第5話



 爆発するような閃光と共に。


 メリクの身を捕らえようとその腕に手を掛けた人間の身体が、薙ぎ払われて後方に吹っ飛んだ。

 樹の幹に全身を打ち付け、彼は地面へと落下した。


「なっ⁉」


 ザザザザ……ッ


 周囲の樹々が大きく撓る。

 風の強い日ではあったがそれは唐突で、不自然な風の動きだった。


 倒れた男は目を見開いたまま動かなくなった。

 凄まじい力で打ち付けられた後頭部から血が流れ始めている。


「貴様!」


「こ、殺せ! 殺してしまえ――ッ!」


 男達が驚愕の声を上げ、一度緩めた剣を構え直し飛び掛かってくる。

 それを霊性帯びる冷めた目で見返し、メリクは一瞬だけ天を仰いだ。



(僕は邪悪になるなと言われれば、たぶん、邪悪にならないでいられる……)



 そうだと、まるで応えるように、雷鳴が走った。


(でも僕は邪悪であることを求められた。

 だから本当にこいつらが、この世に人を殺めて何ら良心の呵責を感じない人間などがいるのだと思っているのなら。

 ……リュティス様が、血を好む野心家だと決めつけ、本当にその牙で襲いかかって来るような人間だと、そう思い命まで奪おうとしているのなら――本当の残虐がどういうことか、僕が教えてやる)


 真実を歪め邪悪な妄想に取り憑かれた人間相手なら、それをすることにこんなにも躊躇いを感じない。


(リュティス様が失われるくらいなら、こいつらが消え去った方がいい)



 剣が無防備に立ったままの、メリクの白い額に振り下ろされて来る。


 

 メリクは伏せていた瞳を見開くと、自分の中にずっと埋もれていた、覆い隠していた、眼を反らし続けていた自分の暗面と初めて向き合ったのだった。


 固く封じて来た、呪いの言葉。


吹き出して来る。







「――――――消えるのは貴様らの方だ‼」







 それが、この時メリクが行使した【魔言まごん】だった。




 頭上で雷光が瞬く。


 一瞬……白い光に包まれた視界の中。



 自分の遥か前を歩いているリュティスが、何故かこちらを振り返る姿が脳裏に浮かんでいた。 

 リュティスが自分から立ち止まってメリクを振り返ってくれる姿など一度も見たことはなかったのに、何故その時そんな光景を幻のように光の中に見たのだろう?


 その時の第二王子はいつものように蔑んだような目ではなく、ただ静かな琥珀の瞳でメリクの方を見ている。

 しかし重ねるように思い出したのは彼が口にした厳しい言葉だった。


『一時の感情に流されて自分よりも力の弱い者に攻撃を加えるなど、魂の卑しい所業としか言い表せん!』


 リュティスがメリクの魔力を、警戒しているのは知っていた。

 ……でも彼がそういうメリクに魔術を教えてくれたのだ。

 正しい魔術の使い方を。

 古代から伝わって来た、

 正しい【魔言】と【魔力】を結び付けて魔術は行使する。


 ただ魔力を怒りに任せて敵に放つなどということは……、


 魔術ですら、ない。





 残響を残して白い光が去った。


 辺りが暗くなる。


 冷たい雨が降り注いでいる。


 ……すでにメリクの周りには誰もいなかった。

 生きている者は。


 周囲に四つ黒い塊がしゅうしゅう……と細い煙を上げている。

 それは人の断末魔の悲鳴ですらすでに上げることもない。

 森の辺り一面が一瞬で灰になった。

 当然、そこにあるのは雷撃を受けたものの成れの果て。

 苦悶に歪む顔すらすでに無い、ただ人の形をしただけの灰。


 メリクは感情のない表情でそれを見下ろしていた。

 哀れだとか、罪悪感とか、そんなものは思った通り浮かんで来なかった。

 殺してやると思った気持ちも、真実だ。

 少しも悔いはない。


 だが彼の胸には何か大きな喪失感だけがあった。

 それだけは確かだ。

 自分の胸に支えのように守り続けたものを失ったような。


 つ……、と涙が左目だけから流れる。しかしそれはすぐに頭上から降り注ぐ雨が飲み込んで押し流してしまった。



「…………後悔などしない…………」



 その唇から悲痛な言葉が漏れる。

 言葉とは裏腹に心は、魔法を放った瞬間にはもう後悔していた。

 


 こんなに一瞬で、人の運命は変わるものなのだろうか?

 こんなに一瞬で、全てを失うものなのか。



 初めてリュティスに魔術を教えてもらったのは、サンゴール王宮の書庫でだった。


 第二王子の真似をして読めもしない魔術書を開いていた。

 案の定眠くなって次に目が覚めると時間は黄昏時、黄金色の夕陽が差し込む窓辺にリュティスがいて、側に寄っていくと彼が初めて聞かせてくれたのだ。



【古の巨神イシュメルは己の片目を代償に白雷の宿るその腕で闇を裂き、

 神の死角となる異空の領域を手にした異能の神だ。

 雷、内なる憤怒……そして隠された知を司ると言われている】



 リュティスの唇から紡がれるその呪言をひどく美しいと思ったのを覚えている。


 

 ……もう二度とあの頃に戻ることは出来ないのだ。



 メリクは土砂降りの雨の中、土の上に膝をついた。

 

 彼は雨に打たれたまま、そこから立ち上がることが出来なかった。




【終】

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その翡翠き彷徨い【第35話 運命の夜】 七海ポルカ @reeeeeen13

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