Violation2
荒木明 アラキアキラ
腹の中
第1話
サラ。
この国の経済で、大きな影響力を持つマリーングループの会長、ラブサの娘。
そして、俺の改変によって、生きている少女。
「アニマの話って、なんだ?」
俺は自分の拳を握りしめた、爪が生命線に食い込む。彼女はラブサに似て目鼻立ちのハッキリした顔だ。しかしその眉毛はラブサと違い八の字になっている。それは不安や緊張、これから伝えることの悲しみによるものなのか、それともただの癖なのか。背丈の割には落ち着きすぎているその出立から、これ以上のことは上手く読み取れない。
「アニマさんは、生きています」
彼女は、確かに、そう言った。
アニマが、生きている?
「アニマさんは、生きています」
彼女はもう一度、その言葉を繰り返した。
『アニマ』と『生きている』という単語が結びつかない。
そんな都合の良いこと起きてもいいのか?
「コールドスリープ、人口冬眠状態で、保存されています」
コールドスリープ…。昔、先生から聞かされたことがある気がする。またいつもの雑学かとあまり聞いていなかった。中心地は色々な技術が残っているそうだし、これは信じられそうじゃないか?
それともこの状況自体が、俺の脳が記憶の断片を繋ぎ合わせて作った、現実逃避、夢なのか?
「カラさん!?」
俺は自分の頬をつねった。
「痛い…」
アニマの弱々しい指に、つねられた時よりも、とっぽど。
夢ではない。
夢じゃないんだ。
「カラさんっ!?」
全身の力が抜ける、扉のざらついた表面に手を滑らせて、そのまましゃがみこんだ。大きく、ここしばらくまともに出来ていなかった呼吸をする。
前を向いた時、彼女の細く白い足越しに、あるものを見つけて、安心するのはまだ早いということを思い出す。
「ちょっと気ぃ抜けた」
俺は頭をふるふるとふって、起き上がった。伸びてしまった前髪が邪魔だ。
「俺はアニマと会えるのか?」
俺はまず、一番大切な質問をした。
「はい、私と一緒なら大丈夫なはずです」
なぜ彼女が一緒じゃないとダメなんだ?
そもそも彼女がなぜアニマがコールドスリープしたことを知っている?
というかコールドスリープに関して俺は何も改変していない。
疑問は尽きないが、次に大切な質問はこれだ。
「サラ、その荷物はなんだ?」
サラの後ろには大きなキャリーケースがあった。彼女は口に指の関節を当てて、視線をずらした。その仕草で、嫌な予感が的中したことが分かる。
「私、家出してきちゃったんです」
サラ。家出したご令嬢。
「早く入れよ」
俺はサラの後ろに手を伸ばし、キャリーケースを転がして、家に入れた。
「…いいんですか?」
俺の中に、ひどく気持ち悪い俺がいた。彼女を、生かしたことを、後悔している俺がいた。
「いらっしゃいサラ」
彼女は、そんな俺の心の機微を見透かしたのか、複雑な何かを飲み込んで、笑った。
その細く白い体も、何かを飲み込むところも、どこかアニマに似ている。
「お邪魔します」
空っぽの部屋に、変わった客が訪れた。
何はともかく、飯だ。俺は台所に立った。所在なしと言ったように、当たりを見回しているサラに声をかける。
「お前何が食べたい?」
アニマのベッドに近づこうとしていたサラが、ビクッとこちらを振り向く。別に見られて困るものではないが、血だまりを見たい人間なんていないだろう。
「え、そんな申し訳な…」
サラの遠慮はサラの腹の音によってかき消された。
「19:00か…」
彼女は赤くなるでもなくそう呟いた。時計を確認すると確かに19:00ちょうどだ。
「なんだ、お前の腹時計は数秒の誤差もないのか」
そう笑いながら、食材を確認する。瓜しかない。
「瓜の丸焼き、茹で、生。どれがいい?」
彼女は人生で一度も聞いたことがないであろう地獄のラインナップに、しばらく固まった。そして考える時の癖なのか、また指の関節を口に当てた。
一分間の熟考の末、彼女は一人こくりと頷いた。肩ほどまでに下した髪がその動きに合わせてサラサラと動く。
「丸焼きを食べてみたいです」
俺は彼女に床に座っていてくれといい、料理を始めた。彼女がいつまでいるつもりなのかは分からないが、いい加減にちゃぶ台ぐらいは買いなおすべきなのかもしれない。
丸焼き、といってもただ焼くわけではないのだ。まぁ瓜はただ焼くだけなのだが、そこにタレをつける。肉を食べる時は、肉汁の一滴すらも無駄にしたくなかった。だから鍋の底に浅く溜まった肉汁をずっと瓶につめて保存して、それを野菜を炒めたときに出る水分と混ぜてきた。そこらへんの草、アニマがハーブとかなんとか言っていたものを入れている。黒に近い緑の液体。これがうちの秘伝のタレ。
「これ大丈夫なんですか?」
「大丈夫だと思えば大丈夫なんだよ」
そういうものですか、と言いたげな様子で、彼女は瓜をつついた。彼女の表情は歳にしては乏しいだけで、読み取ろうと思えば読み取れるものもあると、少しづつ分かってきた。
俺は彼女の向かいにあぐらをかき、タレをかけた瓜をばくりといった。鼻腔はタレの濃い匂いで満たされる。ただ、その奥には血の匂いが染みついている。アニマが生きているということを知ってもそれは変わらない。俺の選択がなくなることはないのだ。それでも、この瓜は、美味しい。俺は頬をほころばせる。
それを見た彼女は、意を決したのか、俺と同じように大口を開けてかぶりついた。
「美味しい…かもしれない」
「かもじゃなくて美味しいだろ」
彼女は笑った。そして泣きながら残った半分も腹の中に入れていった。
「なんで泣いてんだよ…」
食べ終わった皿に箸を置くと、さらに涙がこぼれた。彼女は一生懸命に手で拭っている。
「くだらない、本当にくだらない理由です」
彼女は少ししゃくりあげそうになりながら言った。
「誰かと一緒にご飯を食べると美味しいなって」
視界の端に、アニマのベッドが映った。
『カラ、俺には飯を作る才能がないみたいだ』
そう言って、包丁を持ったまま近づいてくるアニマ。俺は彼が何かをやってしまう前にその包丁を取り上げて、素早く野菜を切っていった。
『カラは雑なのに器用だな』
『雑っていうな』
アニマは笑った。よく分からない、ごちゃ混ぜの野菜スープを、絶品だと褒めちぎって。
「そうだよなぁ」
彼女の泣き声を聞きながら、俺は残りを食べた。
俺は皿を回収し、シンクで洗う。冷たい水が手に刺さる。
皿を洗い、拭き、仕舞い、ついでに歯も磨き、飯を食べていたところに戻ると、サラが正座して待っていた。頬にもう涙はつたっていない。
「すまん」
要領よくやったとは思うが、正座で待つには辛かっただろう。何よりじっとその目で待たれていると居心地が悪い。俺は頭を下げた。やっぱり前髪が邪魔だ。
「いえ、待っていたのは私なので。
あの、布団はどこに敷けばいいですか?」
サラは正座している彼女と同じぐらいの大きさのキャリーケースに手を置いた。
「あー、布団、そんなんあったな」
俺は後頭部で短く結ってある髪をいじった。やはりこちらも伸びている。
「布団、ないんですか?」
「床でいいかなって」
彼女は信じられない、というように目を丸くしたが、すぐに部屋を見渡し、その空っぽ具合に、指の関節を唇に当てた。
気まずくなられても嫌なので、俺はさも当たり前のように、一つついた電気を消して床に横になる。横ではごそごそと音がしていた。寝返りをうち、彼女の方を半目で見ると、暗闇の中スーツケースを開けて、きちんと折りたたまれて小さくなった布団を広げていた。電気を消すには少し早かったかもしれない。
「あの、布団、使いますか」
サラが尋ねてきた。寝たふりをしていたつもりだったが、バレてしまったらしい。
「いいよ」
俺は断り、暗闇の中で彼女が布団に入る音を聞いた。その後何度か寝返りをうつ音、おそらく眠れないのだろう。俺も同じだ、この質問をするまでは眠れそうにない。
「俺はいつアニマに会える?」
「あ…言い忘れてました。明日、会いに行きましょう」
俺は、お前になんて、言えばいいんだろう。いや、なんて言いたいんだろう。
それを考えると、結局俺は朝まで寝返りをうつしかなかった。
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