ねぇ、怖い話をしてあげる
乃東 かるる@全快
ねぇ、怖い話をしてあげる
薄暗い部屋に、いくつもの蝋燭が揺らめいていた。チャンネル名「闇語り」の主は、今日も画面の向こうに向かって、囁くように語りかける。
「ねぇ、怖い話をしてあげる」
彼の声は、低く、しかし熱を帯びていた。
最初の頃は、ごくありふれた都市伝説やネット怪談を朗読していた彼だが、視聴者の「もっとリアルな話が聞きたい」というコメントに応えるうち、次第に“実話怪談”へと傾倒していくようになった。そうしてある日、とある廃病院の地下室で見つけたという古びた看護師の手記を手に入れた。それがすべての始まりだった。
その手記には、入院患者たちが夜な夜な聞いたという「天井裏からの笑い声」や、「ナースステーションに現れる黒ずくめの誰か」、そして「点滴の中身が水に変わっていた」といった、明らかに異常な出来事が、克明に記されていた。
彼はその手記を読み上げるたび、一本、また一本と蝋燭を吹き消していった。それは最初は、ただの演出だった。
だが視聴者の間では、ある頃から妙な違和感がささやかれ始めた。
「なんか、顔やつれてない?」「声高くなった? 加工?」
コメント欄にはそんな書き込みが並ぶようになった。照明が暗すぎてよく見えないものの、彼の顔は日に日に青白くなり、指先は不自然なほど細く、長く、しなやかに変わっていく。声も、乾いた木のような軋みを含み、発音が時折にごるようになっていた。
時おり、語る彼の目はどこか虚ろで、話の合間にふと、言い淀むような間が生まれるようになっていた。
まるで、自分が何を話しているのかすら、わからなくなりつつあるかのように。
やがて、コメント欄には「今、後ろに誰かいた気がする」「息、聞こえた?」といった奇妙な投稿が現れ始める。けれど、彼自身は一度たりともそれに言及しない。まるで気づいていないかのように、怪談を、手記を、語り続けていた。
そして、視聴者の一人がある日、こう指摘した。
> 「あれ……蝋燭、百本あるよな?」
百物語。怪談を百話語り、語るごとに灯りを消していくという古来の儀式。全ての灯が消えたとき、そこに“何か”が現れるという。
そう、彼は知らず識らずのうちに、百物語の儀式を執り行っていたのだ。語られた怪談の「残滓」が、少しずつ彼の精神と肉体を蝕み、彼の内側に異界への“門”を築き始めているように……
特に、あの看護師の手記。
あれがすべての始まりだった。
もしかしたら、あの手記自体が呪われた百物語の「第一話」であり、彼をこの連鎖へと誘った呪われた招待状だったのかもしれない。
その最後のページには、看護師のものとは異なる、不気味な筆跡でこう記されていたのだ。
> 『語り続けよ。語り尽くした時、お前は我らと一つになる。』
彼はその言葉の意味を理解しなかった。あるいは、理解したくなかったのかもしれない。
それでも彼は語り続けた。
いや、本当は、もうとっくに語りたくなどなかったのかもしれない。
──ただ、語ることをやめると何が起きるのか、それを想像することすら、怖かったのだ。
視線の先にあるカメラの赤いランプと、ぼうっと揺れる蝋燭だけが、彼をかろうじて現実に繋ぎとめていた。
蝋燭の灯が一本ずつ消えていくたび、彼の「人間としての輪郭」は曖昧になり、その声はもはや人間のものとは思えぬ音色に変わっていった。
まるで、語られた百の怪談が、彼の体を依代としてこの世に顕現しようとしているかのように。
──そして、ついに。
彼は最後の怪談を語り終えた。
画面には、残り一本となった蝋燭の、か細い炎が揺らめいていた。
それが「最後の一本」だということを、彼は理解していた。
それでも、止めることはできなかった。
口元はかすかに震え、けれど目はどこか諦めたように虚空を見つめていた。
──このまま、闇の向こうへと沈んでいくことを、どこかで受け入れてしまっているかのように。
ふぅ、と息を吐く音だけが響いた。
──
最後の蝋燭の火が、消えた。
その瞬間、配信画面は完全な闇に包まれた。
音も、姿も、すべてが消えた。コメント欄にも、もはや一切の言葉が表示されない。
そして数時間後、彼のチャンネル「闇語り」にアクセスしようとしたすべての者が、同じ表示を目にすることになる。
> 「このチャンネルは削除されました。」
それからしばらくして、まるで都市伝説のように、奇妙な噂がネットに流れ始めた。
曰く、深夜動画サイトを見ていると、突然画面が真っ暗になり、何かの気配が漂い始めることがあるという。そして、暗闇の中から、低く、しかしゾッとするほど穏やかな、どこか人間離れした声が、こう語りかけてくるのだ。
---
「ねぇ、怖い話をしてあげる──」
(了)
ねぇ、怖い話をしてあげる 乃東 かるる@全快 @mdagpjT_0621
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