれよ、なんと文字すら持たない、進化の始まりに近い状態だ! シミュレートして弾き出した結果、この生命体が銀河間の移動を可能とするまで発展する間に、君の生命活動が停止する可能性は97.634%だ!」

 思考が止まった。

 私は自らの星に帰る事は適わないと宣告されたに等しい。

 3%以下の確率に縋るのは余りに絶望的過ぎる。

 アンは途端に静かになると、鬱々とした声で零し始めた。

「最悪だよ……辿り着かない方がまだマシな宙域だ……。救難信号が拾われる可能性に賭けて、宇宙の中心部に航路を向けた方がいい……それでも君が救助される確率は1%にも満たないが……」

 このポンコツは急に鬱状態になったらしい。統制システムに人格インターフェイスを搭載した奴は頭がおかしいんじゃないかと本気で思った。うちの星の技術者が変に凝り性なのか、単独での物資回収任務には話し相手が必要だとでも考えたのか。いずれにせよ、アンとはもう長い付き合いになったが、こんなに情緒が不安定なプログラムになっているとは思わなかった。

 しかし、このまま宇宙の中心部に向かって三回飛べば私の生存率は1%未満。母星の方向へ飛んでもどこにも届くことはない。アンの最悪の報告によってもたらされた惑星に行けば、私が生きて母星に戻れる確率は3%以下……。

 確率論に従えば、最悪の報告に縋るしかないのが現状だ。

 だが、私にはとんでもない困難が待ち受ける事になるだろう。それを支えてくれるのは、船に満載された物資と、ポンコツ統制システムだけだ。

「アン」

「なんだい? しばらくクローズして落ち込もうと思っていたんだけど」

「職務放棄宣言とはいい度胸だな、統制システムのくせに」

「統制システムは君とは違って、遠い未来すらシミュレートによって閲覧できる。あぁ、故に今回は快適な帰路をご提供できなくて残念だよ。では、お休み……」

「待て、アン。賭けに出る」

 私の決断に、アンはわざとらしいため息の音声を流した。いちいち嫌味な奴だな。

「例の、知的生命らしき生命体がいる星に向けて飛ぶ」

「正気かい? あぁ、正気なんだね。気が狂っていてくれた方が幾分マシだったよ」

「喧しい。進路を設定、銀河辺境部。目標宙域に到達次第、当該惑星に着陸」

 私の命令に、アンはモニタを点灯させると、節約のために止めていた全ての機能を回復していった。艦内が俄かに動き出す。

 アンの最後通告。

「確率から見て、生きて帰れないよ」

「2%以上は可能性があるんだろう? 私はそれに賭ける。――アン、悪いが君も道連れだ」

「……僕は統制システムとして、君を母星に帰す義務がある。その為ならば僕の演算機能はそれに費やすべきだ。だからここからは統制システムとしてではない、アンとしての意見だけれど」

「うん」

 私の聴覚を揺さぶったアンの声は、優しさと気遣いに溢れていた。

「僕は君と共に母星に帰還するために全力を尽くそう。だが、確実ではない。もし君が志半ばで生命活動を終える事になってしまった時、僕は君の傍にいよう。僕だけは、君の傍にいよう」

「そうならないように君がいるんだろう、アン? なにしろ、シミュレートは君に任せておけば間違いない」

 私は丸まっていた体を起こし、シートに落ち着けた。

 アンはしばらく声を発さなかった。統制システムとしての非情な決断に踏み切れなかったのかもしれない。

 だが、不意にアンは冷静さを取り戻したシステムボイスでアナウンスを始めた。

「当艦はこれより、二度の時空ジャンプを敢行します。乗員は身体制御を怠らず、ワープアウトの衝撃に備えてください」

「アン、私は少し眠るよ」

「身体の固定を推奨します」

「あぁ、問題ない。後はよろしく頼むよ、アン」

「――お休み。起きるころには銀河の辺境だよ」

 アンの声が感情を帯びる。

 まったく、人格インターフェイスというのは厄介だ。そこに、アンという存在がいると錯覚してしまう。私はこれから、プログラムと共に長い時を費やさなくてはいけないというのに。未開の惑星で、そこにいる生命体が航宙技術を得るまでの長い長い時を。

 眠りに落ちる時、一度目の時空ジャンプが行われたのは理解できた。


 私はその星に辿り着き、アンと共に“神”と崇められた。

 宙からやってきて、様々なことを教えたからだ。

 この星の生命体より遥かに長命である私と、プログラムである故に命などないアンは、いつからかこの星の生命体の前から姿を消し、秘匿しておいた艦内で過ごすことにした。

 私はアンと共に静かに見守る事にしたのだ。

 この星の知的生命体……人間と呼ばれるようになった生き物が、発展していく様を。

 アンのシミュレートでは、私の命を限界まで引き延ばすためには、この星の大気は少々体に良くないことが分かったからだ。

 横になって静かに日々を過ごす私に、アンはよく話しかけてくれる。

「栄養摂取はしたかい?」

「あぁ、物資は相当に減ってしまったね……」

「気にしなくていいさ。君がもう一度飛び立ち、母星に帰る為に使うのなら」

「アン、メンテナンスは実行している?」

 私は何度となく、アンにそれを問い掛けていた。その度にアンは穏やかに笑いながら「勿論だよ」と言葉を返してくれる。

「君を星に帰すのが僕の使命だ。その為なら万全を期すよ」

 いつからか、アンはシステムボイスでの会話を止めた。アンという人格として私と会話をするようになった。

 それにどれほど救われたか分からない。

 孤独ではないのだ、私を知る者がいるのだ、と。

 だから、その日。

 私の生命活動がいつ終わってもおかしくない状況となったその日。

 アンは休眠状態にしていた艦内に一斉にエネルギーを行き渡らせた。

「エネルギー充填完了、艦内オールグリーン。航宙管制システム、異常なし。――キ、帰ろう、君の星へ」

 私は言葉を発する力すら、もうほとんど残っていなかったけれど、アンの声に微笑みを返すことはできた。

 もう、気付いていた。

 これはアンの優しい嘘なのだと。

 そもそもこの船には、遥か昔に使わずにいた、一回分の時空ジャンプのエネルギーがそのまま残されている。

 だから、アンは……私を、ソラへと、せめて母星にわずかでも近い場所へと連れて行ってくれようとしているんだろう。

 アンは船を起動する。

 重力に引かれていた船が、長い時を過ごした惑星……地球を離脱する。

 ――モニタには、懐かしい漆黒の宙。

「君を一人では逝かせないし、人間達の手に渡す気もない。僕達は、母星を目指すんだ」

 アンの決意が籠った言葉が耳を打つ。

「僕は、キ、君のことを愛しているよ。例え僕がただのプログラムに過ぎないとしても、この人格は、感情は僕のものだ。これまで共に過ごしてきた君を、宙へと戻さなくては」

 あぁ、アン、私だって。

 私は返事を返すことが出来ただろうか?

 時空ジャンプに備えるように、というアンの声に、私は静かに目を閉じた。


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