第2話

 空が白み始める頃になって、ようやく眠りに落ちた俺は、当然まともな時間に起きれるはずもなく、夢とも現ともつかない微睡の中をただ彷徨っていた。結局俺は、アニマを目の前にして何を言うのだろうか。

「カラさん」

 少女の声、誰だ、この家に女なんて…。

「いたわ!!」

 瞬時に目が覚める。俺はいつの間にかかけられていた上掛けをはがした。

 少女、サラは昨日とは違う服だったが、同じく深いフードをかぶっていた。まだ病院は開いていないが、アニマさんに会うことはできるので、なるべく人のいないうちに行きたいそうだ。いつまでも起きない俺にしびれを切らして声をかけたらしい。朝食をとっている時間も惜しい、俺たちはすぐにクローン場を出た。

「ほい詫び」

 そう言って露店で買った焼き芋を横を歩く彼女に手渡す。彼女は両手で包み込むように受け取ってからその熱さに驚き、指先で躍らせた。

「朝飯これでいい?」

 俺はそのまま食べながら歩いていたのだが返答がない。横を見ると彼女の姿がなくなっていた。首筋から冷や汗が出る。攫われたりしたら…。

「ダメかもしれないです…」

 後ろを振り返ると彼女は立ち尽くしていた。地面に落ちた焼き芋を見て。

 俺は安堵からため息をついた。そして彼女のもとに駆け寄る。

「俺のやるから」

 俺は食べかけの芋を彼女に渡した。

「…ありがとうございます」

 彼女は遠慮がちに受け取り、食べ始めた。そして俺が歩き始めると、せわしなく足を動かす。そんなに動いたら落とすのも当たり前だろ、と笑おうとした時、気がついた。こいつ俺より30センチぐらい小さいんだ。それは速く足を動かすしかない。落とすべきは俺の歩くスピードだったと反省した。

 俺はゆっくりと、一歩一歩を踏み出すように心がける。

「すまん、どのくらいの速さで歩いていいのか分からない」

 ゆっくりすぎても今度は彼女が合わせることになるというわけの分からないことになってしまうなと、彼女の方を見ながら慎重に歩いてみたが、思いのほか難しい。転びそうだ。

「えっと…じゃあ、手、繋ぎますか?」

 彼女は両手で持っていた芋を左手に移し、右手をこちらにむけた。俺はその手を軽く握った、子どもの手だ。

 俺たちは手を繋ぎながら、スラム街を進んだ。

「昨日言いましたが、アニマさんはコールドスリープ状態で、意識はありません。眠ってると思っていただいていいです」

 彼女は芋を食べ終わり話し始めた。

「それは、いつか起きはするんだよな?」

「はい。起こすこと自体はいつでもできます。ただ、肺の治療は出来ていない状態なので、今起こしても同じ状態となります」

 同じ状態。

 かなり歩いてきた、周りはもうスラムではない。俺はアニマを抱きかかえてちょうどこの辺りを走っていたことを思い出す。二度とあんな思いをアニマにはさせたくないし、何より俺が見たくなかった。

「人工臓器のストックがまたくればいいってことだな?」

 それなら待てばいいのだ。金はある。彼女はしばらく沈黙した。

「…。そうもいかないんです。コールドスリープ状態から起こすことは非常に細胞に負担をかけます。人工臓器をそこに入れるとなると上手く適応するかはかなり厳しいものになります。だから、すごく、腕のいい外科医にやってもらうか、人工ではない臓器を使うか、になると思います」

 腕のいい外科医というものがどの程度からになるのかは分からないが、とにかくあの病院にいる医者の技術でも無理ということだろう。人工ではない臓器の方は、この31世紀では闇ルートで手に入れるしかない。さらにそんなちょうどよく体に合うドナーなんて見つからないのだ、それで人工臓器の技術が発達したわけなのだから。つまりどちらもかなり厳しい条件だ。

「アニマは、生きてる」

 今は、それだけで十分だ。いや、十分すぎる。

「私は色々な手術を繰り返していたので、父が、どうしようもならなくなった時の、最後の手段としてコールドスリープ保険に入っていたんです」

 路面電車がやってきたので飛び乗ろうとしたが、サラがいることを思い出してやめた。遠い昔に立った一段上がったコンクリートから正しい方法で電車に乗る。しまった、現金は使えないようになっているらしい、路線が中心地まで延びているから当たり前か。俺がおどおどしていると、サラが改札機に手首をかざした。彼女の手首の内側には、電子決済コードが彫られていた。彼女は握っている俺の手首をひねり、ちらと見て、もう一度かざした。二人分払ったということだろうか。俺は少し情けない気持ちになりながら路面電車に乗った。

 車内を見たのは何年ぶりだろうか、両端に置かれた長椅子はクッション素材で覆われており、座り心地が良さそうだ。乗客は時間帯や、路線のせいか老人がちらほらといるだけだ。俺たちは横並びに座った。

「君の事情は分かった、でもアニマがなぜコールドスリープの処置を受けられているのかが分からない」

 日光が窓から斜めに差し込み、肩のあたりが少し熱い。反対側に座れば良かったかと思ったが、それはそれで今度は眩しかっただろう。

「その保険を、私が無理矢理アニマさんに受けさせました」

「そんなことができるのか?」

 俺は全く詳しくないがかなり無理なことをしていることは分かる。

「父は肺を買った時、待っていた人間がいることを知っていました。なのに金にものを言わせて横取りしたんです。私は何も知らずに手術を受けました。そして朝、目を覚ますと、ちょうどその人の治療が終わる、諦められる頃でした。院内の、奇妙な空気を感じ取った私は、父に問いただしました。そこで私はその人、アニマさんのことを知りました」

 サラは肩を震わせている。怒っているんだ。

「私は、怒り、医師を呼び出し、自分のコールドスリープ保険をアニマさんに適用させるように言いました。無理だと言われましたが、その場で自分の口座から400万チェンを出し、黙らせました」

 小さく柔らかい手に似合わない強気な行動だ。

「私なんかのせいで、誰かが死ぬなんて、絶対やなんです。そして、娘の命のために周りのことなんて見えなくなる父なんて、大っ嫌いです」

 それが、家出の理由か。

 でも、俺は彼女の父、ラブサと同じだ。

 俺は過去を変えようとした。運命を壊す、そう言いつつも、頭の片隅ではしっかりと、対称性の破れという単語が響いていた。

 それでもいいと思ってしまったんだ。アニマを生き返らせられるなら、どんな代償を払ってもいいと。どこにしわ寄せがいってもいいと。ほんの、一瞬、ラブサへの説得をやめようかとも、思った。

 最終的に、この現在を俺が選べたのだって、周りを思ってのことじゃない。ただ自分のことだけを考えて、アニマと過ごした19年間をなかったことにしたくなかっただけだ。

「なんかって言うなよ」

 その『なんか』のために、人として、間違った道を選ぶやつだっている。それはお前たちの責任でもなんでもない。ただ、そんな風に自分を雑に扱うのは、無性に腹が立つ。

 彼らをそんな風に思わせてしまう、挙げ句に腹が立ってしまう、自分に腹が立つ。


 沈黙に包まれたまま路面電車は止まった、しばらく歩くとそこには一週間ぶりとなる病院があった。あの時はアニマの顔しか見ていなかったが、少し余裕のある今だとその無機質さがよく分かる。裏口のような場所から入った。無機質な廊下は、今でも一歩踏み出すたびに気持ちが悪くなる。

 手を握る力が、少し強まってしまった。サラは無言できゅっと握り返した。

 彼女はこの前とはまた別の、受付のような場所にいた男に一言二言言うとその男からカードを手渡された。そして廊下の一番奥にある、冷たさという熱を持った金属製の扉にそのカードをかざすと、その金属は水平に動き、両サイドにある戸袋に仕舞われていく。目の前に、少し見上げるような大きさの物体。


 アニマは、眠っていた。

 上下に様々な機械がついた、ガラス張りの容器の中で、管に繋がれてその体を少し丸めている。大きな瓶詰のようだ。

「アニマ」

 俺は左手はサラの右手と繋がったまま、右手でガラスに触れた。冷たいその曇りを拭うと、アニマの体がより鮮明に映し出される。アニマは薄い上下に繋がった肌着を一枚つけている程度で、寒くはないのかという馬鹿な心配をしてしまう。

「これは、なんだ」

 アニマの腕に痛々しい掻きむしった跡があった。そういえば前に虫に刺されたような話をしていたような気がするが、明らかに虫ではないし、ひどくなっている。

「これはたぶん、粗悪な薬の副作用だと思います。衝動的に、何かを傷つけたくなるんです。でも…アニマさんはすごいですね、その衝動を、他に向かわせることを抑えた…。自傷を、ギリギリまで、選んだんですね」

 最後の会話がフラッシュバックした。あの時も、薬の副作用で、あんな物言いになったんじゃないか。

 なんで、もっと俺にぶつけなかった、なんでもっと俺を傷つけなかった。

 俺は、まともだったのに。

 俺は、気がつけなかった。

「ふざけん…な、よ」

 自分を、傷つけて、溜め込んで、あんな手紙残して。

 お前を、傷つけて、ぶつけて、勝手に選んで。

 ガラスに、右手の、5本の線が引かれていく。アニマの体が、上から順々と、映し出されていく。

 左手に、確かな力を感じた。サラが手を握ってくれている。俺は折った膝を伸ばした。

「お前に話さなくちゃいけないことでいっぱいだよ…たぶんお前もだろ」

 アニマは、生きているんだから。

「起きたら喧嘩な」

 俺は拳をアニマにつきつけた。周辺のガラスに熱が帯びる。

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