毛羽毛現

夔之宮 師走

毛羽毛現

 夢の話である。


 俺の手のひらに毛が生えてきた。一本、二本といったものではない。それこそ手のひらにびっしりと生えてきているのだ。指の先まで。


 毛というものは、人間にしろ生き物にしろ、様々な長さや固さ、色がある。俺は犬が好きで、中でも柴犬が大好きだ。柴犬の換毛期は一年に二回ある。寒さから体を守るための冬毛が抜けて、夏に向けた体になり、寒い冬に対応するため、夏毛が抜けて冬毛に生え替わる。

 いちいち服を入れ替えなくて良いのは羨ましい。俺はいくつになっても衣替えのタイミングで悩んでいる。


 さて、俺の手のひらに生えてきた毛である。


 おそらく伸びてしまえば様子も変わるのだろうが、伸び始めの状況では毛がこわく、なんとも不思議でやりにくい。俺は特に髭が濃いほうではないが、当然、毎日剃らなければ伸びてくる。伸び始めて一日、二日と放置した程度の髭の雰囲気というのは、おそらく女性には想像がつかないものだろうが、諸兄には理解いただけるものかと思う。あれが手のひらに生えているのだ。

 俺の仕事はデスクワークだ。今のところキーボードを打つ際に気になるものではないが、もう少し伸びてくるとやりにくさもあるかと不安を覚える。


 俺は毎朝シェーバーを使って手のひらの毛を剃ることにした。鏡の前で髭を剃る自分は長年見ているが、手のひらにシェーバーをあてている自分は珍しい。冷静に考えれば、両の手のひらは自分で見ることができるのだ。鏡は要らない。


 夢の中の俺には彼女がいた。我ながら羨ましい。


 小柄でフェミニンな服が似合うその女性と俺は長年付き合っているらしい。仕事終わりに池袋駅で待ち合わせ、雰囲気のある個室居酒屋で酒を飲む。そのまま北口にあるホテル街に向かうのだが、一緒にシャワーを浴びているときに「痛い!」と文句を言われる。俺の手のひらで少し伸びた毛があたるらしい。その夜、俺たちは同じベッドで背中合わせで寝た。手を握ることもない。


 そんな日が何日も続き、ある日、彼女から言われる。

「気持ち悪い」


 最悪な目覚めだ。最近は夢をはっきりと覚えていることなどほとんどないのに、こういう嫌な夢ばかり残るのか。彼女もいないのに。

 俺は微妙な気持ちのまま準備をし、会社に向かった。


 翌日の夢である。

 俺の足の裏に毛が生えてきた。踵から指の先まで。土踏まずもだ。その夢の中では俺は独り身だった。今と同じだ。それはそれでつまらない。


 俺の足の裏の毛は靴下を履くときに邪魔になった。どうもつま先に向かって生えているようだ。どうでもいいことだが。

 歩いている時に足裏が微妙に気になる。靴下を突き抜けた毛が靴底に刺さるのがわかる。


 俺は足の裏にシェーバーをあてるようになった。手のひらではあまり気にならなかったが、足裏を剃ったシェーバーで髭を剃ることに抵抗があった。こういう感覚はなんだろうな。不思議なものだと思う。

 翌日、俺は池袋駅の目の前にある家電量販店でシェーバーを買って帰った。家にあるものは足裏用にする。新品が髭剃り用だ。気分が軽くなった。


 俺は目が覚める。


 まだ6月だというのに朝から暑い。エアコンを切って寝ると、暑さで目が覚めるようになってきた。

 洗面所に向かい髭を剃る。洗面台にはもう一つシェーバーが置いてあった。ああ、これは足裏用か。俺は合点する。


 仕事を終えて帰宅し、風呂に入る。俺は極力シャワーではなくて湯船に入る。毎日の儀式のようなものだ。俺は湯船から足を引っ張り上げて足裏を見る。毛など生えていない。夢は夢だ。


 髪を乾かし、買っておいた缶酎ハイを飲む。布団に寝ころび自分の手のひらを見た。そこには点々と毛が生えてきていて。

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