第8話 大呪の木の満開の下



 夜闇にかすかな光を放つ白花が1つ、2つと開く。その光景は記憶に新しい昨年の開花を思い出す見事なものだったが、感嘆している場合ではなかった。クォーラルを撃ち込んだ幹の奥で、途絶えた筈の命脈が再び流れていた。


「ここの家主が残した大呪木エントを癒す調合を再現した。手に入らない材料もあったから、ただの有り合わせだがね」


 ナプティアの声はまるで講義でもしているかのように落ち着いていた。彼は変わらず頭上の花を見上げている。大呪木エントを枯らさなければ、彼の目は覚めない。だが彼がいる限り、大呪木エントは回復する。正直なところ、この時ほど、彼の優れた技能を厭わしく感じたことはない。僕の知る限りでも、人狼もどきや、吸血鬼を治療したことのある魔術師だ。彼の専門領域で同じことができない道理はなかった。

 ただ1つ引っかかることがある。花が咲き始めているにも関わらずナプティアの様子に変化がないことだ。生気を吸う性質を考えれば、追い詰められた大呪木エントが彼や周囲の植物から少しでも得ようとするのが自然だからだ。

 思考を遮ったのは外の梯子が揺れ、騒々しく登ってくる音だった。


「先生、生きてる!?」


 戸口から金毛の尖った耳が覗く。イブラヒムだった。彼は部屋に飛び込んでくるなり、ナプティアと僕を交互に見た。


「下で待ってろって言われたけど、咲きはじめてるし心配になって来ちまった」

「残念ながら、生きているかは定義による。今の彼は取り憑かれて、ほとんど大呪木エントの代弁者と呼ぶべき状態だ」

「あの木を殺せば元通りなんだよな? ……でもどうやって──」


 人狼の近くの空気が震える。咄嗟に彼を押しやれば、すぐに青白い光が迸る。


「ギャン! 熱っ!」


 イブラヒムは爆風を浴びて、毛を逆立てた。“熱い”で済むのは彼が頑強な人狼だからに他ならない。

 白煙の中で花弁が舞い、花がいくつも開いた。どれだけ芳香が濃くなろうと、魔物には無害だが、満開が人へ与える影響は不明だ。そもそも大呪木エントに魅入られた人間が生還したという前例がない。


「賭けに巻き込んだのは悪いと思ってるから! あとここに連れてきたのも! こうなるなんて知らなかったんだって!」

「いいや。むしろ感謝している、イブラヒム。彼らはこのままだと揃って枯れるところだった。だが、私の邪魔をするならお引き取り願おう」


 ナプティアは我々に背を向け、振り返ることなく腕を振った。まるで楽長のような彼の動きに呼応し、沈黙していた周囲の蔦と根が持ち上がった。伸びてきたそれらを切り落とす。隣で人狼が悲鳴をあげながらも全て避けていた。また1つ、2つと頭上で蕾が綻ぶ。小屋全体が花の薄明かりで満ち始めていた。


大呪木エントが枯れれば、ナプティアは目を覚ます。だが、ナプティアがいる限り大呪木エントは枯れない」

「お前も魔術師だろ! なんか魔術で止めるとか、できねえのかよ!」


 植物の妨害を避けつつ、クロスボウの引き金を引く。庇うように巻き付く蔦や根を貫き、幹の奥に矢が突き刺さる。大呪木エントが呻くように空気が震える。効いているが十分ではない。


「……魔術師の魔力は、君たち魔物ほど多くない。このまま続ければ息切れは向こうが先だが……その前に満開になる」

「満開になったらなんだよ!?」


 人狼が蔓を爪で薙ぎ払いながら吠えた。


「本来大呪木エントは、生気を奪い花を咲かす。咲ききった時、その根元には屍しか残らない。つまり──」


 今のところナプティアが弱っている様子はない。まるで木が自身を守らせるためにわざと生かしているようだ。満開の暁にもその猶予が続くとは限らない。

 時間は無い。だが残る手札は簡単には使えない。人狼が見ているならば尚更。


「最後は食われちまうって? まだ魂吸われてなさそうだし、味見してあんまり美味しくなかったんじゃねえの?」

「そうであってほしいが、魔術師が一般に美食と評されていることを考えれば希望は薄い」

「マジ? もう半分くらい咲いてんだけど……うわっ!?」


 突然、頭上を見上げていた人狼が勢いよく転んだ。その足に蔦が巻き付き、彼の長躯が引きずられ小屋の床を滑っていく。瞬く間に逆さまに宙吊りになった人狼が、吊り下げられた鉢植えの隣に並んでいた。


「た、助けて」

「ただの植物だ。少し引けば千切れる、君の力なら」

「手届かねえんだよ……」


 彼の足を噛んだ天井の蔦を射てば、緩み天井の隙間に引っ込んだ。頭から床に落ちた人狼が呻き声を上げた。


「イブラヒム、ここは任せてくれ。君や他の魔物をこれ以上傷付けるのは、彼の望むところではない。誓って彼は私が元に戻す。そもそも、この街に彼を招待し、君との交渉を任せた私の責任だ」


 人狼が引き下がることを期待した。しかし彼はというと、なにかに火がついたような熱い目で僕を見た。


「んだよそれ。そんなこと考えてたのかよ、水臭いな! 俺のせいなんだから、一緒に助けるに決まってるだろ!」

「……これ以上ここにいると夢見が悪くなるかもしれない」

「今帰った方が夢見悪ぃって!」


 足元の根を避けながら、人狼は跳ね回って叫んだ。


「これ使ってくれ!」


 イブラヒムは自分の手からなにかを引き抜き、こちらに投げた。精巧な金細工の指輪だった。その中心に光るのは大粒の翠玉、魔石の一種だ。


「魔術師なのに魔術使わねえのって枯渇したからなんだろ。まさか占術以外はからっきしって訳じゃねえよな?」

「いや……」


 魔石はとある条件下で死んだ魔物の臓器が結晶化したものだ。同族の遺した魔石を身につけるのは多くの魔物の風習だ。我々も例外ではない。

 外套に忍ばせた魔石は、いずれ来る呪いに呑まれる瞬間の延命用に温存していたものだ。これを使えば、失った魔術を少なくとも1度くらいは使うことは可能だろう。大呪木エント同様、我々も精神干渉を操る。つまり、大呪木エントと同じく、人を糧とするために。ただし、その強度は大呪木エントなどでは到底及ばない。


「遠慮すんなって。確かに人間には勿体ねえけど」


 希少石が惜しい訳ではなかった。使えば救えるだろう。だが、これまで積み上げてきたこの街の居場所は脅かされ、なにより彼の、ナプティアの信頼を損なう。大呪木エントから救う手段がよりによって大呪木エントと同じ術とは、なんたる皮肉だ。果たしてナプティアは友と呼ぶだろうか。側に置いていた“偏食家の無害な友人”が、実のところ大呪木エントと何一つ変わらぬ危うい存在と知った後でも。

 これでは、“善なる魔物 ”など幻想だと、初めから存在しないと、自白するようなものだ。


「でも、先生が戻るんなら上等だろ!」


 人狼の大声にナプティアが振り向いた。心打たれたからではなく、いつまでも立ち去らない闖入者に痺れを切らしたからだ。その碧眼が一瞬こちらを一瞥する。次の瞬間、眩い光と炎が虚空に立ち上った。避けた先、火の粉と白い花びらが混じり舞い上がる。


「熱っ! これ避けるコツあったら教えて!」

「空気の乾く音が予兆だ」

「それってどんな音!?」

「耳を澄ませて──」


 足元に濡れた竹筒が目に入る。先程ナプティアが使っていたものだ。いつの間にか転がってきたらしい。いや、偶然のはずがない。その瞬間、理解した。先程の攻撃が陽動と誘導に過ぎないことを。


「まずい。耳を塞げ!」

「え、どっち!?」


 閃光と轟音が空気を引き裂いたのはその直後だった。


「キャウン!!」


 人狼の悲鳴が聞こえたのが最後だった。塞いだ目と耳の奥に激痛が走り、世界が白く弾け飛ぶ。音という音が消え失せ、耳鳴りと白光が視界を塗りつぶした。

 首に何かが触れる。冷たい指先のような何かが巻き付く。脳裏に先程の吊り下げられた人狼の姿が過ぎると同時に、足が地面から引き離される。ぼやけ、白んだ世界に満開間際の満天の白花が広がる。灰と花の匂いが混ざった死の芳香が鼻腔を満たした。クロスボウの落ちる音とともに、視界と聴覚が戻ってくる。


「……ナプティア、火遊びの前に、少しは墓地の死者へ敬意を持ってはどうだい。死人の手を蝋燭にするような魔術師には難しい話かもしれないが」

「首を括っているのによく喋る。その口を黙らせるには一体どうすればいい?」


 根が拾い上げたクロスボウを受け取り、ナプティアはこちらを見据えた。銀のやじりが持ち上がる。


「ダメだ! 先生、目を覚ましてくれ!」


 根の中でもがきながら人狼が吠えた。


「……撃てまい。君があの夜、伯爵邸で引き金を引くことこそが僕の描いた筋書きだった。だが、君は撃たなかった。親切に背まで向けていたのに」

「違う、背を向けていたからだ。今回は違う。あの時、君を撃つ代わりに魔術師としての人生を私は撃ち殺した……」


 ナプティアは途中で言葉を切った。引き金の上でその指が震えていた。目に見えないなにかに必死に抗うように。


「私はそれを後悔すべきだ……そう分かっているのに……」


 苦しげにナプティアは首を振り口を噤んだ。


「ナプティア、君は僕を救った。それがどれだけの意味を持ったか、君には生涯分かるまい。願わくば、このまま友でいられたらと思っていたんだ、それが幻の中でも」


 探り当てた魔石がひび割れる。まるで時が巻き戻るかのようだった。かつての、陽の光すら恐れる必要のなかった頃の鼓動が、忘れていた自由が身体中を満たした。まるで、これまで長すぎる悪夢を見ていたかのようだ。或いは、窒息していることすら忘れてしまうほど息を止めていたかのようだった。触れれば蔦は容易く千切れ解けた。

 ナプティアに近付く。こちらを向く碧眼の奥に大呪木エントの気配を感じる。目を合わせるだけで十分だった。


「そろそろ彼を解放してもらおう」


 彼に巣食う魅了に干渉すれば、大呪木エントの芳香が弱まる。代わりに囁き声のような枝が擦れ合う音が答える。誘惑とも警告ともつかない。

 蔓のように絡まった精神干渉を解いていくと、辺りが明るくなった。いや、明るくなっただけではない。久しく放棄され、傷み、傾いた小屋は元に戻り、部屋の床には美しい絨毯が敷かれ、壁際には整然と薬瓶が並んでいた。

 ──幻視だ。大呪木エントの魅了にかかったものはこの光景を見せられるのだろう。小屋の中央のテーブルには、水瓶と葡萄酒が置かれ、その椅子にナプティアが腰掛け眠っていた。ようやく辿り着けたようだ。

 窓の外では満開に咲き誇る大呪木エントの大輪が揺れている。そんな中、彼は生気を吸い取られているわけでもなく、ただ眠っているだけのように見えた。


「ナプティア、起きろ」


 声をかけると、彼は辺りを見回した。


「……私は寝ていたのか? 長い夢を見ていた気がする」

「ひどい寝相だったが、生憎まだ夢の中だ。早くここから出よう」

「待って!」


 小屋の出口には見覚えのある樹人ドルイドが立っていた。その手には銀の指輪が光り、首から護符タリスマンを提げている。かつてここで薬屋を営み、大呪木エントの世話をしていた女主人だ。だが彼女は黒樹海に出たきり1年帰ってきていない。


「お願い、私を捜して!」

大呪木エント、これを見せているのは君だろう。彼女はもう死んでいる可能性が高い。黒樹海に出た記録と、彼女の所持品が無縁塚の露店に並んでいたことを考えると……」

「嘘よ! だって……だって、すぐに帰ってくるって言ったもの……」


 大樹が呻くように揺らいだ。同時に小屋と樹人ドルイドの幻視が一瞬ぼやける。小屋を出ようとすると、駆け寄ってきた彼女が胸の前で両手の指を組んだ。


「お願いだから行かないで! 1人は寂しいの」

「悪いが、堆肥にするには彼はまだ若すぎる。あと100年は待ってくれ」

「そんな……食べたりなんてしないわ。人を食べたことなんて一度もない。水をやり、枝を整えてくれるだけでいいの。ただ、そばにいてほしかった」


 その言葉の真偽は不明だ。もしかすると大呪木エントは嘘をついていないのかもしれない。実際彼女は死に瀕してなお、ナプティアや周りの植物から生気を奪わなかった。彼女の言葉が本心なのか、単に主菜として残していただけか、判別はつかないが、一つだけ明らかなことがある。


「君は彼に術をかけた。その後で共存を語るなど無理な話だ。たとえ食したことがなくとも、種として食せるならば、……一線は脆い」


 嗚咽とともに、彼女の護符タリスマンが光り幻視が消える。芳香が一段褪せ、小屋内の音が水底のように遠のく。次の瞬間暗くなり、代わりに目の前には荒れ果てた小屋が広がり、涙のような花弁が降った。ナプティアは力を失った大呪木エントを見上げてから、僕を見据えた。その目から大呪木エントの呪縛は消えていた。


「よりによって、君がそれを言うのか、フレレクス」

「失礼、君のセリフだ。君が言わないから代わりに言った」

「酷い脚本だ。やはり君には任せられない。大人しく登場人物に戻ってくれ」

「脚注に小さく名を書かれるのでは割に合わない」

「大きく書いてやる、献辞にだ」


 言葉を失った僕を置いて、ナプティアは人狼の方へ向かった。


「イブラヒム! 記憶が正しければ、君を2度も燃やした! 大丈夫か?」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とある植物薬学者の手記─元宮廷魔術師の亡命記録 春鳩うらら(訳) @hatourara370

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ