7
「まあ、怜さんだったの! お帰りなさい、一体どこに行っていたの、それにこの格好はなあに?」
謎の人物が、待ち焦がれていた怜だとわかると、俄然紗百合は元気になった。先まで当の彼のことで悩み悶えていたのに、いざ目の前に現れれば愛おしさが何にも勝る。
「ねえ、怜さんたら、何かおっしゃいよ。いきなりふらりといなくなっちゃって、私ずっとやきもきしていたわ。出て行く時はこんな服じゃなかったのに。どこに隠し持っていたの?」
子供のように甘えかかって、首っ玉に抱きつく。その時彼女は、自分ではそれと知らずに彼の頭巾をずり落としてしまっていた。
「ねえ、何かおっしゃいよ、怜さん! なぜずっと黙っているのよ?」
これまた甘ったれの子供そのものの態度で、ちょっと鼻にかかった怒り声を出してみる。やはり彼は答えない。むっとして首にしがみついて、かげった顔に己の顔を近づけてみた。途端、彼女は驚きに目を見開いた。
「怜さん、どうして泣いているの。それに、いつもの仮面は?」
泣いているばかりではない。何か、酷く憔悴したようにさえ思われる。
宵闇の中、僅かな灯にもきらきらと光る涙の玉。彼の滲んだ瞳は、紗百合の驚く顔をまっすぐに見つめて……。
「紗百合様!」
彼は一声叫ぶなり、彼女の足元にくずおれた。
「紗百合様、私は罪を犯しました……」
「まあ!」
彼女は自らも屈み込んだ。そうして、かすれた声でなされる彼の告白に、じっと耳を傾けた。――ただひとり収容所へ赴き、直に聞いた若子の言葉。その後に突発した脱獄騒ぎ。富貴村で、この目で見た若子の改心。村人の残虐な狂気。それらを目にしていながら、何もなし得なかった自分の不甲斐なさ。
「せめて、若子さんの遺灰か遺骨でも譲り受けて、懇ろに弔ってやりたいと思いました。露路様や瑶子様も、そうお望みになるでしょうから。しかし……」
真実を全て打ち明けようと思い詰めた彼でさえ、その時の出来事を口にすることはためらわれた。――牧師の格好をしたまま、彼は執行人を務めた村人の前に立ち塞がった。僧侶を装い厳かな声で、処刑者の骨を拾いたいと申し出てみた。が、相手はからからと笑ってうそぶく。「骨なんか残ってねえよ」「では、せめて遺灰だけでも」「だめだね。こいつは俺達の畑に蒔くんだ。貴重な肥料だからな、せいぜいうまい作物が育つこったろうよ、ハハハハ」……牧師の格好をしていることも忘れて、彼はその男に唾を吐きかけたくてたまらなくなった。しかしながら、そんなことをすれば正体を見破られるおそれがある。「恥を知れ」結局、そう口ごもっただけで、彼は村を後にしなければならなかったのである。――
「……紗百合様。これが私の犯した罪の全貌です。どうぞ、憐れんで下さいませんか。或いは罵って下さってもいい」
「……」
「私はあなたを愛しております。けれど、その愛を、望み得る人間ではもはやなくなってしまったのです」
彼の告白は、そこで終わった。跪いたままうなだれる彼を、紗百合は暫し見下ろしていた。が、やがて、微笑とともにその面を上げさせた。
「怜さん」
「はい」
「あなたは、もしかしたらあなたの言うように、罪を犯したかもしれない。そして、その罪を一生背負わなくてはいけないかもしれない。……でも私は、あなたに懇願するわ。私にも、その罪を一緒に背負わせてほしいと」
彼の涙に濡れた目が大きく見開かれる。そんなことはいけない……そう言おうとしたらしい彼の唇を、紗百合は自らの紅唇で以て封じた。
彼女の心はもう決まっていた。この愛おしい若者を、一生かけても支えよう。相手が、或いは周囲の人間が何を言おうと、決して動くまい。未来が輝かしいものだろうが、惨めなものだろうが、構わない。
「紗百合様、あなたは本気で私なんかを……」
「何も言わないで」
熱い口づけを、彼の額に贈る。
彼は堪え切れず両手で顔を覆った。その手にも、紗百合の柔らかな頬が擦り寄せられる。彼女の手は怜の頭を、肩を、温かく抱きしめる。――二人はこれからも、寄り添いながら生きていくのだろう。生きながら、胸に抱き続けるのだろう。
良心と、情愛と、消されぬ罪の意識とを。
明眸と紅唇 香月文恵 @fumie-k
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