改稿後

 全体的に灰色を占めている視界は心なしかいつもより色が薄い。それはこれから行う実習のせいなのかはたまた私たちが灰色の実習服を着ているからなのか。

 来る学校を間違えた。それがこの、県立川品農業高校で二年の冬まで過ごした感想で、それ以上の言葉は出そうもない。農業高校だなんて来るんじゃなかった、間違ってた。くそ、なにが農業だ、なにが勉強あんまりしなくてもいいだ。ふざけんな。勉強の代わりに週に二回合計四時間も灼熱の太陽の中、鍬を振り下ろす生活になると思ってなかったし、夏休み中に実習と称して半日草むしりをするとは思ってなかった。人件費無視の驚くほど安い野菜を買えることくらいしかこの学校にいいところはないんじゃないか。いや、絶対にない。あるわけがない。あってたまるか。このブラック高校め。

 私たちがいるのは鶏舎の向かいにある作業場。面倒なので鶏舎と名称がひとまとめにされているここは通常、鶏なんて一羽もおらず、壁際にある流しに水道、ガスコンロ、中心にある鉄製の机、地面に転がっているホース、打ちっぱなしのコンクリートが目立つ、無駄なものが一切ない場所。まさに作業場という無骨な風合いの言葉が似合う場所は私が二年生になってから頻繁に出入りするようになった。簡単な調理をするときや、雑務がほとんどだが。

 しかし今日はいつもより空気が重い。机の上には汚れないようにビニールが敷かれており、その上にはまな板と使い込まれた牛刀がある。そのせいだろう。机を囲む形で私含め十人の生徒が似たような感覚を共有しているはずだ。

「いやーね、私もこの授業の前は嫌でね。いい気はしないもんですよ」

 コケ、コケ、コケコッコーと元気な鶏の声とともに、にこやかに五十代の男の先生が視線の先で笑っている。服装は私たちが着ている灰色の実習服と大差ないツナギだ。せいぜい布製のベルトがあるかないかだろうか。

 先生の後ろには檻の中につめられた二十数羽の廃鶏、アローカナ。幸せの青い卵を産むらしいが、私からしたらなにが違うのか全く分からない。鶏舎にはボリスブラウンとアローカナの二種類がいるが、ボリスブラウンは赤玉、アローカナは青玉と言い分けている。けれど、正直赤玉と白玉でもいい気がする。青要素がほとんどない。言われてみれば確かに青いかもしれないが、ほとんど変わらない。それに高校がしている鶏の飼育方法の性質上、卵にうんこがつくこともあるせいで幸せとも程遠い。なによりくさいし。夏場の鶏舎はマスクを貫通するほどの悪臭なのだ。水分を多く含んだうんこはぱっと見る限りではカレーと変わらない。実習終わりに学校近くのカレーハウスに行った同級生がいたが、たぶんそいつの神経はいかれてる。

「今からね、屠殺をします。簡単に言えばこの鶏を殺します。はい」

 そんな軽いノリで言うもんじゃないだろ。

 たぶん、その場にいる全員が同じことを思ったと思う。さすがにそんな言葉で、じゃあ殺します、だなんて。

「えーやば」

 背後から女子の声が聞こえる。中身のないその言葉が私たち全員分の心境を代弁していた。

「今から見本見せるからね」

 そう言って先生は檻の中から一羽のアローカナを捕まえる。鶏を捕まえるときは大抵足をつかむ。そのほうが捕まえやすいし、捕まえる際、無理に翼や胸あたりをつかむと鶏にも私たちにもいいことはない。

 助手としてもう一人女の先生が牛刀を持って鶏に近づく。鶏は死期を悟っているかのようにぱたぱたと翼を暴れさせている。年老いたせいで抜け羽の目立つ体は妙に痛々しい。しかし、激しく動く鶏からは生のエネルギーを感じるせいで、今から殺されるのだという感覚がうまく受け取れない、

 男の先生は鶏が逃げないように体を手のひらで包むように捕まえ、女の先生が頭を鷲掴みにする。空中で完全に身動きの取れなくなった鶏はなおも抵抗するように鳴き声を上げている。物のように扱われる鶏は可哀想に思えたが、それ以外の方法は少なくとも用意されていない。

 女の先生が牛刀を鶏に宛がう。

「鶏を持つ人は逃げないようにしっかり体を抑えてね。牛刀を持ってる人はそんな緊張せずにね、この赤いところ、分かるかな。ざらざらしてるところ。ここのすこし下を切ります。ここにはね、頸動脈が通ってるので一番鶏が苦しまない殺し方になってます。むしろ可哀想だと思って何回もやるほうが可哀想だからね。痛いから」

 男の先生が説明を続けながら、女の先生が牛刀で鶏の頸動脈を切った。その瞬間、部屋の後ろのほうにいた生徒から悲鳴が上がった。それと同時に鶏も悲鳴を上げ、血を地面に落とす。

「はい、切ったらこの鶏を放血台に入れて、完全に死ぬまで待ちます」

 男の先生が鶏をステンレス製の放血台に入れる。頭から入れられた鶏は血を出し続け、そのまま死ぬらしい。今は出血性ショックで意識が無くなっている状態、ということだろう。まだ死んではいない。

「はい、じゃあやってみよっか。大丈夫、一瞬だから」

 一瞬だからといって大丈夫なわけない。へんに自分の筋肉が動いたのがわかった。本能的な不快感に近い。

 ペアを組み、どちらが先に殺すかを決める。ペアの子は血を見たからか顔が青い。普通に生きていれば見ることのない血の量に驚いているのだろう。もしかしたら私も似たようなものかもしれない。

 さすがにそんな表情をしている人に先に殺して、と言えるわけもなく私が先に殺すことになった。

 私が手袋をしている最中に、ペアの子が多少手間取りながらも一羽、鶏を捕まえる。バタつく翼を抑え、顔をこちらに差し出す。鶏は逃げようと必死に体を動かしているが、声はあげていない。逃げることに必死なのだろう。

 いつも実習のときに見ていたトサカに、小さい目、くちばし。私はそれを直接見ないように、それらを手で覆うように首を固定した。暴れられると鶏も苦しむ時間が長くなるし、こちらも牛刀を持っているのでけがをするかもしれない。

 手袋越しに感じる体温は人間よりも幾分か高い。動物の温度だ。そんな当たり前のことを感じて、牛刀を当てる。

「一発でやるようにね」

 先生の一言が耳に刺さる。指先の感覚はいつの間にかなくなった。

「えーやばいんだけど」

 口から感情を誤魔化すように言葉を発する。ペアの子も同じなのか「まじそれな」と笑っている。手袋のせいか、いつも以上に汗で湿っている手のひらに力を入れて、牛刀を落とさないようにする。気を抜けば落としそうだった。

 息を整える。殺さなきゃいけないのだ。殺さなきゃ、いけない。

 それだけ、考えた。

 滑るように牛刀が動いて、鶏の首から血が落ちる。血は地面で跳ねてズボンの裾についた。鮮血ではなく、少し黒の混じった血だ。

 なにも考えずにそれを放血台の中に入れて、牛刀を机の上に置きにいく。それだけだったが、週に二回合計四時間も灼熱の太陽の中、鍬を振り下ろすよりも、半日草むしりするよりもひどく体力を消耗したように思えた。


 全員が鶏を殺したあと、寸胴のなかに湯を満たす。六十五度あたりに調節された湯は鶏が羽を抜けやすくするための準備らしく、鶏が茹で上がらないぎりぎりの温度を目指しているらしい。

 何分か湯に浸したあと、鶏を取り出し、脱羽機と呼ばれる機械に入れる。脱羽機はその名の通り羽を抜く機械で、ぐるぐると洗濯機のように機械のなかで鶏が回っている。その機械から出るころには、生きていたころの面影はなく、ただの肉の塊としか認識できなくなる。

 脱羽機から出た鶏を私たちが触るころには、はじめに満たしていた重い雰囲気もなくなり、いつもと同じようになっていた。

 そこからは無我夢中だった。

 水で冷やし、鶏の頭を切り落としたあと、総排泄腔を数センチ切り広げ、手を突っ込む。鶏のなかは生きていたからか、それとも湯のなかにいたからからなのか、言いようのない不快感のある温度だった。生肉の匂いも強烈で鼻に引っかかる。生き物の匂いだった。生き物であることを目の前の塊が主張していた。

「えーきもちわる」

 誰かが声を発した。それに先生は苦笑いを返し、授業を進める。

 いつもと同じだった。なにもかもが。

 鶏のなかから、臓器を取り出す。砂肝にレバー、ハツ、肺を取り出す。鶏のなかを確認しながら取り出すことはできないため、ここからは手袋越しの感覚頼りだった。

 次に気道と食道、そのうを引っ張り出す。これが難しく、細いからかそもそも薄くできているからなのか、うまく引っ張ることができず千切れるのだ。力任せではなく、かといって弱すぎない、微妙な力で引っ張り出すと、やっと丸鶏と呼ばれるものになる。

 丸鶏は腐らないように業務用の冷蔵庫に入れて、授業は終わった。最後に可食部位であるハツとレバー、砂肝を全員で分け、解散した。

 教室まで向かう道では、先ほどまで一緒に実習をしていたメンバーが楽しそうに「私、鶏皮が一番好き」だとか「レバー嫌いなんだよねー」とか思い思いの会話を楽しんでいる。そのせいで、今日の実習がすべて夢だったのではないかと思えてしまうほどだった。それくらい、一瞬で、忙しくて、あっけなかった。

 はっと息を吐く。程よく倦怠感の残った体の緊張がほぐれたのがわかった。思考がふわりと浮くような感覚に陥る。

 ビニール袋に纏められたレバーとハツ、砂肝をぼんやりと見つめる。新鮮なそれはいつも見る肉となんら変わりなかった。調理すればおいしくなるはずだ。そこまで考えて、鶏の体内で感じた温かさを思い出した。

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命の扱い 宵町いつか @itsuka6012

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