終③




 ––––おお、なんたる圧巻。

   この広さと、透明さと、明るさの純度よ。


 踏み出した世界には光が満ちていた。

 圧倒的な聖なる光が、この場所にはあった。

 胸には歓喜が高まっていた。私は心を躍らせながら、この聖なる場所の、中心部へと向かう為に足を前へと進ませた。



「そのまま、まっすぐ行けばいいからねー⭐️」



 後ろから声が聞こえてくる。

 私は振り返ることなく、手を振った。

 白服の二人組は私をここまで送ると、タナカさんがどうのとか言って、急いで次の仕事へ向かうようだった。男の方は一言、私に労いの言葉をかけると、すぐに忙しくスマホでどこかに連絡を取っていた。

 私は目の前の光景に圧倒されて、頭を真っ白しながら、よろめくように足を前へと進ませていた。ろくに挨拶も返さずに女の声を背にしていたのだった。



「おめでとーー⭐️」


 

 声が後ろで遠ざかってゆく。私は目の前にあるものに、ただただ驚いて目を離すことができなかった。胸には無上の歓喜が溢れて出て止まらなかった。振り返ることなどはできなかった。そして、一歩一歩と足を前へ歩ませるたびに、心の喜びはいっそう大きなものになっていった。


 ––––歓喜だ。私はよりそこへ、近づこうとしている。


 光の源の在る場所へ、急ぎたい衝動はあるのだけれど。だが、駆け出すことはせずにいた。どこからともなく辺りから讃美歌が聞こえてきており、その声と共にゆっくりと歩調を合わせて進みたかったからだ。



  主よ、みもとに近づかん

  のぼるみちは十字架に

  ありともなど悲しむべき

  主よ、みもとに近づかん‥‥



 歓喜の場へ進む私を、歌は労ってくれているかのようだった。歩むべき道を迷わぬように真っ直ぐに示して、励ましてくれているようだった。私の心は歌と共に喜びで満たされていった。



  さすらうまに 日は暮れ

  石のうえの かりねの

  夢もなお 天を望み

  主よ、みもとに近づかん‥‥


 

 気づけば私は、大いなる光に向かって歌を歌っていた。

 聞こえてくる声に合わせ、共に歌って、共に喜んでいた。

 そうして光に近づいてゆくにつれて、より魂は解き放たれていった。

 


  うつし世をば はなれて

  天がける日 きたらば

  いよよちかく みもとにゆき

  主のみかおを あおぎみん‥‥



          ⚪︎



 遠くに白い服を着た大勢の人々がいた。

 私はついに辿り着いたのだろう。

 遠目で彼らを見る。表情は分からないが、彼らは私の到着を心から喜んでくれているようだった。

 生前は家族と僅かな友人関係以外では、一人でいることが常な私だったが、なんとなく確信があった。この場所では––––神の愛の光が溢れるこの国では––––孤独はないのだと。

 なぜなら彼らにとっての私は、かけがえのない友であるに違いないからだ。そして私もきっと、彼らをかけがえのない友として愛しているのだと分かったからだ。


 私は喜び、旧来の友に出会った時のように、心から安堵の表情をした。右手を上げて彼らの歓迎に応えようとした。

 すると、その時、その上げようとした右腕に腕を絡めてくる者がいた。

 女性のようだった。すぐに先ほど別れたばかりの白スーツの女を思い浮かべて、「なんだ、まだ信用なんらんのか。もうどこにも行かんよ。ありがとう」と言おう思い、彼女の方を見た。


 

 ––––スズメ‥‥‥?



 私の横に並び立って導くように進んでくれているのは、娘‥‥。

 ‥‥‥‥いや、そうか。

 彼女が誰だか分かると、私は涙を流しそうになっていた。



 (ずっと知ってたわ。あなたが素敵な人だって)



 私の顔を見て、妻が微笑んで言う。

 途端に目には涙が溢れていた。

 妻がいる。失われたはずの妻が生前以上の美しい姿で隣で笑っている。

 いったいどうしてなのだろうか。ここでは魂の姿が可視化されているのかもしれない。

 だとすれば私を見つめる妻に、私はどのように映っているのだろうか。

 いや、そんなことよりも––––––


 ––––お前がいなくなって寂しかったよ。

   ずっとずっと、お前のお喋りが聞きたかった。

   会いたかった。

   ‥‥私はお前に会いたかったんだ。


 心にとめどなく言葉が溢れてくる。

 溢れすぎて言葉が渋滞して詰まってしまう。


 ‥‥ああ、何を話そうか。何から話せばいいのか。

 私は妻に、ここに至るまでの冒険譚や苦労話を話したかった。妻に先立たれた後、いつかここにきた時に話せたらいいなと思い、ためにためた時事ネタや笑い話などをまとめて話してしまおうか。はたまた、地上でいつもそうしていたように、今日は釣りでどんな釣果を得てきたかなどの自慢話がいいかもしれない。


 ––––‥‥そうだ。私はお前とずっと話したかったんだ。


 スズメのこと。ジローくんや孫たちのこと。人生の晩年で二人で楽しみたかったこと。

 そして何より、お前がいなくなってどれだけ寂しかったのか。どれだけ悲しかったのか。私がお前をどんなに愛していたのかを。


 ––––‥‥‥‥お前に聞いてほしいことがたくさんあるんだよ。


 すると妻は私の手を優しく握って、『分かった』と言って微笑んでくれた。

 それは不思議な言葉によってだった。いま話された妻の声は口から発せられていない。その無声の言葉は、先ほどの『分かった』というたった一言の中に、喜びや親しみ、妻の私に対する深い愛情を集約させて伝えてきた。


 これはテレパシーのようなものなのだろうか? 

 私は発声を要する言葉を普段使いしないので、すぐにこの仕組みを理解できた。

 恐らくこの場所では、思うだけで思考のすべてを隠すことなく伝えられるということなのだろう。


 妻は笑顔で私を見つめてくる。

 心にある思いが。感情が。愛が。言葉にせずとも色彩豊かに伝わってくるようだった。 


 だとすると、


 私も笑顔になる。

 ははは。こっちではお前よりも私の方がお喋りになってしまうかもしれないな。



          ⚪︎



 妻が少し手前の足下を指さすと、小窓のようなものが開き、そこから馴染みのある幼い声が聞こえてくる。どうやらその小窓からは地上を覗き見ることできるようだった。

  

「アアーン。ジジい、うんこー!」

「うんこさせろーー! アーン!」

「ジジい。ここでもらすぞーー!」


 ヤレヤレ、あやつらは、まだ言っとるのか。

 地上では私の葬儀がつつがなく行われているようだった。先ほど聞こえてきた讃美歌はそこで歌われていたものだったらしい。

 孫たちが開かれた私の棺桶の前でワンワンと泣いている。

 そして、


 ––––なんだ。しっかり泣いておるではないか。


 娘も負けずとワンワン泣いている。

 ジローくんに支えられて娘は「お父さん、やーだ、やーだ」と言いながら子供のように泣いている。


 ––––‥‥ああそうか。‥‥‥お前はそうだったのか。


 この場所では親不孝であったはずの娘のありのままの思いが、ひしひしと伝わってくる。

 深い悲しみと、それから娘の強い愛情が、今の私には分かるのだ。

  

 ––––‥‥‥‥ありがとう。スズメ。

 

 私の為に泣いてくれる娘の姿を見つめて、私は心からそう思った。

 妻は私のその様子を見て、私の手を優しく握って微笑んでくる。

 

 ––––ああ分かってるよ。あいつは確かに私たちの自慢の娘だ。


 そう言って、私も妻に微笑み返した。



          ⚪︎



 ここに至るまで、随分と紆余曲折があった。

 臨終の時の顛末から、泣かねば呪うとまで言いながら死んで、それから黒服の二人組に会い、楽しく釣りをやり、チンピラに絡まれ、なんやかんやのトラブルに巻き込まれてしまった。おかげで娘に祝福を残そうとした時からは、だいぶ時間が経ってしまったような気がする。

 それでは再び、この長い死出の旅路に至る前に願おうとした祈りのやり直しをしようと思う。あの子の父親として、私は最後の仕事をすることにした。


 妻の手を優しく握り、もう片方の手を天に上げる。

 私たち夫婦は力を合わせて、慈しみ深い神に向かって、娘のために祝福を祈るのだった。



          ⚪︎



 『うみねこお父さんの祝福の祈り』



  God Bless You


  神の恵みが、娘よ

  お前の上に注がれますように

 

  お前の心身とすべての営みが守り支えられ

  いつも喜びにあふれ 

  何をするにも 何を思うにしても

  神がお前と共におられますように


  お前がこれから苦しみにある時も 悲しみにある時にも

  この祈りが

  私の代わりとなって、どうかお前を守りますように


  慈しみ深い方が家族の明かりとなり

  その臨在なる愛の中で

  お前たちがいつまでも仲睦まじく暮らせますように



  娘よ

  健康で、長寿であってくれ

  ここで私たちと再会するその日まで

  ただただ幸せであってくれ


  それがお前が私たちにできる最高の孝行なのだから


  どうか神の祝福が

  お前に永遠にありますように

  

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うみねこお父さんの受難 ノウセ @nou777

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