ハッピー・ホリデー! いかがお過ごしでしょうか?
私が以前「この作品は読者に読解力バトルを仕掛けている」という発言をしたので、「なんだこいつ?」と思われた方もいるでしょう。
言いっ放しで答え合わせが無いのも不誠実ですので、こういう形で「私がこの作品で書いたこと/書かなかったこと」と「深層にあった情報」を出しておこうと思います。
とにかくネタバレ全開ですので、まずは本文をお読みいただくことをお勧めします。
化学準備室の毒薬嬢《フロイライン・ギフト》
https://kakuyomu.jp/works/822139840539480937 せっかくなので、sunoで作ったイメージソングでも聞きながら読んでいってください。
【イメージソング】Fräulein Gift
https://suno.com/s/YQBMUxOtKQNJmRpw まず、多くの方が抱いたであろう疑問。
「なぜこの作品は後編……特に病院に運ばれて27年後に時間が飛んだあとから極端に主人公・堤の心理描写が減るのか」
これについてから行きましょうか。
堤は事件後、被害者としての立場を確立した後に転校してしまい“普通”に生きていきました。
しかし、皆さんは思ったでしょう。
「人を三人も殺した人間が、なんの罪悪感すら吐露せずに“普通”に過ごすのはおかしい」
はい、It's a trap。
堤は心理学的に正しい反応をしています。
彼はいじめを受けていました。
事件当日も三人からの暴力を受けています。
そして、日和りながらも毒薬嬢の計画をなぞりながら、遂には三人が死亡するまで見届けました。
堤は事件当日の早い段階で「心はもう動かない」と思っています。
そして、当然のように凄惨な「事故現場」で彼は、自らも毒を微量ですが口にしました。
全て全て、毒薬嬢に踊らされていたのではないか、と考えながら意識が落ち、病院で目覚めた後はもう計画書の通り。
堤は、弱い人間です。
――いえ、訂正します。
堤は、弱さを持った普通の人間です。
だから、彼はいじめから端を発したこの「誤食事故」を全て受け止めることができなかった。
故に、単純な話です。
堤の脳は防衛機制を働かせました。
堤が壊れてしまわないように、記憶を閉じ込めて、想起出来ない状況にしたのです。
つまり、これが第一の答え。
堤の心理描写・事件に関する言及がない理由。
解離性健忘。
堤は、忘れていたのです。徹底的に思い出さないように自らの記憶を封じて、思い出せなくしていたのです。
彼は、27年間、自身を完全に欺き切っていたのです。
なので、わずかな間しかいなかった高校に27年後に戻ってきたとき。
堤は妻に言いました。
「懐かしいなぁ」
彼は忘れています、ここで受けたいじめ、ここで渡された破滅的な「計画書」の存在、全て。
なので本心から「懐かしい」と言ったのです。
青春の短い間を過ごした、何の変哲もない高校として。
表層的な“普通”の堤がそう発言したのです。
その後、堤は「灰色」を視界に入れて、体の方が先に反応しました。
心の反応が遅れてやってくるほど、彼は忘れ切っていたのです。
そして「今日まで思い出しもしなかったのに」と、この時に「思い出してしまった」のです。
もう一点、回復した堤が自分が扱った毒について調べないのはおかしい、という指摘もありました。
この点についても、心理学的に説明がつきます。
堤は「事故」の後に被害者の立場を得ました。
これは堤にとっては一種の「救済」でした。
いじめから救われた、環境が変わって救われた、普通に生きていけるようになった。
ここで「誤食事故」について調べ直し、本来の致死量を知ってしまうことは「自身が殺人者である」という確認行為になってしまいます。
そのため、堤の心は強迫的な「否認」によって、「自分は加害者ではない、被害者である」という防衛機制を働かせました。
この二重の防衛機制によって、堤はいつ割れるかもしれない薄氷の上の「普通」の人生を送ってきたのです。
これで、私が「書かないこと」で堤の心理状態を表現していたことが理解してもらえるかと思います。
忘れている/なかったことにしたことは書けない。
つまり、堤は「信用できない語り手」なのです。
次の一点。
多くの読者の方が別に気にしなかったかもしれない、「誤食事故計画書に見られる毒薬嬢の純粋悪としての美学」。
渚は採取したキョウチクトウの葉を「ホイル焼きにでもしろ」と言います。
バーベキューなら、鉄板で適当に炒めたっていいじゃないか、と思うかもしれません。
が、あの悪魔はそんな杜撰な方法は許しません。
まず、キョウチクトウは燃やすことで出る煙にも有毒ガスが含まれます。
つまり調理担当の堤が煙を吸い込んでしまえば計画は台無しです。
なので、加熱した際に毒が逃げず、味のごまかしがききやすく、しっかりと三等分の可能なホイル焼きにしろという指示になったのです。
これは堤が日和って量を減らすことまで計算に入れたものです。
さらには最初に提示した「45枚」という致死量。
何でもいいから木の葉を持ってみればわかります。
明らかに多いんです。
ちょっと躊躇するぐらいに。
なので日和るだろうというのも計算していて、マックスの致死量を伝えました。
致死量に幅があることに堤が事前に気付けば、また別の手をその場で出してきたと思いますが……幸いにして――もとい、残念ながら堤は気付かずに渚の言葉を鵜呑みにしました。
このように、この悪魔は人間の心理の反応すらも計算に組み込んでいたわけです。
最後に。
27年後の毒薬嬢はどういう存在なのか。
これに関しては、様々な反応がありました。
正直、どれでも正解です。
あの場にいた渚が、亡霊なのか、毒の擬人化なのか、概念なのか、或いは実体なのか。
それはわざと明言しないようにしています。
これも「わざと書かなかったこと」です。
ただ、作者側からはフェアプレイとして、27年後の渚の服装が変化していることはちゃんと描写しました。
堤の心理状態は先にも述べた通り、この時点で狂乱状態であり、彼の主観はもはや「信用できません」。
また、入り口で足が止まり、わずかに言葉を投げつけられて逃げ出してしまったために、堤はこの渚を観察する余裕がなく、過去の渚の印象的なアイコンと同じものばかりが目に入っています。
なので……さぁ、27年後の毒薬嬢とは何だったのでしょうか?
ここまでお読みいただきありがとうございます。
私が即興型の物書き……パンツァーであることはご存知の方も多いかと思いますが、上記すべてが、執筆中に私が真横で見ていた光景です。
渚の冷徹な計画、堤の弱さからくる防衛機制、全部眺めていたから「そうか、わかったよ」とそのまま書き留めたものです。
一般的にパンツァーはこの手の作品は苦手だと考えられていると思います。
伏線を張り、綺麗に回収し、読後に「毒」を引きずる。
こういうミステリーは綿密にプロットを組んで書く方が多いと考えられます。
それはそれで正しいと思います。
読者をあっと言わせるような叙述トリックなどは、そうした計画の上に積み上がるものです。
が、パンツァーが書くと本作の様に「とにかくライブ感が強く、主人公の心理が読者に近くなる」という効果があります。
そして、主人公が「信用できない語り手」であることすら俯瞰して見れなくさせることができます。
なので、一度読んで、このノートで作者の意図を知って、再読すると……より深まった恐怖を得られるようになっています。
よかったら、是非「作者が見ていた距離」で作品を読み直してみてください。
毒薬嬢の純粋悪が、堤の当たり前の弱さが、より際立つと思います。
こちらを読んで「ここも気になる!」「これは何なんだ!?」という疑問はコメントいただければ可能な範囲でお答えしますので、お気軽にどうぞ。
以上、毒薬嬢と作者からのクルシミマスプレゼントでした。