※詳細は近日公開予定の近況ノートで。
「好きだっ!」
秋の入り口、夏の気配がまだ蒸し暑さを残す放課後の部室に、俺の声が響いた。
空気が一瞬、しんと静まり返る。
部室の隅では窓が開け放たれていて、遠くで蝉の声が名残惜しげに鳴いていた。
今のは――けっこう悪くなかったと思うけどな。
そう思い、ちら、と目の前の相手を窺う。
正面に立つのは、同じ演劇部であり、幼稚園からの幼馴染でもある渡邉《わたなべ》ももか。
明るめの髪をツインテールに結び、制服のスカートから、すらりとした綺麗な脚を惜しげもなく覗かせている。
華奢な体つきで、もう片方の手で胸元を軽く抱えていたが、押し上げるようなナニはない。
ももかは、少し目を逸らしたあと、ちらと俺を見る。
「……ごめん、あんまり響かなかったかも」
「そっか……だよな」
きっぱりと言い切られ、ガクッと項垂れる。
そりゃそうだ。
だって俺、誰かを本気で好きになったことなんか、これまで一度だってないんだから……。
「はいカットぉ」
静寂を破るように部室の端から、眼鏡をかけた女子が歩み寄ってくる。
演劇部の部長・木崎《きざき》女史だ。
彼女の表情には、なんとも言えない苦笑が浮かんでいた。
「やっぱ俺には難しいかもです」
「まあまあ、そう落ち込まないで。初めは誰だって、そんなもんだしさ」
そう言って、ぽん、と優しく肩を叩かれる。
やわらかな笑顔を浮かべる木崎部長は、基本的に優しい人だ。腐女子なだけで。
「ただ、皆瀬くんって、いつも演技がピカイチだから。ちょっと期待してたんだけどな〜」
「……すみません。思った以上に難しかったっつうか。そもそもシンデレラにこんなシーンありませんし」
「それはそうなんだけど、ユッコの脚本はいつも好評だし。実際、原作のまま大会を勝ち抜くのも今どき難しいからさ。皆瀬《みなせ》くんもわかってるでしょ?」
「……はい、それは……わかってます」
ユッコこと――脚本担当の猪俣裕子《いのまたゆうこ》さんは今日は不在。
彼女の書いた台本に沿って演じる以上、役者の俺としてもなんとか応えたいところだった。
「じゃあ……この部分だけ台本を改訂してもらうのは駄目ですか?」
「その、あくまで自分が役を降りるって言わないところ、嫌いじゃないわよ」
その時、眼鏡がキラリと光った。直後、木崎部長は苦笑いを浮かべ、困ったように肩をすくめてみせる。
「でも、文化祭まで時間がないしな〜……。いちおうユッコには聞いてみるけど」
そんななか、目線を落とす俺の足元にすっとつま先が割り込んできた。
ももかだ。
「了《りょう》はいつも深く考え過ぎなんだよ。ていうか、普段思ってることを言えばいいだけでしょ?」
「いや、普段思ってないからこそ難しいんだが?」
「むぅっ?!」
悪気なくさらっと返した言葉に、ももかがぷくっと頬を膨らませる。
そこへ、木崎部長がササッと割りこむように入ってきた。
「まあまあっ、二人とも。とりあえず今日のところは感覚を掴めたってことで。このシーンはここまでにしとこ。ねっ?」
その後、休憩となり、俺は窓際の椅子に腰を下ろすと、小さな溜息をこぼす。
気づけば、部室の空気はすっかり夕方の色に染まり始めていた。
▼△
部活を終え、電車に揺られること数駅。通い慣れた駅を出て少し歩いた先に、その場所はある。
街道沿いから少し入ったところにひっそりと居を構える、昔ながらの喫茶店。
中学の頃から入り浸っているここは、放課後の制服姿でも気兼ねなく入れる、俺にとっての“癒しの場所”だ。
「よっ、了。久しぶりじゃねーか」
カウンターの奥から顔を出したのは店主のマスター。相変わらず、気だるげな笑顔で軽く手を挙げてくる。
「ごめん、最近部活が忙しくてさ」
そう言うと、カウンターに腰を下ろす。
この時間帯の店内はいつも通りガラガラで、客は俺を除けば、奥のテーブルにパーカー姿で帽子を深くかぶった女子が一人いるくらいだ。
それすら珍しいと思うんだから、いったい経営は大丈夫なのかと疑問に思わないでもない。
「そういや、大会が控えてるんだったか。……って、おう、ちょうどいい」
マスターがちらりと視線を奥へ送る。
その先から、制服の上にエプロンを重ねた少女が現れた。
その姿を見て、俺は思わず目をぱちくりとさせた。
知っている顔だったからだ。
「紹介しとく。彼女は、最近入ったバイトの秋月《あきつき》さん。たぶん、了と同じ高校だったと思うんだけどな」
「秋月|詩絵里《しえり》です。皆瀬くん、だよね?」
そう言って、秋月さんはにこっと微笑む。
黒髪を後ろで一つに束ねた細身のシルエット。ももか同様、すらりとした体型でありながら、出るところはしっかり出た身体つきで、清楚さと色気を兼ね備えていた。
その佇まいを前に俺は、確信する。
伏し目がちに長い睫毛を震わせ、マスターに促されて顔を上げた彼女は――
まさしく、学年一の美少女として名を馳せている、あの秋月詩絵里だった。