浄霊の準備

 翌日の夕方、サークル室にはカレイドスコープの全メンバーが集まっていた。真澄が持参した四年間の観察記録ノートがテーブルの中央に置かれ、その周りを囲むように皆が座っている。


「改めて説明するよ」


 真澄が静かに口を開いた。


「稲葉慎太郎さんは、三十年前にここで時間認識の実験中に事故に遭い、時間の狭間に取り残されてしまった。彼が起こしていた七不思議は、誰かに気づいてもらいたい一心からだった」


「可哀想に……」


 紅葉が古文書を抱きしめて呟いた。


「民俗学的に見ても、強い想いを持った魂が現世に留まるケースは珍しくありません~。突然の事故で心残りがある場合は特に……」


「でも、なんで真澄先輩だけが気づけたんですか?」


 晴音が首を傾げた。


「僕にもよくわからないんだ」


 真澄は苦笑いを浮かべた。


「ただ、このサークル室にいると、いつも誰かに見られているような感覚があった。温かい視線だったから、怖いとは思わなかったけれど」


「真澄の直感力は昔から異常だからな」


 翔也がからかうように言うと、場の緊張が少し和らいだ。


「それで、どうやって浄霊するんだ?」


 悠斗が身を乗り出した。


「あたしの銀の鈴を使います」


 陽菜乃が首からお守り袋を外した。


「でも、一人じゃできません。みんなで慎太郎さんに感謝の気持ちを伝えて、彼が安心して旅立てるようにしたいんです」


「具体的には?」


「真澄先輩の観察記録を読み上げてもらいます。そして、みんなで慎太郎さんの存在を認めて、ありがとうって伝えるんです」


 陽菜乃は銀の鈴を手の平に載せた。小さな鈴が、まるで呼応するように微かに震えている。


「彼は三十年間、ずっと一人ぼっちでした。でも今夜は違う。あたしたちみんなが、彼と一緒にいます」


「よし、やろう」


 真澄が観察記録ノートを開いた。


「慎太郎さん、もしここにいるなら、聞いてください。僕たちは、あなたのことを忘れません」


 真澄がノートを読み上げ始めると、サークル室の空気が変わった。温度が下がり、どこか厳かな雰囲気に包まれる。


「一九九四年四月十五日。時計の針が逆回転する現象を初めて確認。午後十時十五分から約五分間継続」


 真澄の声が響く中、陽菜乃の銀の鈴が優しく鳴り始めた。


「一九九四年五月二十日。上階から足音が聞こえる。規則正しく、まるで誰かが歩き回っているような音」


「あ……」


 泰河が小さく声を上げた。サークル室の向こう側に、うっすらと人の気配を感じる。


「視える?」


「うん。なんか、嬉しそうに立ってる」


 陽菜乃も微笑んだ。銀の鈴から伝わってくる感情は、確かに喜びに満ちていた。


「一九九四年七月三日。ロッカーが勝手に開く現象を確認。中に古い実験ノートが入っていた」


 真澄が読み上げるたびに、慎太郎の存在がより鮮明になっていく。まるで、自分の記録を読んでもらえることで、彼の想いが形になっているかのようだった。


「慎太郎さん、あなたの気持ち、よくわかります。三十年間、本当にお疲れさまでした」


 陽菜乃が静かに呼びかけると、サークル室に温かい風が吹いた。


「僕からも」


 真澄がノートを閉じて立ち上がった。


「慎太郎さん、僕は四年間、あなたの存在を感じながら、直接話しかけることができませんでした。でも、あなたがそこにいてくれたおかげで、このサークル室はいつも温かい場所でした」


「俺からも言わせてくれ」


 翔也が手を上げた。


「慎太郎、お前のおかげで俺たちは本当の都市伝説に出会えた。ありがとうな」


「アタシからも」


 千沙が珍しく優しい表情を浮かべた。


「あなたの現象を分析させてもらって、オカルトの奥深さを知ることができました。感謝しています」


 一人ずつ、メンバーたちが慎太郎に向けて感謝の言葉を述べていく。悠斗の明るい労いの言葉、紅葉の民俗学的な解釈を交えた敬意の表現、遼の論理的な分析への感謝、湊の朗読者らしい美しい送辞。


 そして最後に、晴音が震え声で言った。


「慎太郎さん、ワタシのカメラに映ってくれて、ありがとうございました。あなたがいることを、記録に残せて良かったです」


「俺からも!」


 泰河が勢いよく立ち上がった。


「俺、最初はめちゃくちゃ怖かったけど、慎太郎さんが悪い人じゃないってわかって安心したよ。三十年間、一人で頑張ってたんだな。偉いよ、本当に」


 泰河らしい素直な言葉に、みんなが微笑んだ。


「慎太郎さん」


 陽菜乃が銀の鈴を両手で包み込んだ。


「あなたはもう十分頑張りました。もう一人じゃありません。あたしたちみんなが、あなたのことを覚えています」


 鈴の音が次第に大きくなっていく。


「だから、安心して旅立ってください。あなたが行くべき場所へ」


 サークル室全体が柔らかい光に包まれた。それは温かく、優しく、まるで春のような暖かさだった。


『ありがとう……みんな……本当に……ありがとう……』


 慎太郎の声が、風に乗ってサークル室に響いた。今度は全員に聞こえていた。


『僕は……幸せでした……最後に……こんなに多くの人に……囲まれて……』


 光がより一層強くなる。


『市倉くん……君の記録……本当に嬉しかった……君がいてくれたから……僕は希望を失わずに済んだ……』


「慎太郎さん……」


 真澄の目から涙がこぼれた。


『陽菜乃ちゃん……泰河くん……君たちが話しかけてくれて……僕は初めて……本当の意味で生きている実感を得た……』


 陽菜乃の頬も涙で濡れていた。


『みなさん……ありがとう……僕は……行きます……』


 光が頂点に達した瞬間、サークル室に静寂が訪れた。そして次の瞬間、まるで重い荷物を下ろしたかのように、空気が軽やかになった。


 陽菜乃の手の中で、銀の鈴が最後に一度、美しく澄んだ音を響かせた。


「……行ったね」


 陽菜乃が静かに呟いた。


「ああ」


 真澄が頷いた。


「もう、この部屋に重苦しさは感じない。慎太郎さんは、安らかな場所へ旅立った」



*****



 二週間後、真澄と翔也の卒業式が行われた。


「真澄先輩、翔也先輩、卒業おめでとうございます」


「俺たちがいなくなっても、カレイドスコープのことよろしく頼むぞ」


 翔也が陽菜乃の頭を撫でた。


「はい。でも、寂しくなります」


「大丈夫だよ」


 真澄が微笑んだ。


「キミたちがいれば、このサークルはもっと素晴らしくなる。慎太郎さんも、きっと見守ってくれているよ」


 その日の夕方、サークル室で陽菜乃は新しいノートを開いた。表紙には「感謝の記録」と書かれている。


『稲葉慎太郎さんへ


 あなたとの出会いを、あたしたちは忘れません。

 あなたが教えてくれた「気づくことの大切さ」を、

 これからも大切にしていきます。

 

 三十年間、お疲れさまでした。

 そして、ありがとうございました。


 都市伝説研究サークル「カレイドスコープ」一同』


「なに書いてるの?」


 泰河が覗き込んだ。


「慎太郎さんへの感謝の手紙。これから、あたしたちが出会う人や現象について、全部記録していこうと思うんだ」


「いいね、それ」


 晴音が賛成した。


「ワタシも写真で記録するよ。今度は怖がらずに」


「俺も頑張る。ビビるのは相変わらずだと思うけど」


 泰河が苦笑いした。


 三人が笑い合っていると、サークル室に優しい風が吹いた。まるで慎太郎が『頑張って』と応援してくれているかのように。


「ありがとう、慎太郎さん」


 陽菜乃が空に向かって呟いた。


 壁の時計は、正確な時を刻み続けている。もう逆回転することはない。でも、この部屋には新しい伝統が生まれた。


 出会った全ての人や現象への感謝を忘れず、記録し続ける伝統が。


 サークル室の七不思議は終わった。しかし、カレイドスコープの新たな物語は、今始まったばかりだった。


 夕日がサークル室を優しく照らす中、陽菜乃の銀の鈴が、希望に満ちた未来を告げるように、美しく響いていた。




-完-

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陽菜乃さんは霊が視えない! ~Kaleidoscope Activity Record~ 釜瑪秋摩 @flyingaway24

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