悲嘆虫、ぶんぶんぶん

脳幹 まこと

不適応、不適当、不適合


 俺の部署が俺ひとりになってから、およそ三週間が経過した。


 ぼんやりと椅子に座っていると、年を取った虫けらが一匹、近づいてきた。


「七瀬、AB物産の納品の件はどうなってるんだ?」


「聞いたことがありません」


「ん? 先月会議で話しあった内容のことだ。昨日、先方から催促がかかって」


「知りません」 


 すると、「ちょっと会議室こい」と虫けらが器用に些末な手を使って、俺の肩をがしりとつかむ。


 思いきり顔を潰したい欲求に必死に抗いながら、俺はずるずると引っ張られていく。


 まわりの虫どもがぶんぶんとざわつく。


 この一帯を燃やし尽くしたい。何で日本だとダメなんだろうな。


 そこからはよく覚えてない。机を拳で激しく叩いた音だけは印象に残っている。



 俺はイライラしている。それは周りのせいだ。周りが幸せそうにしてるのがムカつく。


 俺は真っ当な人間だから、幸せそのものを憎んじゃいない。ただ、虫けらどもが笑顔で話してたらムカついてたまらない。あんたらだってそう思うだろ?


 ベンチで腰掛けて食べるときに、蚊柱がぶんぶん舞ってたら嫌だろ?


 さっさと死なねえかなこいつらって思うだろ?


 ここ数年、ずっとこんな感じだった。そうすると人間の脳っていうのは神秘なもので、だんだんと本当にまわりが矮小なクソどもに見えてしまった。


 昔はへえこらしてたし、自分の方が生きるのも申し訳ない虫けらだと思っていたもんだが。


 だんだんわかってきたんだな。虫けらは死ね。死ね。死ね。って。


 そう思ううち、部署の連中が減っていったんだ。人間だと思ってた人たちがいなくなって、まわりはイライラさせるものばっかりになってしまった。


「風邪ですか?」


「いや、花粉症」


「この季節からもうですか!?」


「そ。マジで無理。きっつい」


「大変ですねえ」


「本当、みんなにも味わって欲しいよ」


 本当、みんなにも味わって欲しいね。

 虫がうるさくてかなわないんだ。


 俺はゆっくりと彼らに近づいていって、こう言った。


「だったら、死ねばいいんじゃないですかね」


 とっとと死ねよ、カス。



 耳栓をして帰ってみると一人。


 寂しくはなるが、物理的にうるさくないだけ、随分とマシだ。


 山積みの段ボールにカップ麵と天然水があるから、どこにも出かける必要はない。


 どこかに出かけたいのは山々だが、大小様々な虫を見せつけられるのはもっと嫌だ。集合体恐怖症になってしまう。


 リモートがいいと何百回打診しても、あの虫は許してくれなかった。サボるかららしい。多分脳が足りてないんだろう。


 クビにしてほしいな。クビ宣告されたら、多分そいつを殺せる。殺してから辞表を叩きつけてやる。


 テレビは見れない。どの局にも虫がうじゃうじゃいる。ネットも難しい。広告に虫がへばりついていると反射的にモニターを殴ってしまう。


 ちなみにアニメ絵だろうが関係ない。俺の脳は恐ろしい精度でヒトモドキを排除するのだ。


 どこかに人間はいないものか。


 腹が減ったので、カップ麵を取り出して、新品の天然水をかける。最初は油が浮いた水みたいな味であまり美味しくないが、底にいくにつれだんだん美味しくなる。


 俺の人生もこうあって欲しいもんだ。


 大気からの伝言が来た。「死ね。お前は死ぬべきだ。」


 うるせえな、お前が死ねよ。


 耳栓をしても、目をつぶっても、どうにも体内にスパイがいるみたいで、死ねを送りつけてくる。


 それよりも精神に響くのは、小さい虫けらどものあの笑い声だ。


 幼いころに施設に入っていた。たったそれだけの理由で俺は徹底的に打ちのめされた。


 幼稚園という施設でなく、また別の施設。


 あの虫けらどもにとって、俺の入っていた施設の方が「虫けら収容所」だと判断されていたらしい。

 

 虫を叩き潰す。あんたらだって、蚊やハエやゴキブリ相手にやったことがあるだろう。


 そうだ。俺はそれをやられた。「きゅうしょにあたった」だのなんだの面白がって。「タツオムシはたおれた!」だの面白がって。


 当時のあいつらの腹を蹴り飛ばす。そしてあいつらの首を思いきりかかとで踏みつける。


 死ね! クソ!


 抵抗しないってことは何をされてもいいってことだ。


 死ね! クソ! 死ね! 死ね!


 おまえとちがってガキじゃないから、おれら。


 どいつもこいつも虫けらが!!!!!


 壁から振動がする。


 全力でぶん殴り返すとおさまった。

 


 席がなくなっていた。


 仕方ないから隣のシマから取ろうとすると、虫がなんかさえずってきた。


 不思議と日本語っぽく聞こえる。


 虫にしか見えない。


 虫としか聞こえない。


「日本語で喋れやドブカス。それができないなら、さっさとくたばれ」


 虫が集まってくる。


 大したフェロモンだ。


 椅子を持ち上げて、それを投げつける。


 狙いが逸れて、隣の無実なデスクトップとコーヒーカップに思いきり当たる。


 なんかの印鑑がおされた予算書が虫の体液みたいな色に染まる。


 虫の大群が近づいてくる。


 そこらへんにあるものを手当たり次第に投げつける。


「人間なんだからよぉ!! 対話しろや!! 寄ってたかって、はずかしくないんか!!」


 そのうち、うちの会社じゃない連中が集まってきた。


 見慣れない青い羽根のチョウでも見つけた気分だ。


 少なくとも、ここにいるドブクソクサレゴミムシどもよりかはちょっとは綺麗だな。


 みとれているうち、あっさり地べたに顔を打ちつけることになった。


 あんたらもそうなんだろ? 俺が施設育ちだからって、馬鹿にしてんだろ?


 人間らしく諦めてやると、虫どもはとたんに騒ぎ出した。


 嫌になってくる。押さえられちゃ耳も塞げない。憤死寸前だ。


 背筋するみたいに顔を持ち上げてやると、ウィンドウに紛れもないカマキリがうつっていた。


 実に不愉快だったので、深く考えることもなしにその顔を潰してやった。


 ざまあみろ。

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